刻まれた証

□29.刻まれた証
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支えてくれた全ての人に、大きな感謝と大きな謝罪を

たとえ俺の進む道が誰の目から見ても間違いだろうと

後悔だけはしていないから……


29.刻まれた証


「足元を見てみろ」
「……この錬成陣は……!」

 ゆっくりとした歩みでシンに近付いて行く悠輝に対して、シンはその場で苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべて悠輝を睨み付けた。

 地下都市の奥で悠輝と対峙したシンは、最初こそ悠輝に対し優勢に立ち回っていた。しかし、突然体が動かなくなり困惑せざるを得なかった。シンは魁の遺骨を入れた小さな瓶を見せられ、身動きを封じられた原因を悟った。暗闇で足元まで注意が回っていなかった自分に苛立つように、奥歯を噛み締める。

 しかし、シンとてこの状況は想定していなかった訳ではない。悠輝を殺せない可能性の方が高いと計算はしていたのだ。そして、その予想通り、シンの実力では悠輝を完全な劣勢に立たせることすらできなかった。その中でも唯一与えた目に見えるダメージと言えば、悠輝の持つ錬金術を発動するための指輪を破壊したことだ。

「……殺すならさっさとしろよ。でもなぁ、俺を消したってお前の罪は消えやしねぇんだぜ……!」
「ああ、そんなの誰よりも分かっているつもりだ……」

 悠輝は先程までの死闘によって壊され、真っ二つになってしまった錬成陣入りの指輪をポケットから取り出し、慈しむように人差し指でそっと撫でた。悠輝が錬金術師になって以来ずっと愛用して来た指輪に対するその行為は、今までの長年にわたる感謝が込められているのだと言うことにシンは気付いていた。ずっと見て来たからこそ、知っていた。

 拘束されたシンは、最早何を言えばいいか分からず、そもそも仇である男に声を掛ける気にもなれず、黙って今から行われる行為を待つしかなかった。

「これは父と母の形見だったんだ」
「そんなこと、知ってる」
「そうだったな」

 相変わらず睨み付けているシンに、指輪に視線を向けたままの悠輝がそう告げる。居心地悪そうに小さく返した返事を受けて切なそうな笑顔を見せた悠輝は、壊れた指輪を壊れたまま、錬金術で直すこともせずに再び大切そうにポケットへとしまった。

 もう会話が交わされることはない。悠輝が静かに両の掌を合わせると、シンは覚悟したように目を閉じる。悠輝が起こす錬成反応とともに、シンが悲痛な叫び声を上げた。





 呻き声が治まり苦しそうに吐き出される息の音だけが響く地下。その声を上げていた張本人は、自分にまだ生があることを当たり前のように受け入れている。悠輝が発動させた錬成陣は、ホムンクルス封印の為のものだった。しかし、それだけではシンが死ぬことはない。悠輝もそれを知っているのか、驚きもせず苦しむシンの姿を眺めている。

「ダンテと内通していた俺が、知らないとでも思ったか? ……人体錬成と言う名の禁忌を犯したあの日、何も持って行かれなかったことに初めは酷く安堵していた。しかしそんなことは都合の良い幻想でしかなかった。……ダンテに会い、初めて自分の払った代価の重さを知った時は愕然とした」

 驚きを見せるシンに構うことなく悠輝は話し続けた。

「俺の代価はこの命その物。お前を生かすために、今この瞬間も命……簡単に言えば寿命か? とにかくそれを与えお前を生かし続けている。……そうだろ?」

(ああ、この男は全て知っていたのか。自分の命が俺によって削られていることも、俺があんたを殺せば俺自身も滅んでしまうことも……)

「知っていたなら何故! 何故さっさと俺を殺さなかったんだ……! それにどうしてあの方の下から離反しなかった……!?」

 シンには悠輝が自分を殺さなかった理由も、ダンテの仲間のような状況に甘んじていた理由も分からなかった。いや、本当は分かっていたのかもしれない。他のホムンクルスよりも人間に近かった代わりに、能力も他のホムンクルスには劣るシンを、ダンテは疎ましく思っていたに違いない。
 そして何より、シンの命は悠輝の命を削る。優秀な手駒になり得る悠輝を手放したくなかったダンテにとって、シンは厄介な存在でしかなかった。

(それでも俺が消されず今日まで存在していたのは恐らく……)

「……全ての紅い石を失ったお前は、今この瞬間俺の命だけで生きている。どうだ、最も人間に近付いた気分は?」

 シンの問い掛けには答えず悠輝は一人で話し続けた。皮肉気に言っているのに何故だか悲しそうに見えるその表情を、感情の見えない目で見詰める。そして、いつの間にか自由に動けるようになっていた身体を動かして、足元に放置されている悠輝の拳銃を手に取った。


「さあ、シン。俺と一緒に三途の川を渡ろうか」


 こんな経験は初めてだったが、命が繋がっているからか、シンの脳内にはぼんやりとだが悠輝の思考が流れ込んできた。はっきりとは分からないが、ほんの僅かに死を恐れる思いと、残していく者達への未練が垣間見える。
 だが、そこにシンに殺されることへの拒絶や怒りは見えなかった。それが本当に悠輝の思いなのか、単にシン自身の願望だったのかは彼には判断できない。

「どうした? ウロボロス最後の一人、大罪その名を与えられしホムンクルス……。俺の死は、お前が望んだことだろう?」

 ずっと恨み続けた相手が目の前に居るというのに、シンは引き金を引くのを躊躇ってしまった。彼自身にも理由が分からない。先程感じ取ってしまった相手の思いのせいだろうか。

 それでもシンは殺さなければいけない。それだけが、生き続けてきた意味だったのだから。

「それとも、お前は死にたくないのか、シン?」

(死を恐れている? この俺が? 違う、そうじゃない。この忌々しい錬金術師を殺すと誓った日からそんな恐れは捨てたはずだ。むしろ、俺は死ぬという行為を切望していた。もちろん、死ぬのはこの男を殺してからだと決めていたが……。)

「違うのか? なら、何を躊躇うことがある。今更俺に情でも移ったか? お前は魁の記憶を持っているはずだからな」
「黙れっ……! お望み通り、今すぐ殺してやるよ……」

 安全装置を外し、引き金に指を掛け、今にも発砲できるその状態まで辿り着いたにもかかわらず、シンは上手く引き金を引くことができなかった。

「手が震えているな。……俺の最初で最後の頼みだ。せめて苦しむことなく即死できるよう、確実に急所に撃ち込んでくれ」
「煩い……黙ってろ……!」

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