刻まれた証

□26.真理
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何を犠牲にしてでも取り戻したかった命

しかし俺は何も分かっていなかった

死んだ人間を蘇らせるなど、神にもできはしないのに


26.真理


「思わぬ茶々が入ったが……、最後に美咲の話をしておこうか。彼女はアメストリス在住の日本人だったが、両親を例の内戦で亡くした戦争孤児だった」

 美咲とは軍人になって1年ほど経った頃に出会った。生気のない目で遠くを見つめる美咲を見たとき、俺は昔の自分を重ねていたのかもしれない。
 突然一人にされて、生きる意味や生きる気力を見失った姿を見ているのはあまりにも辛かった。偽善と言われてもいい。気付いたら俺はその少女に手を差し伸べていた。

「二年経って精神的にかなり落ち着いた美咲に、俺は母国である日本で暮らすことを勧めてみた」

 俺が仕事でほとんど家にいないせいで、美咲は一人暮らしをしているのと変わらない状況だった。それならアメストリスより治安の良い日本で一人暮らしをしてみてはどうだと提案してみたのだ。
 勿論理由は治安のことだけではない。彼女は元々日本で暮らしていたので日本語の方が不自由をしなかったことや、持っている価値観が日本人のそれだったからというのも理由だ。

 初めは俺に捨てられるのではないかと勘繰って疑心暗鬼を起こしかけていた美咲だが、何度も説明して彼女の安全と自立のためということを理解してもらった。そして、俺は日本の中学に入学する手続きを進めていった。

 美咲は真面目で向上心のある子だったので、折角日本の学校に通わせるなら最低でも大学までは卒業させてやりたいと思っていた。少しでも良い教育をと思い、昔自分が住んでいた家の近くにあった名門と聞く氷帝学園に入学させた。しかし、今思えばそれは酷く短絡的な考えだった。そもそも俺が学校を選ぶ時点で間違っていたのかもしれない。彼女の好きにさせてやれば良かった。これではただの厚意の押し付けでしかない。

「そんなことねぇよ……! 美咲はテニス部でスッゲー楽しそうだった! ……いじめられる前の話、だけど……」

 俺の言葉を否定するように慈郎が叫んだ。しかし、美咲がいじめられていた事実を思い出して最後は声が小さくなっていく。他のレギュラーも唇を噛み締めながら俯いている。いじめていたのがここにいるテニス部の部員達だとは分かっているし、怒りがない訳ではない。しかし、深く後悔しているだろうこの少年たちに、今更憎しみなど抱けなかった。

「でも学校が好きだって言ってた! 親はいないけど、代わりに大好きなお兄さんが通わせてくれてるんだって、本当に嬉しそうに俺に話してくれた! 美咲は本当に悠輝くんに感謝してたんだよ……」

 慈郎が捲し立てるように言うと、そうだなと周りから小さな呟きが聞こえてきた。美咲は束の間でも学生生活を楽しんでいたのか。彼女が笑えていたのならそれでいい。平和な日本で、最初だけでも笑顔で過ごせていたのなら、それだけは救いだ。

「俺の話はここまでだ。随分長く付き合わせて悪かったな」

 緊張の糸が緩んだのか、慈郎達の表情が先程までの悲痛なものから少しだけ穏やかなものに変わった。景吾や忍足はポーカーフェイスで感情を読ませないようにしているが、それ以外は本当に表情豊かな少年達だと思う。
 きっと聞きたいことは山程あるのだろう。しかし、俺の話の内容が内容なだけに、とても聞けないのかもしれない。


「そう言えばアルはどうしたんだ?」

 話の区切りがついたところでずっと黙っていたエドワードにそう尋ねた。今までそれどころではなかったから気にしていなかったが、思えばアルフォンスの姿が見当たらない。いつもでも一緒に居る二人が離れている所など、そう見られるものではないため珍しい。

「あぁ……ほら、流石にあのままじゃ飛行機には乗れないだろ?」

 無理に笑っているのは一目見れば分かる。確かに乗客としてあのまま飛行機に乗ることは無理だろうし、たとえ身体の疲労がなくとも何時間も掛かる日本まで荷物として乗せるのは余りにも酷だろう。

