「もしかして、キョウヘイさん……?」 名前を呼ばれるのは慣れている。 「え……あ! はい! 自分はキョウヘイです! もしかしてファンの方ですか? いつも応援ありがとうございます!」 自分から話し掛けるのも慣れている。 「す、すみません……! 声を掛けるつもりじゃなかったんですが……。でも、本当に本物のキョウヘイさんなんですね」 ニコニコ笑って会話をするのだって慣れている。だって自分は、みんなが憧れるポケウッドのスターだから。 ああ、違う。全部嘘だ。名前を呼ばれると自分が何かしたかと思ってドキドキしてしまう。自分から話し掛けるのなんて、緊張するから大嫌いだ。会話なんて以ての外。 僕は人と関わるのが苦手だった。 人が嫌いなわけじゃないんだ。みんなと仲良くしたい。でも、もし嫌われてしまったら。いつもそればかり考えてしまう。そう、本当の僕は臆病で暗いダメなやつなんだ。 知らない人と話すのはいつも緊張して、嫌われないように精一杯明るく振舞って。そうしていれば大抵はみんな、僕のことを明るくて活発な少年だと好意的に見てくれた。 僕が本当は根暗な奴だと知っているのは、家族の他には幼馴染のメイやヒュウ兄と、それから僕のポケモン達くらいだ。 「映画はそんなに詳しくないんですが、キョウヘイさんの出ている映画は何本か見たことがあります」 「そうなんですか、ありがとうございます!」 旅の途中でたまたま出演したポケウッドの映画がヒットして、それからもどんどん新しい作品に出演させてもらえることになった。ポケウッドで演じるのは楽しかった。本当の自分とは違う自分を演じられるから。映画の中なら、本当の自分とは違う、明るい自分も強気な自分も躊躇いなく演じられる。 だんだん人気が出てきて有名になってくると、こうして声を掛けられることも増えてきた。といっても、この人は声を掛けるつもりはなかったようで、見覚えのある僕の名前を呟いただけみたいだ。 「演技がお上手で、とても面白かったです。これからも頑張ってくださいね」 「あ、ありがとうございます……!」 それにしても綺麗な人だ。ただでさえ会話するのは苦手なのに、余計に緊張してしまう。僕なんかよりこの人の方がずっと役者に向いていそうな容姿だもんな。 「映画に詳しくない方にまで知ってもらえてるなんて光栄です!」 「お友達がポケウッドに出演しているんですが、それにあなたが主人公役で出ていたので。確か魔法の国と不思議な扉ってタイトルの……」 「あぁ、あの作品ですか! え、じゃあ友達って……」 「ええ、ナツメさんです」 ジュジュべ役のナツメさんと友達なのか。あの人の本業はジムリーダーのはず。そんな人と友達なんて、華やかな見た目からしても、この女性は凄いリア充なんだろうな……。 「ナツメさんと友達だなんて、凄いですね」 「そんな、私はただナツメさんに仲良くしてもらってるだけですから……。色々な映画に出ているキョウヘイさんの方がずっと凄いです」 彼女は見惚れてしまうような優しい笑みでそう言った。でも、そんな目で見ないでほしい。僕はただ、自分を偽って、理想の自分を映画の中で演じているだけなのに。 いや、そんなことは言わなきゃ分からないんだ。 もう会うことはないだろうこの人に対して偽る必要なんてないけれど、何となく本当の自分を見せたくなかった。これは見栄、なのかな……。 「それと、キョウヘイさんのジャローダ、とっても強いし綺麗だし、感心しました。コンテストで見てみたいくらいです」 「え……」 こうしてポケモンのことを褒められたのは初めてかもしれない。声が出ないくらい驚いて、そして嬉しかった。 自分の演技を褒められるのも嬉しくない訳ではないけれど、それは本当の僕じゃないから正直複雑だった。演じるのは好きなくせに、それを褒められるのは好きじゃないなんて変な話だとは思う。 でもポケモンのことは違う。偽りない僕が育てた大事なポケモン達だ。彼らは僕の本当の性格も理解していて、それでもついてきてくれた良い子達なんだ。 バトルはメイやヒュウ兄に負けちゃうからきっと才能はないんだろうけど、ポケモン達を認めてもらえるのは、僕がこれまでやってきたことが認めてもらえたような気がして純粋に嬉しかった。 ああ、この人ともっと仲良くなりたいな…… 「えっと、コンテストって何ですか?」 