潤沢な研究費に少佐相当官の地位 様々な特権を与えられた数少ない国家錬金術師 そんな大総統に忠誠を誓った俺達を縛るモノ それは銀に光る狗の証だ 15.銀時計 気分は最悪だった。原因は言うまでもない、当然学校でのことだ。少し前から桐生は変わってしまった。まあ、あれが素の性格なのだろうけれど。そして、それと同時に優里亜も変わった。二人は常に睨み合っている。大袈裟かもしれないが、気を抜いたら殺される、くらいの険悪な雰囲気だ。 そんな二人の様子は気になるが、今の俺は余計なことを考えている暇はない。明日は都大会があるのだ。氷帝がこんな所で負けるはずはないが、一応調整くらいはしておかなければ。 「もしかして、亮……?」 「はぁ?」 「やっぱ覚えてねぇか」 考え込んでいたせいで周囲に意識がいっていなかった。俺を呼び止めたのは、整った顔立ちをした黒髪の男だ。俺より少し年上に見える。その男は親しげに俺に話し掛けてきた。どこかで会っただろうか。知らない奴ではない、気がする。 「ほら、お前が幼稚園に通ってた時、近所に住んでた……」 「もしかして魁か!?」 「そうそう! 覚えててくれたか!」 随分と驚いた。俺が幼稚舎に通っていた頃に仲の良かった魁とこんな所で再会するなんて。魁は俺より二歳年上で、よく一緒に遊んでもらった覚えがある。確か俺が幼稚舎を卒業する前にどこかへ引っ越してしまったはずだ。 「ホント久し振りだな! もう八年以上経つのか。そうだ、跡部とジローのこと覚えてるか? 岳人、は知らないか。みんな同じテニス部なんだぜ!」 「あぁ、みんな今も氷帝なのか。今でも仲が良いみたいで良かった」 「跡部は幼稚舎ん時に海外行っちまったけど、中等部で戻って来たんだ。俺もまさかこんな長い付き合いになるとは思ってなかったんだけどよ。もはや腐れ縁って感じだぜ」 時間はあるというので、近くのファミレスに入ってお互い積もる話をした。どうやら魁は最近こちらに帰って来たらしい。ずっと外国に居たお陰で益々英語がペラペラになったと自慢された。 「へぇ、お前犬飼ってるのか」 「大型犬なんだけどよ、これが結構可愛くてさ!」 会えなかった期間が長いので話題が尽きることはなく、何年か振りに会ったはずなのにまるで前からずっと一緒に居たように話が弾む。内容はどうでも良いようなことがほとんどではあったが、お互いの近況を聞くのは楽しい。 魁との再会により、最悪だったはずの俺の気持ちが最高に良くなっていたことは間違いない。何となく、久し振りに心の底から笑った気がした。 「あ、悪い。残念だけど俺そろそろ行かねぇと。亮、また話そうな!」 「こっちに居るってことはまた会えるんだよな?」 「あぁ、近い内にまた遊びに行くよ。必ずな」 もう少し喋っていたいと思ったが、魁は用事があったらしくそのまま帰って行った。一人になった俺は時計を見ながらこの後どうするかを考えた。 まだ時間も早いし予定通りストリートテニス場にでも行こうか。そう決めてしまえば善は急げだ。すぐに俺も会計を済ませて目的地へと足を進めた。 「そう言えば……」 歩きながらふとグリップテープを買おうと思っていた事を思い出した。少し遠回りをする事になるが、せっかく外に出たのだからついでに買っておきたい。俺は道を逸れて駅前へと向かった。思えばその行動こそが、これから起こる非日常への引き金だったのかもしれない。 「あれ、あんな所に人混みが……何かあったのか……?」 ストリートテニス場への最短経路からは少し外れるが、駅前で先に買い物を済ませることにした俺は、店の立ち並ぶ人通りの多い道を歩いていた。今日もいつも通り人は多いが、どうも少し様子がおかしい。明らかに一ヶ所に人集りができている。位置から考えるとあそこは恐らく銀行の近くだ。好奇心のままに俺はそこへ向かっていった。 「危険ですから下がってください!」 警察官が叫びながら集まる人を必死で制止している。パトカーも何台か待機しているようで、何か良からぬことが起きているのを如実に表していた。近くに寄ってみればやはり銀行前だったので強盗か何かかもしれない。物騒だなと思いつつも野次馬根性で近付いて行けば、そこで僅かに聞こえたよく知る声に意識を奪われてしまった。 「危ねぇって……くん……」 「大丈夫だ、心配するな」 人集りの向こう側、丁度俺からは反対の離れた位置から僅かに聞こえる声。