「そうだな……悪かった」
「いや、今更だろ」

 ずっと険しい顔をしていたエドワードがやっと笑った。薄情者だと言われるかもしれないが、今となっては何年も前に喪った弟よりも、エドワードやアルフォンスの方が俺にとっては大事だった。弟を大切に思っていたのは事実だが、どうしたって今生きている人間とは比較できない。

「……聞いても良いか?」

 会話が途絶えたところで声を上げたのは景吾だった。部屋から出て行くにも出て行けず、状況を完全に理解することもできず、宙ぶらりんな状態で留められていたテニス部員達。彼らには申し訳ないことをしたとは思う。
 ここまで自分の過去をだらだらと語ってしまったのは俺自身だが、正直な所彼らをどう扱っていいか分かりかねていた。だが、ここまで来たら徹底的に話してしまうのも良いかも知れない。

「さっきそこのチビが言っていた……」
「あ、おい……」
「だぁれが顕微鏡じゃないと見えないくらいドチビかぁーッ!!」

 一気に切れて景吾に飛び掛かって行ったエドワードを、驚いた部員達が押さえて宥めている。そして飛び掛かられた本人は案外やる気満々だったらしくエドワードに対抗しようとしていたが、同じく部員に押さえられている。

「……まぁ、この通りだから。身長に関する言葉は禁句で頼む……」

 少し間があってから分かったと呟いた景吾の顔が、若干エドワードを見下すものだったことは本人には言わないでおこうと思う。見下している点はその身長と態度で間違いない。そうなると見下していると言うより見下ろしているの方が正しいかも知れないな、と馬鹿なことを考えてみた。

「それでぇ? 俺の言った何だってぇ?」

 下らない理由でエドワードが景吾を酷く敵視していることは一目瞭然だ。ああ、エド。お前また景吾に見下されてるぞ。そう言ってやりたいが、余計怒るだろうから決して言えない。


「賢者の石、ってのは何なんだ?」

 一瞬のことなのによく覚えていたなと感心する。そして跡部の疑問は忍足も感じていたらしく、俺の返答を待つようにこちらをじっと見ていた。エドワードはどこまで話すか迷っているようだが、俺はここまで巻き込んでしまった以上、全てを話そうと決めていた。

「賢者の石というのは伝説で語り継がれてきた錬金術の術法増幅器で、壊れることのない完全な物質とされる物だ。そこに居るエドとその弟は、ずっとそれを探して旅をしている」

 それは苦難に歓喜を、戦いに勝利を、死者に再生を約束する、血の如き紅き石。人はそれを敬意を持って呼ぶ、―――賢者の石と。

「増幅器っちゅうことは、それがあれば通常よりも高度な錬成や規模の大きい錬成も行える訳やな?」
「そう言うことになるな」

 賢者の石があれば等価交換の法則に囚われず、何かを得るために同等の代価を支払う必要がなくなる。つまり、既に消滅してしまった魂を錬成することもできるということになり、それはすなわち理論上では人体錬成が可能になると言える。

「そんな物が本当に作れるのか……?」

 問題はそこだった。言うべきか言わざるべきか。エドワードは賢者の石の材料を知っているはずだから構わないが、あくまでも一般人である景吾達にこんな事を告げても良いのだろうか。しかし、この少年達が中途半端な説明だけで納得するはずもない。

「確かに賢者の石は作ることが可能だ。ただし、材料として……大量の人間の命が必要だ」
「い、命って……」

 俺の言葉を受け、エドワード以外の全員が同時に息を呑んだ。賢者の石は錬金術師にとって一度は手にしたいと考える代物だ。だが、ほとんどの国家錬金術師は実在するかも分からないその物質を手に入れようとは思わず、探すことも研究することもしない。そんなことをせずとも十分な金と権力と地位は与えられているのだから無理はないだろう。

