刻まれた証

□28.贖罪
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犯した罪は消せないが、償いくらいはさせてくれ

世界の真理に逆らってでも、今からお前に会いに行く


28.贖罪


 多くの犠牲を出したリオールの崩壊。住民達のほとんどは避難していたらしく、被害者の大多数は軍人だった。それでも情勢は安定せず、状況も明らかに緊迫したものに変わっている。

 当の俺自身は軍に戻ってから不気味なほどに何もないまま、既に一週間が過ぎた。出撃命令も未だ与えられてはいない。そんな状態で考えるのは、エドとアルは無事逃げられただろうか、ということばかりだった。

「失礼します。五十嵐中将、大総統がお呼びです」
「大総統が、な。ありがとう中佐」

 副官は部屋を出る前、いつもより上の空に見えるであろう俺を心配するような表情でこちらを見てきた。それに気づかぬ振りをして、俺は大総統の執務室へと向かう。

「悠輝・五十嵐、大総統の命により馳せ参じました」
「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」

 ジュリエット・ダグラス大尉が俺を大総統の執務室へ招き入れる。大総統秘書官だか何だか知らないが、もっと上手くやれなかったのだろうか。誰かが記録の矛盾に気づくことを考えて、改めてきちんとした軍籍を作り直しておけば良かったのだ。
 そうすれば、ヒューズ中佐を殺す必要もなかっただろうに。本当に惜しい人を亡くした。あの人は、親のいない俺やエルリック兄弟に随分と良くしてくれた。

「秘書官殿、少しいいか」
「何でしょうか?」

 どうしたって錬金術師とホムンクルスは憎み合ってしまう。共存はできないのだろうか。

「あの二人を殺したって、お前の存在は何も変わらないだろう。それでもお前はエルリック兄弟を殺すのか?」
「……大総統がお待ちです、お入りください」

 その場から動かない秘書官に声を掛けてみたが、答えは返って来なかった。彼女が何を思ったかなど俺には分からない。しかし、恐らく迷いはないのだろう。もしもエドワードに迷いがあるのなら、スロウスを封印することはできないかもしれない。



「失礼致します。私にどういったご用でしょうか、大総統閣下」
「いやいや、急に呼び出して悪いね五十嵐中将。まあ、こちらに来たまえ」

 軍部内で一番広い執務室である大総統の部屋に入ると、いつものように無駄に豪華な椅子に大総統が座っている。挑発するように言ってみると、いつものように胡散臭い笑みと軽口で返された。

 しかし、立ち上がった大総統の後を追ってある一室に入ると、それまでの表情が嘘のように、非常に冷酷な表情で前を向いているだけだった。

「突然のお呼び出し、火急の御用とは思いますが……一体何があったのです、大総統」

 わざとらしく声を掛けてみても、大総統はちらりともこちらを向く気配はない。

「……ああ成程、そんなに俺とは話したくないか。ならばプライド、さっさと用件を言え」
「あの方がお呼びです」
「そうか、すぐに行こう。……だが、あの人も今更俺に何の話があると言うんだろうな」

 世間話のように軽い口調で言ったつもりだが、恐らく俺はこの男を蔑むように睨んでいたことだろう。それでも、目の前の男は何も言わないどころか表情一つ変えない。分かっていたことだ。プライドはあの人には協力するが、俺の言うことを聞いた試しはない。俺が裏切らないか、ただそれだけに注意を払ってきたんだ。

 もう俺はそれ以上何も言わず、リオールから連れてきた褐色の少女と一緒に居るであろうあの人、ダンテが待つ地下都市へと向かった。このエレベーターを使うのも今日で最後だ。




「日本から帰っていたのねユーキ。用事はもう済んだのかしら?」

 以前に見た老女の姿とは違い、まだ二十歳前後の若い女の姿で俺に話しかけくてるダンテ。これは一体何人目の犠牲者なのだろうか。そのうえ、身体を乗り換えたばかりだと言うのに少女を一人囲っている。恐らく、もう身体が朽ち始めている。魂が劣化して身体を維持できないのだ。きっと何度同じことを繰り返そうが最早無駄なのだろう。

「ええ、勝手をしてすみませんでした。それで、そちらの計画は……」
「貴方も知っている通りよ。プライドに馬鹿な人間共を追い詰めさせて賢者の石を作らせたわ。後はそれを手に入れるだけ」

