次男総受け

□俺の愛がお前を幸せにできるのなら
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「おはよう、カラ松。俺はアンタの弟の、一松だよ」

 毎朝繰り返される贖罪の時間。俺はいつまで耐えられるだろうか。これは戒めだ。カラ松が誰のせいでこうなっているのか、一瞬たりとも忘れないための償いの時間なんだ。俺の罪は赦してくれなくていい。ただ、決して悟らせないから、愛し続けることだけは許してくれ。お前の傍に、居させてくれ。


 カラ松が退院し実家に帰ってから一か月も経つと、兄弟全員が実家に戻ると言う暴挙に出た。父の松造はやっぱり六つ子だなと呆れていたし、母の松代は仕方ない子達ねと笑い、それでも暖かく受け入れられている。俺達は以前と違い働いてはいるが、仕事以外の時間はほとんど兄弟全員で過ごしており、表面上は昔と同じようにカラ松に接している。

 だが、実際は少し違う。記憶のないカラ松は痛いことを言わない。事故以前から痛い言動以外は基本的に常識人の部類であったカラ松は、痛さを失った今、厳しいツッコミをされることもなく兄弟に大切にされている。昔からカラ松のことが恋愛感情で好きだったおそ松兄さんに至っては、元々カラ松に甘かったのがさらに甘く優しくなった気がする。そんな兄弟達を見ても、別に現金な奴らだとは思わない。みんな素直になれなかっただけで、本当はこうしてカラ松に優しくしたかったんだろう。たまたまそのきっかけが今回の事故だっただけだ。

 兄弟達が態度を変える中、俺は俺でカラ松への対応を改めた。以前のように突っかからなくなったし、理不尽なキレ方もしなくなった。態度が随分軟化したと取られるかもしれないが、それは他の兄弟とは方向性が全く違う。俺はカラ松を傍で見守るだけにし、カラ松が必要としている情報以外は喋らないと決めた。みんなとは少し離れた所に居て、カラ松が一人の時だけ少し傍に寄るようにした。元々兄弟の中ではカラ松と距離がある方だったから、別に不自然ではないはずだ。

 俺の存在はカラ松を傷つけることしかできない。素直になれない反動で冷たい態度を取ってカラ松の心を傷つけたのは俺だ。カラ松が事故に遭い、後遺症を負ったのも俺のせいだ。それを兄弟に責められたことはないし、むしろ気を遣われているのも分かる。でも、俺はいっその事責めて欲しかった。俺の罪は誰にも断罪されることなく、今も俺の中で燻り続けている。

――俺は、誰なんだ……

 あの日病院でカラ松が呟いたその言葉が今でも忘れられない。自分の置かれた状況を全く理解できず情緒不安定になったカラ松が零したのは、隠しようのない本音なのだろう。あの日以降カラ松は一度も取り乱していないが、心の中ではきっと何度も絶望している。

 カラ松は誰のことも怒らない聖人なのではない。昔は短気だったくらいだから、他人に怒りを覚えることや恨むことだって当然ある。ただ、その感情を自己犠牲的な優しさで自分の中に全て抑え込んでいるだけだ。
 だからカラ松の言葉を額面通りに受け取ってはいけない。カラ松が負の感情を抱え込まないよう、言葉の裏に隠された本音を読み取るようにしなければいけない。
 そして、カラ松に負の感情を与え続けてきた俺は、二度とあいつを傷つけないよう、ただの弟の一人として付かず離れずの距離を保っていよう。兄弟が好きなカラ松のために、手の掛からない出来のいい弟になろう。すぐには無理でも、少しずつ。


「いちまつ……? 弟? 俺は一体……」
「とりあえずこれ読んで。お前が手に持ってるその日記。そこに全部書いてあるから」

 誰より早く起きて、カラ松が起きた時に俺が誰なのか伝え、日記を読むように促す。それが俺の日課になりつつあった。カラ松は毎朝酷く混乱しているが、日記を読んで全てを受け入れている。毎日寸分の狂いもなく同じように。
 日記を読むカラ松は、まず非常に驚いた顔をして、そして最後には全てを諦めたような顔をする。その表情から俺は決して目を逸らさない。愛する人にそんな表情を、そんな思いをさせているのは、紛れもないこの俺だ。胸が痛むことすら許されない。目を逸らすなんて、できるはずがない。代われるものなら代わってやりたいと言う気持ちは、この気持ちのことなのだろう。

