刻まれた証

□22.駆引き
1ページ/2ページ


お前を追い詰めるためならば、腕の一本すら惜しくはない

それで俺の復讐が成功するのなら

終わらせることができるのならば

22.駆引き


「冴島優里亜、貴様をアメストリスでの軍関係者連続殺人事件に関する殺人罪及び死体遺棄罪の容疑で逮捕する」

 予想もしない余りにも荒唐無稽なその言葉に、誰もが微動だにせずその場に固まっていた。優里亜が殺人だなんて、この人は何を馬鹿げたことを言っているんだろう。優里亜は小さな虫だって殺せないような優しい女の子なのだ。太陽が西から昇ろうが有り得ない。

「やだ、先輩でも冗談言うんですね?」

 ほら、優里亜だっておかしそうに笑っている。その笑顔がどこか引き攣っているように見えたのはただの気のせいに決まっている。全く桐生先輩は一体何を考えているんだ。彼女が殺人だなんて、そんな。早く冗談だと言って下さいよ。ねぇ、早く。早く言えよ。

「逮捕状は既に取ってある。お前に拒否権はない」

 お願いですから、やめて下さい。一片の迷いも躊躇いもないその自信に満ちた喋り方。周囲の敵意を物ともしない凛とした態度。そんな先輩を見ているとどうしても思い出してしまう。あの日会った彼の人を。重ねてしまう。信じたくなんてないのに。

「おい、大丈夫か鳳? 顔色悪いぞ」
「あ、あぁ日吉……。うん、大丈夫だよ……」

 あのキラキラと光る金色の、たった一度だけ会った憧れの人。それが憎んでいたはずの桐生先輩だなんて、そんなことはあるはずがないのに……あって欲しくないのに。でも、俺はあれからずっと考えていた。初めて会った気がしないと思った理由を、考え続けていた。答えは今、ここにある。

「ちょ、ちょっと……! 来ないで下さいっ……!」
「まだ白を切るつもりか? いい加減諦めろよ」
「先輩こそ! 何を訳の分からないこと言ってるんですか!?」

 優里亜のあの目、あの時美咲先輩に向けていた物と同じだ。でもあの時とは俺の中での印象が違う。今までのように優里亜を守りたい一心で彼女を見れば、本当は怯えているにもかかわらず、果敢に立ち向かう健気な姿に見えたのかもしれない。

 しかし、一度でも桐生先輩とあの人を重ねて認識してしまった後では、その姿さえも偽りなのではないかと思えてしまう。この人さえいなければ優里亜も、そして俺もこんなにも苦しむことはなかったのに。どうして貴方に出会ってしまったのだろう……。

「桐生! さっきから何ふざけたこと言ってんだよ! お前頭おかしいんじゃねぇの!?」
「Watch your mouth! 貴様ら、口を慎め! 中将を愚弄するような言葉を発すれば、ただでは済まないぞ!」

 誰かの罵声に応えたのは桐生先輩とは違う男の声だった。その男の見た目通り、最初に使った言語が英語だったので困惑している人も多い。

 突如俺達の前に現れたのは、まるで軍服のような青い服を纏う男。いや、実際あれは軍服なのだろう。よく見れば階級を表す肩章が付いている。流石にこの男性の地位までは判断できないが、後ろに何人かの軍人を従えていることからきっと高い地位なのだということは分かる。

 違う、そんなことはどうでもいいんだ。重要なのはこの軍人が俺を苦しめる事実の証明でしかないということだ。

「中佐、思ったより早かったな」
「はい。中将のお手間を少しでも減らすため、早めに参りました」
「そうか、それはありがたい」

 中佐と呼ばれたこの軍人は、明らかに桐生先輩に従っている。あまつさえ中将と呼んで敬っている。
 この間俺より一学年上に編入してきて、テニス部のマネージャーになった先輩。そして優里亜にイジメを行っていた憎むべき先輩。そのはずだった。
 どう考えても一致しないじゃないか。でも、それでも、もう疑う余地がない。桐生先輩はアメストリスの軍人で、中将の地位を持っている。

「な、何なんだよ一体……!? 訳分かんねぇよ!」

 誰かが叫んだ台詞はまさに俺が心の中で繰り返し続けていたものだった。余りに突拍子もないことの連続に頭がついていかない。けれど、桐生先輩の正体を確信せざるを得ない状況になった今、どうしようもなく辛いもう一つの推測が事実として確立してしまう。それは即ち、優里亜に掛けられた疑いを受け入れると言うことだ。

「中将、あのガキどもを黙らせますか?」
「いや、いい。素性を隠していた俺にも非がある」

 窘めるように静かに言った桐生先輩を見た俺は、無意識にゴクリと唾を飲み込んだ。何だこの感情は。心のどこかでは既に確信しているはずの彼の正体を、実際にこの目で確かめたい。あの鋭く燃え滾るような紅蓮の瞳をこの目に焼き付けたい。そんな風に徐々に高揚していく心とは裏腹に、この男があの人であってほしくないと願っている自分もいる。
 自分の葛藤に収拾をつけられない間も桐生先輩は続きを話すのを待ってはくれない。

「何人かは知っているが、俺の本名は桐生ではない。五十嵐だ」

 いつもより低い声に背筋に鳥肌が立つのを感じた。五十嵐と聞いて反応をする人間は俺だけではないはずだ。その名字は決して忘れようがない。まさかこの人は、美咲先輩の……?

 大声を出している訳ではないのに圧倒的な威圧感を放つその声。これが常に命を危険に曝している軍人と一般人の違いなのかもしれない。

「国家錬金術師の五十嵐悠輝中将、やろ?」

 ふいに忍足先輩の声が聞こえてきた。忍足先輩は知っていたのか。俺は本当に自分が無知だったことを思い知らされる。桐生先輩、いや、五十嵐さんが普通の中学生でないことは何となく気付いていたし、そもそも先輩は一度錬金術を見せていたではないか。初めて見たから分からなかったなんて言うのは言い訳だ。愚かな俺は、調べようと思えば調べられたのにそれをせず、自分に都合のいい情報以外は何も知ろうとはしなかった。ただただ彼を憎んでいただけの子供だった。

「何も情報がない状態からよくそこまで調べたな。確かに俺は国家錬金術師資格を有している。階級は中将、二つ名は調和だ」

 漆黒の髪に添えられた手がふっと下に動くと、眩いまでの金糸が露になった。次いで外された眼鏡は遮っていた紅蓮の輝きを開放させた。
 俺の渇望していたあの金と紅蓮が数歩足を動かせば届く距離にある。俺が持たないその色と輝きに、どうしようもなく魅了される。

「そんな高官が自ら出てくるとは、俺らにはもう優里亜を庇うことすらできへん訳やな」

 それどころか下手に動くのは自分の首を絞めるだけやろうな、と少しトーンを落として呟いた忍足先輩。先輩は俺の方など全く見てはいなかったが、その言葉がどうにも俺に対して言っているように聞こえ、ひたすら口を噤むしかできなくなった。

「物分かりがいいな。……もう一度だけ言おう。冴島優里亜、貴様を殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕する」

 とうとう優里亜が表情を変えた。怯えた目からギラギラと鋭い目で睨みつけるように。泣き出しそうな弱々しい声から狂ったような高笑いへ。
 嗚呼、采は投げられた。

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