次男総受け

□お前のためなら壁だって壊してやる
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 「第四の壁」という物をご存知だろうか。演劇等において現実とフィクションの間に概念上存在する透明な壁のことだ。しかし、時として登場人物が現実世界に向けて語りかけてきたり、自分達のいるのがフィクションの世界であることを意識したセリフを喋るという演出がなされることがある。これを「第四の壁を破る」と言う。



 俺、松野おそ松は自分がアニメの中のキャラクターだと知っている。そして、俺は自分が本物ではなく、レプリカであることも知っている。この世界は本物じゃない。本物の「おそ松さん」に似せて創られた偽物の世界だ。

 俺はこの世界の主人公、王様ってやつで、第四の壁を破ることもできる。だからこうして画面の前の君に話し掛けることができるわけだ。この世界を作り変えることだって、この俺様にかかれば楽勝なんだぜ。



「切国、切国……! 俺の、俺だけの刀……俺だけの相棒……俺だけの……。何でもするから。どんな犠牲でも払うから。だから俺の切国を返してくれ。どうしてお前が、どうして……」



 だから俺は、その特異な力を使ってカラ松のために世界を変えてやることにした。
 刀剣男士なんてものは初めから存在せず、審神者という職業も架空のもの。それらは全て刀剣乱舞と言うゲームの中の存在でしかない。そんな風に世界を改竄した。それで全て上手くいく。そのはずだった。



「ああ、切国……そこに居たのか、俺だけの綺麗な刀……」



 俺の一番大切な弟は、消えてしまった自分の刀を取り戻すためだけに生きている。

 どうしてただのゲームにそこまで感情的になっているんだ?
 頭がおかしいんじゃないか?

 そんな弟達の言葉はカラ松には届かなかった。チョロ松も、一松も、十四松も、トド松も。みんな何故カラ松がそこまでゲームに肩入れしているのか理解できずにいる。ゲームの中のキャラクターを失ってしまったことにショックを受けているカラ松を異常なものを見る目で見ている。

 当たり前だ。だってそんな風に世界は作り変えられたのだから。

 

「俺にはお前しかいなかったんだよ、切国。大切だったはずの兄弟は、俺のことを心配してくれなかった。助けにも来てくれなかった。俺は好きで審神者をやってたんじゃない。ただただ、家に帰りたかった。何で俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだと怒りが沸いてきたし、悲しかった。そして何より怖かった。死にそうになったことだって数え切れないよな。この右手だって、左目だって、敵にやられたんじゃなく、お前の仲間の刀剣男士に……。俺が生き延びられたのは全部お前のお蔭だ。お前だけが俺の味方でいてくれた。お前だけが、俺のことを考えてくれた。切国だけだ……」



 今日も今日とて俺の大切なカラ松は、カラ松の一番大切な“切国”に語りかけている。画面の中の山姥切国広は決してカラ松に返事をしない。
 なあカラ松。どうしてお前は刀剣男士が実在したことを忘れていないんだ。どうして今もお前の刀を探し続けているんだ。

 俺がいけないのか? 全部俺のせいなのか?

 

「おそ松は悪魔だ」

 画面の中で“山姥切国広”を見つけたカラ松は、それまでの悲劇的な声や表情を消して、ぞっとするほどの冷たい声で俺に向かってそう言い放った。
 そしてその言葉を最後に、カラ松は静かに狂っていった。

 カラ松のその言葉を聴いた瞬間、俺は方法を間違えたことに気付いた。しかし、気付いたところで後の祭りだ。俺がどんなに言い訳しようと、カラ松にとっての俺は、最早大切な人を奪った悪魔でしかないのだろう。



「切国……ああ切国……今度は俺が助けるから。ずっと俺を守ってくれていたお前を、今度は絶対に俺が守ってやるから……」



 世界を作り変えたのは、全部カラ松のためのはずだった。
 大切な相棒を失ったカラ松が落ち込んでいるのは分かっていたけれど、いつか時が解決してくれるだろうと見守っていた。でも、カラ松は立ち直るどころかどんどん衰弱していってしまった。俺達兄弟がどんなに励ましても、慰めても、カラ松はどんどんやつれていった。

 俺はそんなカラ松を見ていられなかった。俺からだってそうでもしないとカラ松が壊れてしまいそうだったから。


 あの刀剣男士は、カラ松を助けに来た俺達兄弟に何故か剣呑な眼差しを向けてきた。そして俺達を見て安堵したようなカラ松を、絶望したような表情で見つめていた。

 右腕を失い、左目を失明する程の満身創痍なカラ松を見た俺達は声を失った。世界を守るためだと言っても、あまりにも代償が大きすぎる。俺達は当然カラ松に審神者を辞めるよう訴えかけた。カラ松は泣きながら何度も頷いた後、はっとしたように己の初期刀を振り返った。