「あ、イッシュでは行われていないんでしたね。ホウエンやシンオウで行われているイベントで、ポケモン達の見た目や、技を使ったアピールなどで魅力を競うんですよ。コンテスト専門のトレーナーもたくさんいます」 「へぇ、自分もいつか出てみたいです!」 最大限の勇気を振り絞って、何とか会話を繋げていく。この人もまさか僕がこんなに緊張しながら会話しているなんて思ってもいないだろうな。ただ人と会話をすることが、僕にとっては映画の撮影よりもずっと緊張するんだ。 「あ、あの……お名前、教えてもらってもいいですか……?」 「そう言えば、名乗りもせずすみません。私はリーファです」 「リーファさん、良かったら、その……ポケウッドに、自分の映画を観に来てもらえませんか……?」 今日はこれまでの人生で一二を争う程緊張した。家に帰って寝ようと思っても全く眠気は訪れず、ベッドの上で何度も寝返りを打ちながら今日のことを思い出した。 普段の自分であれば、あんなに積極的に会話を続けることはなかっただろう。ましてや他人の連絡先を聞くなんてこと……。 リーファさんとの繋がりをあの場で終わらせたくなくて、何かに取り憑かれるように映画を観に来てほしいと頼んだ。でも、僕の最新作はリーファさんが既に見てくれていた作品だったことに気付き、頭を抱えたくなった。 焦りから今にも素の性格が出そうになるのを抑え、新作ができたら連絡するからと言ってしまい、更に慌てた。 よく考えたら、他人の連絡先なんて自分から聞いたことがなかった。僕のライブキャスターに登録されているのは、相手から教えてもらった人しか登録されていない。つまり、幼馴染達やポケウッドの関係者の連絡先くらいしか入っていなかった。 しかし、リーファさんは少しだけ目を見開いて驚いた顔をした後、ライブキャスターを取り出した。迷惑じゃないかとおどおどしていた僕は信じられない思いでその様子を見ていた。何と言って連絡先を交換したかもよく覚えていない。 でも、確かリーファさんは、ライブキャスターを買ったばかりで、僕が初めて交換する相手だと言っていた。僕と連絡先を交換できるなんて夢みたいだ、とも……。 「どうしよう……ヤバい、嬉しすぎて演技どころじゃないよ……」 駄目だ、しっかりしないと。リーファさんには情けない自分を見られたくない。大丈夫、今まで通り、やるだけだ。 「Legend of Red?」 「そう! 新作の映画だよ! 是非君に主人公のレッド役を演じてもらいたいと思ってね!」 リーファさんと出会って一週間も経たない頃、タイミングよく新作の主役に抜擢された。また会う口実ができたことが嬉しくて、内容を確認せず引き受けてしまった。この映画が完成したら、勇気を出してリーファさんに連絡をしてみよう。 家に帰って台本を読んでみると、僕はすっかりこの主人公の虜になってしまった。 物語の舞台はカントー地方。ポケモントレーナーになったばかりの主人公レッドは、ヒトカゲを連れて旅に出た。レッドは向上心が強く、正義感に溢れた少年だ。多くの友人に慕われ、所謂カリスマと言われる人間だった。 彼はポケモンバトルの天才で、あっという間に各地のジムを制覇していった。旅の途中で時々出会うライバルのグリーンとは、追いつき追い越されを繰り返す良きライバル同士だ。 順調に旅を進めたレッドは、ついにポケモンリーグに挑戦することとなった。それまでとは比べ物にならない強さを誇る四天王達。四天王の中でも最も強いドラゴン使いのワタルをついに破ったレッドは、チャンピオンと対面した。 チャンピオンは、それまでずっと競ってきたあのグリーンだった。これまでの戦いとは違う。一瞬でも気を抜けば一気に叩き潰されそうなほど強靭なグリーンのポケモン達。 しかし、レッドは全く気圧されることなく、冷静に自分のポケモン達に指示を出していった。 そして遂に、レッドはグリーンの最後の手持ちポケモンを倒した。 チャンピオンに君臨したレッドは、すぐにその地位を手放すことを決めた。より高みを目指すために。より強い相手を探すために。レッドはポケモンリーグを後にして修行の旅に出た。 そしてエンディングと共に映るのは、霰の降るシロガネ山の山頂に一人佇むレッドの後ろ姿。 「か、格好良い……!」 この映画は実話を元にして作られた話らしい。ライバルのグリーンも実在の人物で、今はトキワシティのジムリーダーをしているそうだ。