「ピカ……?」 世界が大きく見える。と言うか、「なに?」といったはずが、「ピカ?」になった気がしたのは気のせいだろうか。いや、気のせいのはずがない。 何が、起きてるの……? そもそも私はさっきまで何をしていたんだったか。確か、久しぶりに家に帰ろうと思い1番道路を歩いていた途中、不思議な人に声を掛けられて、それから……それからどうしたのか、思い出せない……。気付いたらここに居て、この状況だった。 「ピカチュ……」 喋ろうにも言葉が全てピカチュウの鳴き声になってしまう。 「ピ、ピカチュ……ピカァ……!」 可能な範囲で自分の身体を見る。手足は短い。先がハートのように割れた尻尾が見える。そしてとりあえず、黄色い。 つまり、つまりはそういうことなの……? 今の私は…… 「ピカチュウ……」 に、なってしまったということ……? こんなことになった理由も分からないし、戻る方法も分からない。そういえば私の荷物も見当たらない。大切なモンスターボールも見当たらない。みんなは大丈夫なのかしら。どうしよう、不安で涙が出そうになる。 「あぁ? こんな所にピカチュウがいるなんて珍しいな」 泣きそうになっていた私の背後から、聞き慣れた、でも少し懐かしい声が聞こえてきた。 「ピカー!」 グリーン! そう言おうとしたけれど、やはり人間の言葉にはなっていない。助けてという気持ちを込めてグリーンの足元に近寄った。 「まさかあいつのピカチュウか? ……いや、あいつのはオスだったな。こいつはメスか」 それにしても、グリーンもマサラタウンに帰って来てたんだ。人間の姿なら話ができたのに。 もうグリーンとはずっと顔を合わせていない。あの時のチャンピオン戦以来、何となくグリーンに避けられている気がしていた。久し振りに会えたのに、こんなのって悲しすぎる。 「お前の瞳……リーファの瞳の色にそっくりだな」 グリーンの小さな呟きに驚く。もしかして、気付いてくれたのだろうか。 「あぁ、リーファってのは俺の幼馴染で……いや、野生のポケモンにこんなこと言ってどうすんだ……。それにしてもあいつ、今一体どこにいるんだ? ちっとも連絡寄越してこねぇし……」 淡い期待は当然のように裏切られた。冷静に考えれば、気付く訳ないと分かる。人間がポケモンになっているなんて、誰だって信じられるはずないもの。 それにしてもグリーン、私からの連絡を待っていてくれたんだ……。 グリーンから連絡が来ないのは、私のことなんて気にしていないからだと思っていた。それどころか、嫌われてしまったんじゃないかと思って私から電話するのは躊躇われてしまい、結局音信不通にしてしまっていた。嫌われていないことを祈って、グリーンから電話してくれるのだけを待っていた。 「ま、俺から連絡すればいいのかもしれねぇけどよ……」 まるで私の考えていることが分かっているかのように話し続けるグリーン。何だかこのままグリーンの話を聞いていてはいけないような気がした。グリーンから見れば今の私はただのピカチュウで、私に話し掛けているように見えても、本人からすれば独り言と変わらないのだから。 でも、駄目だと分かっていても、このまま聞いていたいと思ってしまっている自分がいる。ただただ、グリーンの気持ちが知りたかった。 あのチャンピオン戦以来、グリーンと私の関係は変わってしまった。 あの日を境に、私はグリーンに嫌われてしまったんだと思っていた。 ポケモントレーナーとしての強さを求めるのではなく、ポケモンと穏やかに過ごしていれば良かったのかもしれない。こんなことを言ってはいけないけれど、元々バトルが好きだったわけではない。 トレーナーとして頑張ろうと思えたのは、ただグリーンに追い付きたいという気持ちがきっかけだった。たった一人の幼馴染が離れていくのが嫌で、置いて行かれたくなくて、必死で同じ道を歩んできた。 「あんまり俺から連絡しすぎてしつこいって思われたくねぇしな。ったく、少しは俺の気持ちに気付けよな……」 ふとグリーンが私を抱き上げた。本当の野生のポケモンなら、普通は近付いただけで逃げるだろうけど、私は全く反応できずそのまま抱えられてしまった。 じっとピカチュウである私の瞳を見つめるグリーン。こんなに見つめあったのなんて、生まれて初めてかもしれない。 「やっぱお前、リーファに似てる」 ブラウンの瞳はいつもより優しげに見える。グリーンって、ポケモンにはこんな表情も見せるんだ……。幼馴染なのに、知らなかった。 次第に恥ずかしくなってきて目を逸らしそうになるけれど、何故かそれはできなかった。 「リーファ……お前に会いたい……」 グリーンが小さく呟いて、それから一瞬何が起きたのか分からなかった。額に軽くキスをされたかと思ったら、そのまま抱きしめられている。 何で……どうして私の名前を囁きながらそんなことをするの。私はどうしてドキドキしているの。“リーファ”として抱きしめられた訳じゃないはずなのに……。この姿じゃなくて、元の姿でしてほしいなんて……どうしてそんなこと、考えてしまったの。 「あー……何してんだ俺は……」 気付けば私を下ろしたグリーンは恥ずかしそうに頭を抱えていた。 「お前、野生だよな? それにしては妙に人に慣れてるが……。なぁ、俺のポケモンになるか?」 吃驚することが多すぎて思考が追いつかなかったけれど、その言葉に急に頭がクリアになる気がした。 モンスターボールを取り出そうとするグリーンを見て、慌てて逃げ出した。駄目、それだけは駄目だ。もしモンスターボールに入れられてしまったら。どうなるか分からないけれど、それだけは駄目な気がする。 「あっ、ピカチュウ!」 私、というより“野生のピカチュウ”に向けて掛けられた声に申し訳なさを感じながらも、必死で走って逃げた。グリーンが追ってくる様子はない。 「逃げられちまったか。まるであいつに逃げられた気分だな……」 走って走って、マサラタウンから1番道路まで来て、それでも必死で走っていると、いつの間にか視界が高くなっているのに気づいた。 立ち止まって自分の体を見ると元の人間の姿に戻っている。そして幸いなことになくしていた荷物も近くの木陰で見つけた。 モンスターボールもちゃんとあるし、みんなも無事だった。ピカチュウが心配した様子で私に近付いてきた。 「夢、だったの……?」 急にピカチュウになったかと思えば、急に人間に戻った。一体何だったんだろう。夢だと思う方が普通かもしれない。 でも、夢じゃなかったとしたら…… 「早くマサラタウンに帰らなきゃ」 私は荷物を持って、今来た道を再び走り出した。 「リーファ……!」 さっきと違うグリーンの驚いた顔。でも、驚いた表情の中に少しだけ嬉しさが垣間見えて、涙が出そうになった。 「グリーン、久し振り。……ただいま。あのね、帰って早々だけど……お願いがあるの」 昔みたいに、今日は一日一緒にいてくれる? 私、もっとグリーンのこと、知りたいの。 |