「それで、そっちの奴はどうしてそんな物を探しているんだ?」

 エドワードを見て訝しそうに聞く景吾。先程までの下らない敵意もからかいもない真剣な問い掛けを受け、エドワードも同様に姿勢を正した。一瞬その瞳が揺れたように見えたのは過去を思い出したからだろうか。

「錬金術は、錬成陣にエネルギーを流して発動させる。錬成陣ってのは基本となる円に構築式を組み入れて作った図形のことだ。錬金術を発動する際、構築式に誤りがあった場合や対価以上の物を錬成しようとした場合、リバウンドと呼ばれる現象が起きる。人体錬成によるリバウンドは、他のどんな錬成よりも強力だ。下手すれば命を落としかねない。」

 自分は右腕と左足を失ったと言ったエドワードは、同情とも恐れとも取れる表情を向けている亮達に追い打ちをかけるよう、続けて弟のアルフォンスは身体を全て失ったと告げた。
 身体を全て失ってなお存在しているという状況が想像できないのだろう。酷く困惑した様子で慈郎が俺に視線を投げかけてくる。人が人を造るという常人には理解し難い行為に加え、大き過ぎるその代償の話は、多感な年齢の少年達には刺激が大きかったのかもしれない。

「俺達は失った身体を取り戻すために旅をしている。その為に国家錬金術師になった」

 強い意志の感じられる琥珀のような金の瞳は迷いなどないかのように輝いている。知りたくなかったであろう真実を目の当たりにしてきた彼らではあるが、根底にある身体を取り戻すという目的だけはいつでも揺ぎはない。

「せやけど、その取り戻すという行為自体がまた禁忌を犯すことになるんやないか……?」

 忍足はエドワードの考えには賛同できないらしい。もっとも、忍足の言うことは正論なのだから否定されるべきではないし、する人間もいないだろう。その証拠に周囲の生徒達は静かに彼の言葉に頷いている。

 エドワード自身も禁忌を犯したことについて責められている訳ではないと分かっていたらしく、気分を害することはなかった。つい先程人体錬成に伴う危険を知ったばかりの彼ら氷帝生は、純粋にエルリック兄弟のことを心配したからこそ反対しているのだ。寧ろ四年間も二人を止めてこなかった俺の方が余程異常なのかもしれない。

「確かに、次失敗すれば俺達は……。それでも俺とアルは元の身体に戻りたいんだ。俺のせいで奪ってしまったアルの眠りを、食べる楽しみを、触覚を……全てを取り戻してやらないといけないんだ……!」

 弟を思う兄の姿に忍足は口を噤み、それ以上何も言わなかった。



「さあ、話はここまでだ。エド、アメストリスに帰るぞ」

 誰もが口を噤んでいる中、雰囲気を壊すように少し強い口調で言った。アメストリスでこれから起こる事態は容易に予測できる。軍のリオール侵攻も近いだろう。あの人がその機会を逃すはずがない。むしろその為にこのリオールでの暴動を意図的に起こしたはずだ。リオールでこれから起こるであろうことや軍の思惑をエドに伝えると、リオールには知り合いがいると言いながら、怒りを押し殺した表情で病室から足早に出て行った。

「悠輝くん……」

 そんなに急がなくても、傷をしっかり治してから帰った方が、と心配そうに言う慈郎達の言葉にやんわりと拒絶を示すと皆一様に肩を落としたように見えた。都合良く別れを惜しんでくれているのだと解釈してみれば、俺自身も少しここを離れるのが少しだけ残念に思えてきた。
しかし、もちろんここに留まることはできない。早急にアメストリスに戻らなければならない。ただ、日本を離れる前に一つだけ片付けておきたいことがある。そのために、景吾にだけ話があると言って他のメンバーには席を外してもらった。

「景吾、悪いが頼みを聞いてくれないか」

 この男に借りなど作りたくないが、一番話が分かり、なおかつそれを頼めるのはこいつしかいない。恐らくこんなことをするのは最初で最後になるだろうと思いながら、俺は景吾に深く頭を下げた。


To be continued ...




やっと過去話が終わりました。次回から舞台がまたアメストリスへ移ります。

 

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