 全て受け入れたカラ松は、最後に俺に向かって少し困ったような笑顔を見せながら、「迷惑かけてすまない」と謝る。その瞬間が何より苦しい。もちろんカラ松が一番苦しんでいるのは分かっているが、弱い俺にはそろそろ耐え切れなくなりそうだ。

 どうしてカラ松は俺に笑いかけられるのだろう。俺が弟の一松だと伝えたはずなのに。事故の原因が俺を庇ったことだと知っているはずなのに。だって俺がそう書き加えたのだから。

 ある日カラ松の日記を見せてもらった時に、どのページを見ても交通事故で怪我をしたことしか書かれていないことに気付いた。俺はお前に償いたいのに、お前はそれすら許してくれないのか。俺は消えないようにサインペンを使い、カラ松の字より大きめの字で最初のページに書き加えた。

――交通事故に遭ったのは、弟の一松を助けたから

 お前はそれを見て何を思った。目の前にその弟がいるのに気付いて、憤っただろ。お前の記憶がないのも、明日には今日のことを忘れてしまうのも、全ては俺のせいなんだ。あの時のように罵ってくれていい。それでお前の気が少しでも晴れるのなら。

「一松は怪我してないか?」
「してないよ」
「そうか、良かった」

 もう何度この遣り取りを繰り返しただろう。俺がカラ松に責められたのは、あのたった一度だけだ。前の俺なら、助けてくれなんて頼んでない、だとか、勝手に怪我して馬鹿じゃないの、とか、そんな辛辣な言葉を吐いていたに違いない。未だに思ったことと反対のことを言ってしまいカラ松を困惑させることもあるが、何とか後からフォローを入れているつもりだ。二度と傷つけないと約束したし、ちょっとは優しくしてやろうと思う。

「カラ松が助けてくれたから……ありがとう」

 退院後暫くは毎朝カラ松に謝っては困ったような顔をされていた。でもある日、いつもと違い礼を言ってみたら予想以上に穏やかな顔で笑ったから、俺はそれ以降謝罪ではなく感謝を告げるようにしている。

「お前が無事で良かった」

 ここまでいつも通りの流れだ。そしてたぶんこの後、カラ松は他の兄弟を気にし始めるはず。他の兄弟が起き出したら、俺とカラ松だけの時間は終了だ。
 予想通り、カラ松が周りに居る兄弟達を見て首を傾げている。まだ全員揃いのパジャマだから区別がつかないのだろう。

「お前の隣で寝てるのが六男のトド松で、そこから順番に長男のおそ松、三男のチョロ松、一番向こうの端が五男の十四松な」
「みんなそっくりだな。見分けられるか心配だ」
「言っとくけどお前もそっくりだからな」

 こいつはいつも兄弟のことばかりだ。自分が理不尽な目にあったって、泣くことはあれど兄弟にあたることは少なかった。俺のことは忘れたままでも良いが、他の兄弟達のことを忘れたままなのは可哀想だ。何とか思い出させてやりたい。俺は毎日毎日、兄弟のことをカラ松に話して聞かせた。少しでも記憶を取り戻すための切っ掛けになって欲しいと願いながら。


 これが俺の日常だ。俺の生活はカラ松を中心に回っている。でもカラ松は俺を中心には生きていない。それでいい。そうでないと駄目だ。




 ある休日の午前中、兄弟達は出掛けていたり、自分の趣味に興じていたりと、それぞれ思い思いに過ごしていた。カラ松はぼーっとテレビを見ているようだったので、少しだけ近づいて座ると俺の方をじっと見てきた。暇そうにしていたので、恐らく構って欲しかったのだろう。
 いつもと同じようにぽつりぽつりと兄弟のことを話してやる。暫く話していると、ふいにカラ松が遠慮がちに俺に声を掛けてきた。珍しいこともあるものだ。いつもはほぼ聞き手側に回って、俺の拙い話を聞いているだけなのに。カラ松が言いたいことがあるのなら、俺は遮らない。一言一句聞き逃したりはしない。もう失敗しないためにも。

