次男総受け

□極上の赤ワインを君に
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 吸血鬼は古来より人間に恐れられてきた。けれど、吸血鬼とは弱点の多い種族だ。日光を浴びたら灰になって死んでしまうし、聖水で身を焼かれる。招かれなければ家には入れず、川のように水が流れている場所は渡れない。十字架やニンニクで動けなくなり、心臓に杭を打たれるか銀の銃弾を撃ち込まれれば死んでしまう。

 それでもこんなに恐れられるのは何故か。それは吸血鬼が優れた能力を持っているからだろう。あらゆる身体能力が優れており、再生能力も非常に高い。万能でないが魔法も使える。そして何より恐ろしいのは、人間を吸血鬼に変えて同族をいくらでも増やせることだ。このように多彩な能力を持つ吸血鬼を恐れるのは当然だろう。

 吸血鬼の容姿と言えば、青白い肌に燕尾服を着た痩身の男を思い浮かべる者が多い。まるで貴族のようなその姿から、高貴なイメージが強いと言われる。そんな余りにも一般的な吸血鬼のイメージは、一体いつの間にどういった経緯で定着してしまったのだろうか。

 伝説なんて曖昧なものだとカラ松は一人笑う。十字架を基に誂えた美しいチョーカーを月の光に翳して眺めながら。


 カラ松は吸血鬼の中でも真祖(ピュアブラッド)と呼ばれるかなり希少な上位種で、下級吸血鬼(レッサー・ヴァンパイア)のような弱点を持たない。所謂チートと呼ばれる存在だ。カラ松に吸血鬼の弱点について問い掛けたとしたら、あっさりとこんな返事が返ってくるだろう。

「日光を浴びても平均的な人間より少し日焼けしやすいだけだし、ニンニク料理も嫌いじゃない。まあ、肉料理の方が好きだが。十字架のシルバーアクセサリーは格好良いと思う。髑髏のベルトの次くらいには気に入っている。聖水? 良い水は美味しいよな。ああ、勿論どんな家でも入れるぞ。だって俺は全ての人間を愛し、全ての人間から待ち望まれている存在だからな!」

 当然、銀の銃弾で撃たれようが、心臓を杭で貫かれようが死にはない。ではどうすれば死ぬのか。カラ松自身もよく分からなかった。ちなみに真祖が下級吸血鬼から一番羨まれるのは、実は鏡にしっかり映ることだったりする。実は吸血鬼というのは自分の身なりを非常に気にする怪物なのだ。常に鏡を見ては、下級吸血鬼にはできない身だしなみチェックを行っている。



――俺だけのものになってよ、カラ松。

 そう言いながら渡されたこのシルバーの装飾品は、大切に手入れしてきたお蔭で今も輝きを失っていない。後々のことを考えてあまり人から物を貰うことはしないカラ松であったが、この時だけは別だった。その青年から初めて貰ったそのプレゼント。渡された時は純粋に嬉しく思い、心からの感謝を告げて受け取った。もう200年も前のことだ。

 
 今も昔もカラ松の姿は全く変わらない。その頃のカラ松は、教会の神父に成りすまして村や町を転々としていた。人間の生活を眺めて楽しんでは、時折住民から血を拝借する。とても幸せな毎日だった。

 そんな生活の中、カラ松はある村で一人の男と友人になった。見た目の年齢だとカラ松と同じくらいのその青年は、少しちゃらんぽらんな所もあるが明るく気の良い男だった。その男は教会に足繁く通い、カラ松と話をしては帰っていく。時々農作物を持ってきてくれたり、教会の修繕を手伝ってくれたりもした。カラ松はそんな優しい男のことを、愛すべき人間の中でも最も気に入っていた。普段ならある程度の期間が経ったら住処を変えるようにしていたが、男の存在がカラ松をその村に留めた。もう少しだけここに居よう、と。

 しかし、転機は訪れる。教会に来た女性に暗示をかけて血をいただいていた所を男に見られてしまったのだ。その時のカラ松は、夜だからと完全に油断して鍵を掛け忘れていた。この状況を見れば、カラ松が吸血鬼であることは確実に見破られてしまっただろう。

 男は初め驚いたような顔を見せ、その後震え始めた。カラ松は今までも何度かこういうことがあったので、特に慌てることもなく女性をそっと家に帰した。この土地は気に入っていたが、そろそろ潮時か。この男の記憶を消してさっさと立ち去ろう。そう考えた瞬間、男がカラ松に囁いた。

「俺を吸血してくれ」

 男は、記憶を消すのも忘れて呆然と佇むカラ松の前まで来ると、首筋を曝け出した。

「お前と永遠に生きられるなら、そんなに素晴らしいことはない。愛しているから、俺を吸血鬼にしてくれ」
「……できない、できる訳ない」

 どうして。そう言いながら男は自分の掌をナイフで傷付けた。カラ松は滴り落ちる血から目が離せない。吸血欲が刺激される。理性が崩壊しそうになる。

 吸血鬼にするなんて、そんなことはできない。ただ、理性ではいけないと思っていても、本当は男の言葉が嬉しかった。自分は人間が好きだが、人間は吸血鬼を怖がっている。一緒に居たいと思っても怖がられてしまう。それなのに彼は、カラ松のことを怖がるどころか、血を差し出しながら吸血鬼にしてくれと言った。

「たとえ噛んでも、吸血鬼にはできないんだ」

 どうして、嘘だろ? 男はそうカラ松に言い募ったが、事実は事実として変えようがない。

「じゃあせめて、この血を飲んでよ」

 落胆した表情で男が血に染まる掌をカラ松に差し出してきた。本能に勝てず、カラ松はその手を取った。それは、これまで飲んだどの血よりも、筆舌尽くしがたい甘美な味であったとカラ松は振り返る。男の血をいただいたのは、それが最初で最後だ。

