刻まれた証

□23.決着
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疼くような痛みは傷のせいか、それとも心の痛みなのか

神が居ると言うのなら、願わくば俺達に別の運命を


23.決着


「ちっ……今度こそ腹を切り裂いてやるわ……」
「お前じゃ俺は殺せないって言っただろ……」

 痛みのせいで動きが止まっている間に冴島が再び腕を振り上げている。流石にこれ以上怪我を負わされるのは御免だ。近付いてきた所で隙をついて腕を捕らえ、そのまま腕を強く引いて腹部に蹴りをお見舞いしてやった。

 あれほどの猛攻をしていたのが嘘のように、意外にもほんの一発でかなり怯んでいる。これだけ攻撃に慣れていても、見た目通り打たれ弱いようだ。攻撃に慣れているからこそ、防御の必要性がないため守りが堅くないのだろう。身体が崩れ落ちるのを見届けてから俺は部下の方を見遣った。

「その女を捕まえろ!」

 俺の視線の意図に気付いた中佐が部下に命令し、蹲っている冴島を捕らえにかかった。金切り声を上げながら暴れているが、本職の軍人数人を相手に逃げられる訳もない。ふら付きながらも無我夢中で抵抗する姿は最早哀れにも思えてくる。ものの三分もすれば抵抗する力もなくなったのか、冴島は大人しくなった。その目は諦めと絶望で染まっている。

「中佐、ご苦労だったな」
「ご無事で何よりです。ですが、あまり無茶をなさらないで下さい……。すぐに待機させている軍医と監察医を連れて来ます」

 命に別状はないだろうが、未だに血の滴る俺の右腕を見ながら中佐は顔を歪めている。思ったより傷が深いようだ。これは少し不味いかもしれない。

 だが、俺が左腕で身体を庇わなかったのはミスでも油断でもない。あくまで故意だった。ただでさえ片腕を失くしているのに、残された右腕を失うような馬鹿な真似をするつもりはない。

「また随分と無茶をなさいましたね、中将」

 連れられて来た監察医も中佐と同じく苦い顔をし、無茶をするなと俺に言う。至極当然の反応だとは思うが、もう少し俺の力を信用して欲しいものだ。しかし、その気になればここまで酷い手傷を負わずに逮捕できたはずの相手に、こんな深手を負わされたのだから、いくらか心配されても文句は言えまい。

 簡単に言ってしまえば、俺は囮捜査紛いのことをした訳だ。我ながら無茶苦茶なことをしたと思っている。だが、これで証拠も揃った。そう、俺の腕の傷はこの女を捕まえるための、俺が復讐を成し遂げるための、唯一の証拠になる。

「この動物の爪のような物で切り裂かれた傷口……今までの被害者の凶器と同じ可能性が高いですね。本部に戻ってもっと詳しく鑑定すればより正確な結果が出せます」
「ああ、頼む」

 証拠として何枚か傷口を撮影してから医師に応急手当をして貰い、一先ず止血は完了した。だが、写真を撮っている間に思ったより多くの出血をしてしまった。帰ったら鉄分を摂らなければと悠長に考えながら中佐が拘束している冴島に目をやる。するとすぐに俺の視線に気付いたらしく、射殺されそうな程の殺気を向けられた。

「哀れだな……」

 本当に哀れだ。人を殺め過ぎたこの女は、普通に考えれば間違いなく処刑されるだろう。だが、それならまだましな方かもしれない。この女の場合、実験台として死ぬまでモルモットにされる可能性だって大いに有り得る。そうなれば死ぬより辛いのは言うまでもない。

「全部軍人共が悪いのよ……」

 俺の声が聞こえたのか、相変わらず殺気を向けたまま呟かれたその言葉。今までの覇気が完全に失われ蚊の鳴くような声ではあったが俺にははっきり届いた。

「もう十年以上も昔、お前らアメストリスの軍人は、イシュヴァール人の一人の少女……私の大切な友人を射殺した。私達は軍に反旗を翻し、それから長い長いアメストリスとの戦争が始まった。なかなか私達を鎮圧できないアメストリス軍は、痺れを切らして一気に終わらせようとしたのよ。それが約六年前の国家錬金術師投入による殲滅戦」

