刻まれた証

□09.合図
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俺を手の平の上で踊らせているつもりだろう

だが、全ては俺の思惑通りだ


9.合図


 部員のほとんどは明らかに桐生を敵視している。この間まで仲良くしていたはずのレギュラーですら、今となっては異端者を見る目付きだ。
 跡部は冷めた目で桐生を見下していた。岳人や長太郎は誰の目から見ても明らかに敵意を持っている。忍足や若、樺地、滝はできるだけ関わらずに傍観しているようだ。ジローはよく分からないが、たぶん俺と同じように今の状況に納得していないんだと思う。この急激な変化に似た状況は、以前も見たことがあった。

 同級生だった美咲という名の少女。彼女の居たあの時と同じように流れていく時間。あの時の俺は深い考えもなしに周りに影響され、彼女に酷い仕打ちをしてしまった。
 彼女が心身ともに傷付いていく様を毎日見ていただけに、その時の記憶を思い出すと酷く心が痛む。俺達の悪の所業に耐えかねたのか、美咲はいつの間にか学校を変わってしまった。正直その時は何とも思わなかった。邪魔な奴がいなくなったとしか、思わなかったんだ。最低だとは分かっている。だからこそ、同じ間違いを犯したくない。

 最早謝ることすらできないのが、塞がらない心の穴の原因なのかもしれない。そして、今の桐生は否が応でも彼女と重なり、嫌な予感がしてしょうがない。

「なあ、忍足。お前はどう思う?」
「急に何や、宍戸。……桐生のことか?」
「それもあるけど……」

 あの時は信じて疑わなかったが、美咲が優里亜をいじめていた確かな証拠は何もない。全ては優里亜の証言のみだった。そんな疑問をぶつけたとしても、岳人や長太郎に一方的に責められて終わりだろうし、そもそも今更そんなことを言っても誰も取り合ってなどくれないと思う。第一その真実を確認する術すら今となっては残されていないのだ。

「俺もそこは少し気になっててん。……でも、もう終わったことやろ?」
「そりゃそうだけど……。じゃあ、今回のことは、どう思う?」

 桐生と優里亜が揉めていたのは事実みたいだが、どうしても納得がいかなかった。別に優里亜を疑っている訳ではない。ただ桐生が人間関係で問題を起こすような奴には見えないというだけのことだ。二人の間に何か誤解や擦れ違いがあるのではないだろうか。

「どっちを信じればええかなんて俺には答えられへんけどな……私情を挟んだらあいつらと同じになってまうで」

 忍足の見る方向には、抵抗しない桐生に向かって全力でテニスボールをスマッシュしてぶつけたり、笑いながら殴ったり蹴ったりをする部員の姿があった。助けに行かない俺だって同罪で、薄情な人間だと分かっている。

 言い訳させてもらえるのなら、俺があの場に割って入っても何の解決にもならないからだと言わせてほしい。きっと俺が今ここで止めに入ったら、この場は収まるのかも知れない。けど、次に桐生がどんな目に合うかは分からない。俺が庇ったことで逆にイジメがヒートアップする可能性が高い。そして、その時に俺が助けられるとは限らないんだ。

 こんなの俺らしくないと言われるかもしれない。でもこれは俺自身の経験則からの判断だ。美咲の件でも止めようとした奴はいたが、結局は悪化の一途を辿っただけだった。それと同じことを繰り返したくない。

 桐生を痛めつけている奴らを見ていて無性に怒りが込み上げてくるのは、今のあいつらにとって桐生が悪いかどうかなんて関係がないことだ。周りがやっているから、憂さ晴らしに、理由なんてそんなものなんだ。それはまさに少し前の俺そのもので、過去の自分を垣間見ている気分になって苛立ちが募った。あいつらの姿に身勝手に憤っている俺はただの偽善者でしかないと言うのに。

「俺はな宍戸、信じるんは自分の目で見た真実だけって決めたんや」
「真実、か……」
「宍戸も感情に流されんと、自分の目でしっかり確かめるんやな」

 何だかんだ言って忍足の言うことはいつだって正しい。こいつも前のことを引き摺っているんだろうか。

「そうだな。サンキュー忍足」
「礼なんてええわ」

 その後岳人と長太郎がこちらへやって来て、俺達は何事もなかったかのように練習に戻った。優里亜と桐生の間に何が起こっていたのかも知らずに。




「よし、そろそろ休憩にしようぜ」

 コートを走り回って汗だくになった俺は、同様に大量の汗をかいている岳人達に声を掛けた。へたり込む程消耗している岳人のことを、相変わらず体力がないなとからかいつつ水分補給をしていると、長太郎が挙動不審に周囲をきょろきょろと見渡している姿が目に入った。

「あ、宍戸先輩! 優里亜を見ませんでしたか?」

 目が合った俺に慌てた様子で声を掛けてくる長太郎。そう言えばいつの間にか優里亜の姿が見えなくなった。仕事をしているのだろうとあまり気に留めていなかったが、よく考えると桐生の姿も見えない。ふっと嫌な予感が脳裏をよぎる。こう言う時の勘は何故だか良く当たるから怖い。



「いやぁぁーっ!!」

 優里亜が居ないことに気付いた岳人も一緒になって探し始めたその矢先に聞こえた女子の悲鳴。その突然の悲鳴は間違いなく優里亜の叫び声だった。その声は尋常ではなく、鬼気迫るものが感じられる。優里亜を心配しながら他の部員と同じように駆け出すと同時に、その先に桐生がいないことを俺は密かに祈った。

「自分が何をしたか分かってるんですか!? 人として最低です! まさか貴方がここまで卑劣な人間だったなんて思いませんでしたよ!」

 悲鳴の聞こえた部室前で俺の目に最初に映ったのは、先に到着していた長太郎が桐生の胸倉を掴み上げ叫んでいる姿だった。その姿は普段の温厚な姿からは想像出来ないほど荒々しく、すぐに長太郎がキレているのだと感じ取った。そして俺は部室内を見渡し、全てを理解した。

 引き裂かれたような上着を辛うじて纏っている優里亜が、座り込み震えながら泣きじゃくっている。そして、それを必死に慰める岳人。周りの部員は今にも桐生に殴り掛かろうとしている。

 これが忍足の言っていた真実なのか……? でも、どう見ても状況証拠が揃ってる。疑う余地はない。今まで必死に桐生を信じてきた俺が馬鹿みたいだ。ああ。激ダサだな、俺。

 よく考えてみれば、結局あいつは俺なんか信用していなかったじゃないか。相談なんて一度もしてくれなかった。いつか殴られた直後に会った時も、助けてくれなんて言ってくれなかった。

 桐生と俺は所詮上辺だけの付き合いしかしていない。それくらいなら、最初から俺に心を許したような素振りを見せないで欲しかった。優里亜に対する行為も許せないが、それ以上に俺は、桐生に裏切られたことへの怒りの方が強かった。

「信じてたのに……。俺を裏切りやがって、許せねぇ……」

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