姿は見えないがその声には聞き覚えがあった。いつもは寝惚けている癖に、決まってテニスをしている時だけは興奮したようにハイテンションで走り回っている同朋の声だ。珍しく焦ったような口調なので確信はできないが、まず間違いないだろう。 そして俺はジローが引き留めるように呼んだ彼の連れであろう人物の名を聞いて驚愕した。ジローが悠輝君、と言ったのだ。ジローの言う悠輝と言えばあの桐生悠輝しか考えられない。返答した相手、つまり桐生の喋り方がいつも違うとかそんな事はどうでも良いが、一体何の話をしてるんだ? まさかとは思うが……。 「あっ君! 危ないから離れなさい! 待ちなさい! おい、誰か彼を止めろ!!」 警察官の焦る声。ざわめく野次馬達。嘘だろ? 銀行に突っ込む気か? 頭が良いはずなのに何を考えているんだ。 だが、そんな心配は一瞬にして頭から消え去った。次の瞬間には俺の脳内は全く別の思考で一杯になったからだ。 「あの男……まさか……」 目に映ったのは群集から躍り出る煌めく金色。目で追い、それだけでは追い付かず人の群を割って身を乗り出す。そして自分でも信じられない程食い入るようにその金色を見つめ続けていた。 「悠輝……?」 過去の記憶がフラッシュバックし、俺はやっと思い出した。彼が誰なのかを。名前すら隠していなかったのに、何故気付けなかったのだろう。ずっと昔の記憶だから忘れてしまっていたのかも知れない。だが偶然、本当に偶然思い出せた。彼に会ったのが運良く今日だったからだろう。 ふと我に返って銀行内を覗き見ると、覆面を被った二人組があっという間に取り押さえられていた。呆然としながら見ていた悠輝の身のこなしは並の人間とは全く違い、明らかに慣れていることを窺わせている。 「ジロー……」 「し、宍戸……!?」 「今の……あの桐生悠輝、だよな?」 ジローは俺がこの場に居ることに驚いたのか、明らかに焦った顔を見せている。本人に言えば怒るかもしれないが、起きている時のこいつは非常に分かりやすい。今は大方、俺がまだ悠輝を敵視しているとでも思っているんだろう。 「そうだって言ったら……どうする?」 「確かめたい事がある」 静かな口調で思わぬ切り返しを受けて驚いた。だが、今の俺にとってそんな事はどうでも良かった。それより何より、俺はどうしようもない後悔の念に駆られていたんだ。何年間も一緒に連んできたジローが俺にあんな目を、あんな憎むような視線を向けてきた事なんて今まで一度たりともなかったのに。 「誤解してた……」 「宍戸?」 「俺、桐生のことを誤解してた。今だって危険を顧みず強盗を捕まえに行っただろ? 正直、なんて無茶なことするんだって思うけど、そのお陰で人質は誰も怪我をしてない。そんなあいつが理由なく相手に手出しするはずねぇよな。そんな事も考えられなかったなんて、激ダサだぜ……」 ジローは一度驚いた様な表情を見せたが、すぐさま俺に笑ってみせてくれた。本当にこいつは分かりやすい。そしてそれが救いだった。俺はジローの目の前で悠輝を見放す発言をしたと言うのに、また俺を受け入れてくれるなんて。その優しさに感謝はするが、同時にそんな簡単に人を信用してしまうジローが心配でもあった。 「言っとくけどさ、俺宍戸じゃなかったら多分許してねぇよ。宍戸は完全には悠輝くんを見捨て切れてなかったじゃん? だから、ちょっと悩む時間が必要なんだって思ってた」 「ありがとな、ジロー……」 「いいってことよ、亮ちゃん!」 しかしその心配は杞憂だったらしい。俺の考えに気付いたらしく笑顔のままきっぱりと否定する強さに感心した。昔の愛称で呼ばれ、こいつと幼馴染で本当に良かったと思った。 俺達がそんな事を話している間に犯人は警察に身柄を拘束されたらしい。警官達が悠輝に駆け寄る。感謝しつつも危険な行動に注意をしているらしい。そして気付けば、事件を知った地元のテレビ局や新聞社などの報道陣も僅かだが集まってきていた。犯人逮捕に貢献した市民、つまり悠輝を撮影しようとしているのかも知れない。 「あ、悠輝くんが出てきた。良かったー、怪我はしてねぇみたい」 銀行から出てきた悠輝を見てジローと一緒に安堵したが、当の本人はマスコミを見て眉間に皺を寄せている。それらを避けるように警察官へ近付くと、ポケットから何かを取り出した。 指の隙間から僅かに見える銀色。