「今日は、一松の事を知りたいから……その、二人で遊びに行きたいんだが、ダメか?」

 日記には一松から聞いた他の兄弟の話はたくさん書かれていたが、一松自身のことが書かれていなかったから知りたくなったんだ。カラ松はそう言った。
 駄目な訳がない。カラ松が望むのならどこにでも連れて行ってやる。そう思って歓喜する俺の心を、もう一つの思いが押し留めようとする。カラ松が俺のことを知る必要なんてない。俺はただ、こいつが少しでも真っ当に、幸せに生きていけるよう、カラ松の中で大きな割合を占める兄弟のことを思い出す手伝いだけをしていればいい。
 どちらを選択するのがより最善なのか判断がつかず、返答に窮する。

「ごめん、無理言ったかな」

 俺が黙っているのを拒否と受け取ったらしい。寂しそうに笑うカラ松を見てしまった俺は、結局誘惑に負けて二人で出掛けることを選んでしまった。少しくらい、許されるよな。カラ松が望むのなら、拒否する必要はないだろう。俺は自分にそう言い訳をして、カラ松と共に外へ出た。

「後からつまんなかったとか文句言うなよ」

 俺は運転をほとんどしないから、出掛けると言っても徒歩か公共交通機関を使うしかない。こういう時どこに行くのが良いのか分からず、取り敢えずカフェでも行くかと問い掛けると、カラ松は嬉しそうに笑って俺の後をついて来る。
 自分と同じ顔をした兄のその姿に庇護欲を感じてしまっている俺は、もう戻れないところまで来ているらしい。やはり俺は、こいつのことが心底好きなのだ。

「メニューが多くてどれにするか迷うな。一松はどれにするんだ?」

 前にトド松がバイトをしていたスタバァは出禁を食らっているので、別のスタバァにやって来た。メニューを見ながらカラ松がニコニコと話し掛けてくる。どうしてたかがカフェに来ただけでそんなに嬉しそうなのか。そんなに楽しそうな顔をされると、俺と出掛けるのがそんなに嬉しいのかと勘違いをしてしまいそうになる。

「俺はよく分かんないから、カプチーノのトールサイズでいいや」
「そうか、俺はどうしようかな……」
「……アンタは、ラテのトールサイズ、エスプレッソをドッピオ……で、いいんじゃないの」

 カラ松はきょとんとした顔をした後、ぱっと笑顔を見せて嬉しそうに言った。

「一松が言うなら、そうしようかな」

 ああ、やはり二人で出掛けたのは間違いだった。カラ松の一挙手一投足を見逃さんと観察してしまう。そして自分に向けられる好意的な姿に一々喜悦してしまう。俺は馬鹿だ。結局こいつのことを全く諦められていない。心のどこかで、あわよくばと考えている自分がいることに気付きながら、気付かない振りをし続けている。


 注文したコーヒーを受け取り、向かい合って席に着いた。元来カラ松も俺もあまり話す方ではないので、会話はそれほど盛り上がらない。それなのに何が楽しいのか、カラ松は俺に何が好きなのか、休みの日は何をしているのか、などの質問を投げかけてくる。好きなのはお前だし、最近休みの日はずっとお前を見てるよ。なんて言える訳もない。

「猫が好き。よく餌あげたりしてる」

 記憶を失う前のお前にとって、俺のイメージはほぼ猫だったみたいだから、取り敢えずそこだけ押さえておけば間違いないはずだ。そう言えば、友達にも最近会いに行けていない。この後猫を見に行きたいと言ったら、カラ松は嫌がるだろうか。

「猫……一松は猫の友達がたくさんいるんだよな?」

 カラ松は少し考える素振りを見せてからそう言った。俺が猫好きなのは兄弟の中でも周知の事実だから、日記のどこかにも書き記されていたはずだ。カラ松は記憶が1日しか持たないことを承知の上で、毎日日記を読み込んでは兄弟の情報を頭にインプットしていた。そのいじらしさに涙が出そうになる。

 猫の話題になったのを良いことに、俺は猫を見に行かないかと誘ってみた。行きたいと言ってくれたから、逸る気持ちを抑えてカラ松のペースに合わせてゆっくりコーヒーを飲み干す。

「途中で猫缶買って行くから」
「餌をあげるんだな! 喜んでくれるといいな」

 カフェを出ると、途中でいつもより高級な猫缶を購入した。友達が喜んでくれたら嬉しいのはもちろんだが、俺はお前が喜んでいる姿が見られただけで割と満足だ。

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