 女が俺を見る、次に言われる言葉は分かっていた。咎める目に返す言葉はない。

「私、知ってるわよ? 当時国家錬金術師になったばかりの13歳でしかなかったアンタも、殲滅戦に参加したんでしょ? 殺戮と略奪の限りを尽くすアメストリス軍を相手に、私達イシュヴァール人の抵抗なんて無意味に等しかった。気付いた時には、家族も、友達も、誰も残っていなかったわ……。逃がしてもらって運よく生き残った私も結局は軍に捕まったんだから、全く救いようがないわね……」

 敵兵に捕まった捕虜の道は決まっている。収容所で殺されるか、女であれば所謂慰安婦にされるか、そんなところだろう。だが、当時の軍は第五研究所で合成獣を作るための実験台を欲していた。中央刑務所から連れてきた死刑囚や情報漏洩を防ぐためと称して犠牲になった特殊工作部隊員だけでは足りずに、捕虜にしたイシュヴァール人すらも実験の材料にしたのだ。

 本来褐色のはずの彼女の肌は、色素を失い最早面影がない。恐らく錬成された時に色素胞に変化が生じたんだろう。白人より多少濃いその色は黄色人種のそれに近い。だから日本を選んだのかもしれない。

「お前のそのイシュヴァール人とは掛け離れた肌は……」
「そうよ国家錬金術師。仕組みは知らないけれど、合成獣にされた後、気付いたらこうなっていたわ」

 やはりそうか。後は言うまでもない。グリードやマーテルらと共に第五研究所から脱出した冴島は、あの傷の男をも凌駕しそうな勢いで軍人殺しを始めた。国家錬金術師を殺すことを目的としているスカーに対し、軍人であれば誰でも無差別に葬っていった分、たちが悪いとも言える。

「だけど私は、お前ら軍人とは違う……! 私達イシュヴァールの民が何をした!? 私は討たれた仲間の仇のために戦ったまでよ!」
「違わないさ、お前も、俺も」

 女は怒りからか悔しさからか、それとも仲間の仇を討ち切れなかったことからか、悲痛に歪められた面持ちで、黙れ、違うと叫んだ。その姿はまるで俺の心を表しているようで居た堪れない。

 もしも神と言うものがこの世に存在するとして、その神が俺とこの女の運命に悪戯をしたならば。そうなれば俺達の立場は真逆になっていたに違いない。



「俺達は所詮、人殺しなんだ」

 俺が初めて人を殺めたのは13の時で、殺した男は全く面識のない人間だった。
 殲滅戦が行われ、内戦も殆ど終わりを迎えていたある日、その男を殺せと言う余りにも単純で残酷な命令を上から受けた。理由はもう覚えていない。確かイシュヴァールとの内通者だとか、そんな理由だったように思う。

 駆出しの俺には当然命令に対する拒否権などない。国家錬金術師になる前から、殺される覚悟も、そして殺す覚悟もできていたはずだ。だが、すぐにそんな覚悟は何の役にも立たないことを思い知らされた。

 初めて人を殺したその夜は、瞼を閉じると男の末路が浮かんできて全く眠れなかった。男の断末魔が幻聴になって聞こえ、必死で耳を塞いだ。それでも消えることはないその哀れな男の姿や悲鳴。当時の俺は自分のしたことの重大さに耐え切れるほどできた人間ではなかったんだろう。

「ああ、俺は試されたんだ、と思ったよ。年端も行かない餓鬼に本当に軍人が……国家錬金術師が務まるのか、上層部は試したんだ」

 その男を殺害した後は俺もイシュヴァール殲滅戦に参加した。何人殺したか分からない。罪悪感や自責の念に駆られて精神的に追い詰められる毎日だった。
 だが、ある日俺は唐突に気付いてしまった。そんな感情よりもずっと恐ろしい一つの事実に。

「自分が明らかに殺しに慣れてきていることに、な……」

 回数を重ねる毎にその事実は俺に新たな罪悪感を与えた。それは殺人という重罪を犯しているのに罪の意識を感じていないことに対する嫌悪感だ。
 戦場は人を狂わせると言うが、俺は周囲の人間とは違った理由で狂いそうだった。

「唯一救いだったのは、あの場でそんなことに気付く者は決していなかったことかもしれない」

 一通り言いたいことを言い切って黙り込んでいると、女が力なくかぶりを振った。私は違う、そう呟きながら。確かに彼女は俺とは違う。罪のない人間を軍の命令に従って殺す軍人達と一緒くたにされては不本意なのも分かる。だが、その先にある結果までは彼女の望み通りにはならない。