「切国、俺……」

 カラ松が“切国”と呼んだ刀剣男士に何かを伝えようとする前に、その刀剣男士が動いた。

 主が手に入らないのならば、最早この世に存在している意味はない。

 男はそう言って躊躇いもなく自分の持っていた刀を折った。あまりにも突然の行動に、誰もそれを止められなかった。刀が折れると同時に夢だったのかと思う程あっさり消えていったその男は、確かに刀の付喪神だった。
 俺はぽかんと気が抜けてしまうとともに、心の底から安心した。これでカラ松を縛るものは消えた。心置きなく現世に連れて帰ることができる。そう思った。

 しかし、カラ松はそうではなかった。カラ松は折れた山姥切国広の刀身を、残された左手が傷つくことも気にせず掻き抱くと、見たことない程取り乱し、それから泣き出した。包帯を巻いていない右目から流れた涙は、永遠に止まらないのではないかと思えた。

 そこまであいつのことを思っていたなんて知らなかった。俺は場違いにも、自分が死んでも同じように悲しんでくれるのだろうかと考えてしまった。
 けれど、そんな考えはすぐに掻き消される。折れた刃で自分を傷つけようとするカラ松を止めることに必死だったからだ。
 暴れるカラ松を何とか家に連れ帰り、ほとんど監禁のような状態にした。そうでもしないとあっという間に自殺してしまいそうだったからだ。

 それからのことは、さっき話した通りだ。
 誰よりも信じていた自分の刀が自分を置いて居なくなってしまったと言う現実を受け入れられなかったカラ松は、俺の改変した世界に悪い意味で順応してしまった。


「切国、いつか必ず俺が助けてやるからな。愛しい俺の刀……俺だけの神様……俺にはお前しかいないんだ……。愛してた。大切だった。お前がいたから、俺はこんな姿になっても生き続けようと思えた。何であの時俺をお前の神域に連れてってくれなかったんだ……? なあ、切国。俺の愛しい神様。俺がお前を見つけ出したら、今度はちゃんと俺も連れて行ってくれるよな……?」

 カラ松。お前はただ、あの刀剣男士が大切だから守りたかっただけなんだろ。傷ついてほしくなかったから、俺達が助けに来た時に心底安心した表情を見せたんだろ。なのにあの刀にはそれが伝わらなかった。カラ松は刀としてお前を大切にしてた訳じゃないんだよ。きっとカラ松は、山姥切国広というかけがえのない存在を大切にしたかったんだ。

 そして同時に、カラ松の心を手に入れられないのならば消えた方がマシだと思う程の山姥切の恋情は、カラ松に伝わっていなかった。自分に向けられた感情に疎いカラ松には、恥ずかしいくらい率直に気持ちを伝えてやらないと駄目なんだ。

 馬鹿な奴らだと思う。ちゃんと想い合っていたのに、それはどちらにも届かなかった。そしてたぶん、俺の想いが届くことも一生ない。


 なあ、教えてくれ。俺はどうしたら良かったんだ。行かせてやれば良かったのか。あの刀の神様にカラ松を差し出せば良かったのか。そんなのただの生贄じゃないか。そんなこと、できるはずがない。

 分からない。俺はどこで間違えたんだろう。
 あの時、後を追わせてやることが正解だったのか。
 何故あの刀はカラ松を一人残して逝ってしまったのか。

 全ては俺が悪いんだ。もっと早くカラ松を見つけてやらなければいけなかった。これでも最善を尽くしたんだ、なんて言ってもカラ松にとってはただの言い訳にしか聞こえないだろう。

 どんな手を使ってでも、カラ松を一日も早く見つけてやらなければならなかった。そうすれば、あいつがあんなに身も心もボロボロになることはなかっただろう。
 片目と片腕を失い死の恐怖に怯えるカラ松を守ってやりたかった。国が何と言おうとも審神者なんか辞めさせて、もうお前を脅かすものは何もないんだと言って抱き締めてやりたかった。

 分からない。俺にはもう、何が正しかったのか分からないんだ。

 ただ、一つだけ分かったことがある。
 この世界の主人公は俺ではなかった。それだけだ。

 この世界の本当の主人公はカラ松だった。大切な人を失って悲しみに暮れる悲劇の主人公。いつまで経っても主役は立ち直れない。話は前に進まない。これは欠陥だらけの物語だ。

 こうして今日も俺は終わらない悲劇がハッピーエンドを迎えるのを待ち続ける。物語であれば、いつか主人公が立ち直るその日は来るはずだ。カラ松がまた笑える日は絶対に来るだろう。

 その時は、今度こそあの男がカラ松を連れて行ってしまう気がする。悲劇の主人公を救ってくれるのは、ヒロインでも仲間でも、ましてや兄弟でもない。きっと神様だ。

 お願いします、神様。どうか俺の大切な人を連れて行かないでください。俺は毎日そう祈り続けている。

 けれど俺は、主人公の愛する人を別の世界に閉じ込めた悪逆非道の罪人だ。悪役に成り下がった俺の願いが叶うことは、決してないのだろう。


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