それを警官にだけ見せてカメラを指差しながら何かを説明するように告げると、警官達の困惑を余所にさっさとその場を立ち去って行った。一刻も早くその場から離れたかったのか、一緒に行動していたはずのジローさえも置いて行ってしまったのを見て、何ともジローが不憫だとぼんやり考えた。 「し、宍戸! 行こう!」 「お、おう」 突然の事に呆然とその場に立ち尽くしていた俺達だが、はっと我に返り慌てて悠輝を追い掛けるために走り出した。危うく見失う所だったが何とか見付けて黙って悠輝の後ろを付いて行く。 ついて来るなとは言われないが何か話し掛けて来る訳でもないので、どうしたものかとジローと顔を見合わせるしかできない。仕方なく黙って大人しく歩いていた俺達だが、人が疎らになった所でジローがおずおずと口を開いた。 「あのさ悠輝くん……さっき見せてた物って……」 見事な金髪が映える長身の男は、ジローが俺の目の前で自分の名を呼んだ事に一瞬驚愕したようにも見えたが、俺の様子を見て察したのか、何事も無かったかのようにジローに向き直った。そして再びポケットからその銀色の何かを取り出して自嘲気味に笑いながら言った。 「狗の証だ」 「いぬ……?」 悠輝の掌中に収まっている銀光りするそれは、確かにどこかで見たことがあった。六芒星に何かの生き物が刻まれたその銀色は、記憶によれば上質の銀時計のはず。これを手にする事が出来るのは選ばれたある特定の者だけだ。魁もなりたがっていたその称号は……。 「ああ、国家錬金術師という資格を取った証明なんだ」 そうか、悠輝はなったのか。軍の狗と罵られる、国家錬金術師に。 「何だかしらねぇけど、昨日までの桐生とは全くの別人だな」 銀時計の話題には触れないようにする。俺はただの桐生悠輝のクラスメイトなんだ。しかし、今更だが悠輝はやはり俺のことなんて覚えていないんだろうか。俺も今の今まで忘れていたので言う資格はないが、俺より年上の悠輝ならもっと鮮明に覚えていてもおかしくない。 「この姿を見ても桐生、か。俺のことを覚えてないんだな、亮」 どこか残念そうに苦笑いをしながらも俺を深く射る深紅の瞳。俺は跡部や忍足みたいにポーカーフェイスが得意ではないから、今の状況で冷静な表情をしていられる自信はない。悠輝には気付かれてしまっただろうか。幸いジローは何も気付いていないようで、ひたすら驚いているだけだ。 「え、悠輝くんって宍戸を知ってたの!?」 「亮だけじゃない。慈郎、お前もだ」 「ぅえぇ!? ちょ、俺悠輝くんと会ったことあったっけ!?」 聞けばジローだけでなく跡部も覚えていないらしい。何でも俺達が11歳の時に跡部とはアメストリスで会ったことがあるらしいのだが、跡部本人はその時が初めての対面だと思っているそうだ。確かに二人は悠輝の顔を見たことがあるくらいで、話したことすらないのだから無理はない。 ジローが騒いでいる中、悠輝は小さな声で覚えていない方が良い、と意味深に呟いた。俺にはその真意は汲み取れない。だが、覚えていない方が良いなんてこと、あるはずがないだろう。 「……悪い、慈郎。言ってなかったが今日は少し用事があるんだ。そろそろ帰らせてもらう」 つい先程これに似た体験をしたばかりだ。会ったことがあると言われたり、急に帰ると言われたりして困惑しているジローを済まなそうに見やりながら、悠輝は思い出したように声を上げた。 「明日大会らしいな。二人ともラケットを持ってるみたいだし、一緒に練習でもしたらどうだ? ……じゃあ二人とも、明日頑張れよ。応援してる」 それだけ口早に言い切って颯爽と立ち去っていく男を呆然と見送りながら俺達は何度目になるだろうか、また顔を見合わせた。 「ジロー、取り敢えず行くか? ストテニ」 「あー……そだね」 ジローには悪いが、言わなかったことが二つある。いずれ時が来れば知ることにはなるとは思うが、今言う必要はないだろう。 一つめは、本当は俺が悠輝を覚えていたこと。そしてもう一つは、悠輝が魁の兄であることだ。直接遊んでもらっていた魁のことなら、恐らくジローも覚えているだろう。そうすれば悠輝のことも思い出すかもしれない。 けど、俺だけが覚えていたと言う僅かばかりの優越感に浸らせてもらったっていいだろ? To be continued ... 跡部、宍戸、芥川の三人しか出てませんね。一見この三人が主人公を取り合う感じになりそうな雰囲気なんですが、たぶん誰も報われないでしょう。 |