驚いたのが、そのグリーンさんが本人役で出演するらしいことだった。共演なんて緊張する……。でもナツメさんとも何とか無事に撮影できたんだし、大丈夫なはず。それに何より、レッド役を演じてみたい。 「グリーンさん、ありがとうございました!」 「いや、こちらこそ楽しかったぜ」 撮影は順調だった。撮影が進むごとに、自分が本当にレッドになれたような気がして、気分が高揚していくのが分かった。そんなテンションだったからか、クランクアップの後に自分からグリーンさんに話し掛けることができた。 「自分、レッド役を演じられて感激です! レッドさんって本当に格好良いですよね! 自分もあんな風になりたいっス! グリーンさんはレッドさんと幼馴染なんですよね? 連絡を取ったりされるんですか!?」 「まあな。アイツは唯一無二の俺の幼馴染だからな」 「やっぱりそうなんですね! もし! もし良かったらなんですけど! レッドさんに自分のことを紹介してもらえませんか!?」 「……それはできない」 「え、な、何でですか……? 絶対に失礼のないようにしますから、何とかお願いできませんか!?」 「少なくとも……、お前が映画の中のレッドに憧れている内は、アイツに会わせるつもりはない」 ショックだった。でも、仕方がないかとも思った。僕なんかがレッドさんのような凄い人に会えるはずがない。所詮は役を演じさせてもらっただけで、レッドさんに近付けた訳じゃないんだ。 そんな気分ではリーファさんに連絡するのも躊躇われたけれど、やっぱり諦めきれなくて連絡を取ってしまった。 リーファさんは喜んでくれて、すぐに観に行くと言ってくれた。本心でも、本心じゃないとしても、優しい人だ。 「どうでしたか、自分の新作……?」 「ええ、とっても格好良かったわ、キョウヘイ君」 信じられないことに、映画を観てもらった後に、一緒にご飯を食べないかと誘われた。そこで敬語はやめてほしいとお願いしたから、少しだけリーファさんとの距離が縮まった気がする。 恐る恐る映画の感想を聞いたら笑顔で格好良いと言われ、舞い上がってしまいそうになった。 あの場面が良かった、あのシーンに感動した。そんなことを話しながらレッドのかっこよさを語り合った。何故だかリーファさんはレッドがかっこいいとは言わずに、僕のことをかっこいいと言ってくれた。僕はただ台本に描かれたレッドさんの真似をしているだけなのに……。 でも、それでも……少しだけ、本当に映画の中のレッドのような性格になれた気がした。 リーファさんはカントー出身らしい。だからあの映画も気に入ってくれたのかもしれない。カントーに帰ってしまうことを知った僕は、勇気を出してもう一度リーファさんに会いたいとお願いをした。 予想以上に快く承諾してもらった時には思わず腰が抜けそうなほど驚き、同時に嬉しかったが、持ち前の演技力で平静を装った。 何でもリーファさんは色々な地方を飛び回っているらしく、また1か月後にはイッシュを訪れるそうだ。その時に会いに来てくれると言っていた。 だからそれまでに頑張って練習して、レッドの演技が素の自分であるかのように体に染み込ませておかないと。だってリーファさんはカントーに帰る前に言ってくれたんだ。 「俳優として一生懸命頑張っているキョウヘイ君のこと、本当に尊敬してるの。あの映画の中のレッド……キョウヘイ君がモデルなんじゃないかって思うくらい、ピッタリだった。私も、キョウヘイ君みたいになれたらなって……そう思っちゃった……」 演技じゃなく、本当にレッドのような性格になれば、僕もみんなに好かれるのかな? ……いや、みんなに好かれなくてもいい。 リーファさんにだけ、好ましく思ってもらえればそれでいいんだ。 リーファさんはレッドを演じた僕のことを褒めてくれた。きっとリーファさんはこういう男の人が好きなんだろう。 自分の本当の性格なんて今更変えられないけれど、大丈夫。僕は演じるのは得意なんだ。ポケモンを育てるのも、友達を作るのも、ヒュウ兄やメイより苦手だけど、演じるのだけは絶対に負けない。ずっとずっと演じ続ければ、それが僕の性格だって誰もが認めてくれるはず。 リーファさんも、僕がレッドみたいな性格の人間だって思ってくれる。きっと、気に入ってくれる。 ああ、早くリーファさんに会いたいな…… |