「お前も俺も、どこで生き方を間違えたんだろうな……」

 俯せていた顔を上げ、驚いたような顔をする冴島の目には涙が浮かんでいる。程なくしてそれは頬を伝い地面へと吸収されていった。一度堰を切った感情と涙は止まらずに次々に溢れ出す。女ならば声を上げて泣けば良いものを、男のように堪え泣きをしている。抑え切れず口から洩れた嗚咽が酷く痛々しかった。

「……被疑者は自分が連行致しますので、どうか中将は直ぐに病院へ……」

 心配そうに申し出る中佐に、腕は応急処置をしただけだったのを思い出す。意識が腕に戻った瞬間に脈打つような痛みが再び襲ってきた。まだ止血すら完全ではない腕を晒す俺に、心配性な部下は恐らく先程から気が気でなかったのだろう。

「分かった、後は任せる。最後に一ついいか? 優里亜、と言ったな。それはお前の本名か?」
「……ええ、もちろん名字は後から付けた偽名だし、漢字も当て字だけどね。傷の男は名を捨てたようだけど、私は捨てなかった。名は神なんかではなく、親から貰った大切な物だもの。親に残してもらった唯一の物を、そう簡単に捨てられないわ」

 最早イシュヴァラの神など信じていないと付け加えて儚げに笑う。
 一瞬の間があった後、ゆっくり周りを見渡した哀しきイシュヴァールの女は、余りの事態に頭がついていかず立ち尽くしているテニス部の面々を見て淋しそうに顔を伏せた。本当はこんな形でここに来たくはなかったのだろう。部員を騙し続けたのも、全ては居場所を失わないためだ。

「軍人の情報を集めている時に見つけたあなたの情報の中に、あの子の情報もあったのよ。元々アメストリスに住む日本人だったようね。あの子を殺したことは、後悔してる。どうしてあんなことしたのかしら……。私が殺すのは軍人だけと、そう決めていたはずなのに……」

 今のこの女を見て誰が連続殺人事件の犯人だと思うだろうか。俺より長く生きているはずのこの女も、実際は見た目通りの少女に過ぎなかった。彼女に錬成された獣が持つ荒々しい精神面を抑制できず、本能のままに行動して来ただけなのかもしれない。本来なら彼女も軍に人生を滅茶苦茶にされた一人の被害者でしかなかったのだ。

「あなたの言う通りね。本当に私はただ人を殺したいだけの血に飢えた獣だわ。居場所を、やっと見つけた私の居場所を奪われると思ってしまったのかもしれない。……それとも羨ましかったのかもしれないわね。同じ戦争孤児でありながら、あなたに拾われて幸せになったあの子が……。そうそう、ここであなたと初めて会った時、まだあなたが国家錬金術師の五十嵐悠輝だなんて気づいてなかった時、私本気であなたと仲良くなろうと思ってたのよ? 馬鹿みたい」

 この女は最初から分かっていたんだ。復讐だと自分に言い聞かせて軍人を殺し続けるのには何の意味もないことに。それでも止める訳にはいかなかった。止めてしまえば自分の存在意義を証明できなくなる。同胞のためだけに殺し続けてきた自分の行動が、全て無になってしまう。
 そうやって一人で生きてきた優里亜が、何年も掛けてやっと見つけた温かい場所。辛い過去から逃れられない彼女は、またそれが奪われてしまうのではないかという恐怖を感じ、奪われまいと必死だった。

「お前の辛い境遇には本当に同情する。軍の卑劣な行為も、俺のしてきた殲滅行為も、誠心誠意謝罪しよう。だが……俺はお前を、一生憎み続けるだろうな」
「えぇ、そうして。どうか私を永遠に許さないで……私もあなたを許さないから……」

 静かに流れる涙を見ていると、あの日スラム街で声を殺して泣いていた義妹の涙を思い出した。あの時はその涙を止めることができたが、今の俺にはこの女の涙を止めてやることも、そもそも止めてやる気すらなかった。

 お前も俺も、もっと別の生き方があったのだろうか。今となっては神のみぞ知る。


To be continued ...




やっとここまで来ました。連載一本に何年掛けるつもりなんだ自分…。もう終わりそうな雰囲気ですが、もう少しだけ続きます。

 

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