 ダンテはもう賢者の石を手に入れた気でいる。それはそうだろう。今まで何百年もそうやって上手く手に入れてきたんだ。普通に考えればきっと今回も成功するだろう。だが、今回は違う。あいつらなら或いは……。

「その女は……?」
「ロゼと言うの。可愛いでしょう? エルリック兄弟が好きそうな容姿だわ」

 薬で意識を朦朧とさせられているのか、初めて見るはずの俺にも全く興味を示さぬまま虚ろな目で遠くを見つめている。きっとエドが言っていたリオールで知り合った少女というのは彼女のことだろう。できれば無事に帰してやりたい。しかし、甘さを消し去れない俺にはダンテを殺すことはできない。エドがアルと一緒に上手く連れ帰ってくれることを祈るしかできないんだ。

「……貴方はまだエルリックに囚われているんですね」
「そうかもしれないわね。でも、私は貴方のこともとても気に入ってるのよ?」
「それは、光栄です」

 俺は結局、自分の罪に囚われてダンテを止めることはできなかった。それどころか協力とも言える行動を取ってしまった。だが、それももう終わりだ。自分のしたことの後始末ぐらいは自分でしないとな。

「ところでダンテ様、お願いがあるのですが。……俺に賢者の石を分けて下さいませんか?」
「……貴方が賢者の石を欲しがるなんて初めてね。どういう心境の変化かしら? まあいいわ、どうせこれだけでは身体を乗り移ることはできないし。何に使うかは知らないけれど、これを持っていきなさい」

 礼を言って受け取ったそれは、禍々しい紅を放っていた。それからダンテは相変わらず俺に何か命令することもなく、俺をすんなり返してくれた。未だにこの人にとっての俺の存在意義が分からない。


 俺は貴女の行ってきたことに決して賛同はできないが、それでも貴女を憎みきることはできなかった。貴女は自分の持つ錬金術の知識を全て俺に与えてくれた。そのうえ、一人になった俺にある種の愛情さえも感じてくれていたことを知っている。そんな貴女を殺すことは憚られた。

 隠しているようだが、その服の下の肉体が腐敗し始めているのも分かっている。もう長くはないだろうその命を精々大切にすればいい。せめて最後は苦しまずに逝けるよう祈っていますから。



 一度執務室に戻った後、今日は早く上がると伝えていつも通り仕事に戻った。しかし、優秀な副官は相変わらず俺が何か隠していることを察し、俺の様子を気にかけているようだった。思えば中佐には本当にいつも心配を掛けてばかりだ。
 国家錬金術師ではないが、既に実力だけで中佐の地位にまで上り詰めたこの男はまだ二十代半ばだ。父親が将軍であり、本人も士官学校出身の中佐は間違いなくエリートであるのだが、わざわざ反対勢力の多い俺なんかの下で本当によく働いてくれたと思う。感謝してもしきれない。

「お疲れ様です、五十嵐中将」
「中佐、お疲れ様」

 いつものようにまた明日、とは言えない。これが本当に最後の別れの挨拶だ。



 予定通り早めに家に帰り、真っ先にベッドに倒れ込んだ。いつ見ても俺の部屋は物がほとんどない。片付ける手間が省けたので、それはそれで良かったと思う。

 暫くそのまま目を閉じてじっとしていたが、すぐに起き上がっていつも通り食事を作った。食事が終われば少し休んで風呂にも入った。寝る為の支度を全て終えても、普段よりもずっと時間は早い。

「明日で七年か……」

 机の引き出しにしまってある小瓶を取り出して枕元に置いた。まだ七年、それとももう七年か。俺にとってはどちらだろう。
 考えるのをやめると自分でも不思議なくらい心が落ち着いた。今日は久し振りによく眠れそうだと、俺は静かに眠りに就くことにした。

 出勤時間になっても家にいるのは初めてだった。わざと時間をずらしたのは途中で軍人に見られたら困るからに他ならない。しかし、実際は自分にそう言い訳をしているだけで、結局は潔くない自分を表した行動だったのかもしれない、と自虐的に結論付けた。

