刻まれた証

□10.宣戦布告
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溢れんばかりの憎しみを盾に


抑えきれない怒りを矛に


俺を殺しに掛かればいい


命を賭しても捕らえてやる


10.宣戦布告


 有り得ない。あんなに腹立たしい思いをしたのは生まれて初めてだ。何故、どうして、優里亜があんな酷い目に遭わなければならない? 絶対に許せない、許してはいけない。桐生には自分のしたことの重大さを、身を以て理解させなければ。


 前触れもなく突然のことだった。快晴の空の下、その爽やかさとは掛け離れた甲高い叫び声。それは部員の掛け声とは似つかない優里亜の悲鳴だ。その瞬間、コートが静寂に包まれる。

「向日先輩、今の……!」

 よく知る少女の声に息を詰まらせラケットを取り落とした俺に、偶然傍に居た鳳は怒鳴る様に声を掛けてきた。その言葉に頷くと、俺達は先陣を切って少女の居るであろう部室の方に走った。優里亜の無事だけを祈って。けど、そこには俺達の想像を越える最悪な事態が待っていた。



「ご、ごめんなさい……許して、下さい……」

 恐怖に怯え涙を流しながら必死に許しを請う優里亜の姿。その身に纏うのは無惨にも引き裂かれた制服だった。この状況で推測できる事なんて一つしかない。そしてそれをやった下衆野郎が誰かも。

 俺が桐生に殴りかかろうとしたら、それより先に鳳が掴みかかっていた。アイツは普段滅多に怒ったりしないから正直驚いた。鳳のそんな様子を見た俺は少しだけ冷静さを取り戻し、優里亜の側へ静かに近寄って着ていたジャージを掛けてやった。

「優里亜、もう大丈夫だから……。怖かったよな、ごめんな。俺がちゃんと側に居ればこんな事にはならなかったのに……。俺のせいだ……俺の……!」
「そんな……岳人先輩が悪いはず、ない……。だからそんな顔、しないで下さい……」

 恐怖で泣きながらも俺を気遣ってくれる優里亜の優しさに、掛ける言葉が見付からない。ただただ頭の中を駆け巡るのは、桐生という男への言いようのない怒りだけだった。

「長太郎!」

 未だ声を荒げる鳳の言葉を遮るように誰かが叫んだ。声の主を見れば亮だった。走ってきたのか少し息が乱れていたが、すぐに息を整えて部室へ入ってきた。
 そうだったな。お前は一番桐生と仲が良かったっけ。だけど亮、いくらお前でも、邪魔をするようなら容赦はしない。

「どけ、長太郎」
「でも宍戸先輩……!」
「いいから、どけ!」

 いつもと違う声色に周囲が息を飲む。元々鋭い目付きは更に鋭く吊り上がり、明らかに桐生を睨んでいた。鳳はそれに気圧されてか、それともこの場を預けるつもりなのか、静かに桐生から離れた。

 なんだ、そう言うことか。分かったぜ、亮。お前も俺達と同じ気持ちなんだな。

 初めは亮が桐生に対してそうするのと同じように、きつく亮を睨み付けていた俺だったが、ふと気付いた事実に自然と口角が上がった。

「俺が馬鹿だったぜ、お前なんかを信じてよ。よくも裏切ってくれたな……」

 そう言った刹那の後、亮は桐生の顔を思い切り殴った。傍から見てもその殴り方は激しいものであり、誰もが本気で殴ったのだと感じ取って言葉を失った。亮の衝動的なその行動は予想外だった。幼稚舎からの付き合いである俺は当然として、よく知らないが昔馴染みであるらしい跡部でさえ僅かに驚きの感情を顔に出している。

 倒れ込んだ桐生を見下ろしながら見せた辛そうな表情はほんの一瞬のことで、すぐに表情を険しいものに戻すと何も言わず荒々しく部室を出て行った。殴られた桐生はと言えば、口の端の血を軽く拭っただけで、反論も言い訳もなくそれを見送るのみだった。

「何を勘違いしているか知りませんが……」
「しらばっくれる気かよ!」
「僕は裏切ってなどいませんよ」

 脈絡のない言葉に俺達レギュラーを始めとする部員達が怪訝な顔をした。今亮に言われた言葉に対して言っているのか。どちらにせよ言い訳にしか聞こえない。

「最初からこうするつもりだったんですから」
「ふざけやがって……! 桐生てめぇ、そんな目で優里亜のことを見てたのかよ……!」

 ムカつく、ムカつく……! 今すぐこの手で殺してやりたいくらいに腹が立つ! 俺の中を渦巻く負の感情。人をこんなに憎んだのは生まれて初めてだ。怒りで頭が狂いそうになる。

「向日君の考えていることとは全く違いますが、まあいいです」

 何が違うって? 言い訳なんて聞きたくない。お前が喋るだけで苛立ちが増していく。

「先輩があくまで白を切ると言うのなら、然るべき所に頼むしかありませんね」

 俺が声にならない怒りで震えていると、鳳が異常なまでに冷静な声でそう言った。俺は興奮していて一瞬思考が働かなかったが、その後の侑士の言葉でその意味に気付いた。

「せやけど、学校の名前に傷が付くんとちゃう?」
「関係ないですよ。未遂とは言え、罪を犯そうとした人は罰せられて当然でしょう?」

 今の鳳に何を言ったって無駄だ。それに俺もその意見に賛成だな。少年院に入るのは無理でも、少なくとも退学にはなるだろう。とにかく、この先二度と俺の前に現れないでくれればそれで良い。

「鳳君のその言葉、是非心の底から伝えたい人が居ますよ……」

 こんな状況なのに桐生は笑っていた。と言うより俺達を馬鹿にしているようだった。その姿には不気味ささえ感じるけれど、今は堪えよう。すぐにこいつの顔を見ることもなくなるのだろうから。

「まずは教師に伝えた方が良いんじゃないか……?」

 名前も知らない部員が控え目なトーンで口を挟んだ。何を躊躇っているんだか知らないが、そんなことはどうでも良いんだよ。さっさと警察を呼べば良いだろう。こいつは自分の犯した罪の大きさを思い知れば良いんだ。

「いいから誰か携帯持って来いよ!」
「警察……警察は嫌っ!」

 俺が叫んだ瞬間、青ざめた様に叫ぶ優里亜。どうしてお前が拒否するんだ。お前が一番桐生を恨んでいるはずなのに。早くこの男を消してやりたくないのか?

「でも優里亜……」
「警察なんて呼んだら許さないから!」

 さっきまで俺の前で泣いていた守るべき少女は、今は涙も嗚咽も止めて俺をじっと睨み付けている。こんな優里亜の顔、初めて見た。どうしてだよ、優里亜……?

 あぁ、そうか。警察を呼べば色々気分の悪いことを聞かれてしまうもんな。そんな辛い思いを優里亜にさせる訳にはいかない。分かったぜ優里亜。俺達に直接桐生への復讐をして欲しいんだろ。全部俺に任せておけよ。この男は俺がきっと……

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