 その後、男はあの日の出来事が幻であったかのように、カラ松に変わらない態度で接した。そしてカラ松は、男の目にいつも熱情が籠っていることに今更ながら気付いた。

 あの教会での一件から半年が経った頃、男が突然夜に教会を訪れた。手には綺麗な箱を持っている。その箱をカラ松に渡すと、照れたように微笑んだ。
 箱の中身は、銀細工のクロスをあしらった品のいいチョーカーだった。

 そして彼は言ったのだ。自分だけのものになってくれ、と。自分の生涯が続く間だけでいいから、と。


(嬉しいと思ってしまった。このまま男と共に生きたいとさえ願ってしまった……)

 だからこそ、カラ松は彼の許から離れた。
 人間の寿命は、吸血鬼にとってはあまりに短すぎる。いつか必ず自分が置いていかれる日が来る。男と一緒に朽ち果てたくとも自分にはそれができない。これ以上情が湧く前に離れなければ。カラ松はそう決意した。

 男に返す返事は曖昧にしながら、「また明日」と言って笑顔で別れたその日の夜に、カラ松は遂にその地を離れた。記憶を消さなかったのは、カラ松の自己中心的な願いからだ。この男に自分の存在を忘れられたくなかった。

 男との記憶はここまでだ。


 彼には二度と自分から会いに行くことはしなかったが、それでも彼を気に掛け続けてはいた。今頃どうしているだろう、元気にしているだろうか。そんな思いから切なさを感じてしまったことは否定できないが、ずっと独りで過ごしてきたカラ松にとって、他人との別れの後には、そんな人間も居たなと過去を懐かしむ楽しみがある。

 カラ松は人間が好きだ。流れる時の中で星の数程の人間と擦れ違うように関わっていくのは、割と記憶力の良いカラ松にしてみれば最も面白みのある趣味だった。この感覚自体が、永き時を生きてきた吸血鬼と儚い人間の違いなのだろう。

 寂しさと懐かしさで感傷的になったカラ松は、寒空の下を歩きながら輝く星を仰ぎ見た。200年近くも前の記憶を辿りながら、カラ松は静かに微笑む。


(自分は間違いなく、心からその男を愛していた)




 カラ松はそれから何度となく住居を変えているが、ここ数年の住処は赤塚区だった。一人で適当なアパートを借りて、人間に混じって生きている。ちなみに昼はスタバァでバイトもしている。

 今日は珍しく吸血したいと思い立ち、バイト後に夜の街へと繰り出した。実のところ、吸血鬼というのは、取り敢えずは人間で言う“普通の食事”を摂取しておけば身体にそれ程問題はない。実害と言えば、多少満たされない気持ちからストレスが溜まるくらいだ。むしろ血を飲むだけでは生きていけないのだ。吸血鬼だからと言って血だけで生きていけるような便利な身体の作りはしておらず、人間が必要とする栄養素は吸血鬼にもそれなりに必要だった。とは言え、吸血鬼にとって生き血はやはりなくてはならない物。それはさながら、依存患者がアルコールやニコチンを欲する感覚に近いかもしれない。

「うーん……なかなか一人で歩いている人間は居ないな……」

 吸血させてもらうのは、基本的に街を一人で歩いている人間だ。しかし、最近は残酷な事件も多く、人々の自己防衛意識が高まっているせいか、標的を見つけられる機会が激減していた。つまり、カラ松は文字通り血に飢えていた。

 今夜もお預けだなと落胆しつつ、いつものように諦めて帰ろうとしたその矢先、カラ松の瞳がギラリと妖しく見開かれ、口角が僅かに上がった。

「血の匂い……!」

 静かな街を吹き抜けた冷たい風。それに乗って流れてきた甘い血の匂い。人間は血生臭いと言う言葉を使うように、血の臭いを嫌う傾向にある。しかし、吸血鬼であるカラ松にしてみれば、どんなに素晴らしい香水よりも血の匂いは芳しいものに感じられる。

 カラ松は人知れず恍惚な笑みで舌舐めずりをして、匂いの方向へと歩き始めた。


 見つけたのは路地裏だ。倒れているのはまだ二十歳になるかならないかの男だった。全身に怪我を負っていることから、何者かに襲われたのだと推測できる。恐らく喧嘩でもしたのだろう。一先ず怪我の具合を見ようと慎重に体位を変えて見れば、その顔に意識を奪われた。カラ松はその顔に見覚えがあった。何を隠そう、それはつい先程まで考えていた、思い出の中の青年と瓜二つだったからだ。歳は少し若いが、間違いない。

「どうして、この男が……」

 今まさに己の首に付けられている十字架のチョーカーを贈ってくれたその青年が目の前にいる。とても驚いたが、恐らくは彼の生まれ変わりなのだろう。それか、完全なる他人の空似だ。

 そこまで考えてはっと我に返る。幸い傷口は浅く血も既に止まっている状態だが、如何せん自分と違い人間の身体は酷く脆い。こんな冷たい空の下で長く放置されてしまえば、翌朝には凍死していてもおかしくない。

「えぇと……ああ、ここから結構近そうだ」

 ごそごそと青年の体を漁って財布を見つけると、その中から運転免許証を出して住所を確認した。

「家に送るから、もう少し我慢していてくれ」

 カラ松は返事のない相手に一方的に声を掛けると、その人物を軽々と持ち上げて夜の闇へと消えて行った。

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