「そろそろ行かないとな」

 いつまでも家に留まっている訳にもいかず、小瓶と賢者の石だけを持って外へ出た。目的地は決まっている。

 司令部のエレベーターから通じる道とは別の道を通って地下都市へ向かう。別の道を通るのは初めてだったが、エドワードも恐らくここを通ってくるはずだろうから、下手に壊さないよう注意しなければと思いながら先へ進んだ。

 暫く歩いて歩みを止めたが、僅に足音が聞こえてくる。自分以外の足音が聞こえるなんて本来ならあり得ない。こんな場所に来る人間は居ないはずなのに。音の聞こえてくる方向が丁度自分の進行方向だったため、歩みを速めて少しずつ距離を縮めた。

「どうしてお前らが……」
「え、悠輝くん!? 何でここに? ていうか、ここどこだか分かる?」

 日本に居るはずのテニス部員がいることに酷く驚愕した。話を聞けば、俺にもう一度きちんと謝罪と礼がしたくてわざわざ日本から会いに来たと言う。それから、先日連行されていったイシュヴァールの少女、彼女が犯罪者だと分かっていても、最後に別れをしたいのだと言った。
 軍に行き俺に会わせてくれと頼んだところ、ある軍人によってここに連れて来られ、この先に居ると言われたそうだ。

「明らかに怪しいとは思ったんだけどなあ……」
「けど、マジで悠輝がいるかもしれないと思うと引き返せなかったんだ」

 向日と亮が困ったように笑いながら言う。

「その軍人、恐らくエンヴィーだろうな。ホムンクルスの一人だ」

 お前らを人質にするつもりだったのか、それとも単に面白がって招き入れてみたのか。そう俺が言うと、少年達は目を見開いたようにして自分達が無事だったことに驚いた。

「この道を行けば外に繋がる通路がある」
「待て、お前はどこへ行く気だ?」
「この先で、終わらせに行くんだ」

 景吾の質問に対する抽象的な返答に少年達は酷く不安そうな顔をした。その中でも一際狼狽していた慈郎が声を上げる。

「俺達も連れてってよ!」
「駄目だ。ホムンクルスというのは、人間じゃない。何度殺しても生き返るし、俺達を躊躇いなく殺すだろう」
「危険なことは分かってる……!」
「それに、今俺達だけで帰っても危険なのは一緒だろ……?」

 懇願するような慈郎に亮が助け船を出した。強情な少年達を無言で見据えるが、諦めの悪さは知っている。たとえ死ぬようなことになっても責任はとらないと言って歩き始めると、それを肯定の意に受け取ったのだろう慈郎達が静かについて来た。


 それ程広くない道を大人数で歩いているため、必然的に縦に並ぶことになる。当然先頭は俺が歩いている訳だが、この通路に入ってから完全に無言のままで歩き続ける俺を見て、次第に慈郎達が不安そうな雰囲気を纏い始めた。

「分かれ道だ……どっち? 悠輝くん」

 ずっと一本道だった通路が分かれ道になっている。慈郎が後ろから声を掛けられ、初めて俺はそちらに顔を向けた。その表情は思ったよりも穏やかなものにできたと思う。

「……ムカつくこともされたが、俺はお前達と学生ごっこができて楽しかったぜ。短い間だったが、ありがとう」
「悠輝……? お前、まさか……!!」

 俺の意味深な言葉に焦った景吾達が後を追おうと駆け出したが、それは許さない。少し罰が悪そうに微笑んでやってから地に両手を付けると、指輪が赤い錬成反応の光を放って彼らの進路を断った。

 錬成中に一瞬だけ見えた氷帝生達の驚きと絶望を浮かべた顔に、心の中で謝罪をする。もうこれで思い残すこともない。



 静かに通路の奥まで歩いて行くと、目の前に地下都市が広がる。そして開けたそこに降り立つと、痛いくらいの殺気が俺に突き刺さった。

「待ってたぜ。調和の錬金術師、五十嵐悠輝」

 漆黒の少年は俺をじっと見据えている。

「相変わらず魁そっくりだな、流石俺だ。それとも本当に……」
「御託は聞きたくない。それより、俺は一刻も早くお前を殺したいんだ。さっさと始めよう」

 互いの視線が殺気を帯びて交差する。
 そして、どちらからともなく相手に攻撃を仕掛けた。

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