宝物庫

□Disoeder (土高)
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Disoeder
不意に襲う呼吸困難。

自身の心がやつれてきていることを自覚させる為の、えらく人間的なその生理機能に、未だ生に支配される己をおかしく思う。

遠の昔に、人の道など外したと云うのに、まだ俺は肉体から離れることはできないのか。

自虐的に、持っていた酒瓶を近くの路上へ投げ割り、頼りなく辺りを照らす街灯に片手をつき呼吸を整える。

時折聞こえる破裂音は、頼りなさそうに見えるこの街灯に魅せられぶつかり死んで行く蝶の、最後の音なのだろう。

嘲るように声を出して嗤う高杉に向かって、不意に冷たい声が掛かる。

「おい酔っ払い。こんな時間に騒ぐな、近所迷惑だろ。早く家に帰れ。」
「誰だテメェ。」

威圧的に声を掛けられたので剣呑に言葉を返せば、相当酔っ払ってるみたいだなと鼻で笑われた。

「なんでそう思う。」
「酔ってでもない限り、警官に名前聞く奴があるか」
「お前、真撰組か」
「ああ、真撰組だ」

詰まらなさそうに答える男に、高杉は得も言われぬ暗い高揚感を覚えた。

「ポリ公ならよォ、俺を逮捕してみろよ」
「なんでお前なんかを捕まえる必要がある?」

「そうだなァ、例えば…」

高杉はゆらりと男の前に立ちはだかり、その白い頬に鬱血する程キスを落とした。

「猥褻罪、なんてどうだ?まァこの場合はお巡りサンも取り調べられるだろうけどなァ」
「…ッテメェ」

唐突すぎて一瞬遅れて反応した男は、殺気すら放って怒声をぶつける。

並の指名手配犯すら震え上がるであろう鋭い声に、しかし高杉は飄々と笑みを浮かべるだけであった。

「おいポリ公、『こんな時間に騒ぐな。近所迷惑だろ』」

からかうように嗤いながら言えば、男は目を細くして皮肉にも先程の高杉と同じ台詞を口にする。

「お前、何者だ?」
「酔っ払いに名前聞くなんざ、テメェも酔ってんじゃねーのか。」

くくく、と一層楽しそうに嗤う高杉に、男はだったら。、と呟くと、素早く懐に入って顎を掴み、先の高杉と同じように口付けをした。
ただし、場所は高杉よりも少し中心下寄り。
つまりは唇、そのものに。

沈黙の中、ただ貪るように深い接吻を交す。

不定期に沈黙を破るのは矢張り、蛾の好んで身を焦がす音のみ。

溢れる唾液がどちらのものとも判らなくなった時、自然の流れで男が舌の侵入を試みると突然痛みを感じて退いた。

「何すんだ」

男が非難めいた口調で高杉を責めると、

「分かんねェか?テメェの舌を噛んだんだよ。噛み切らなかっただけ有り難く思え」

いとも当然。というように高杉は答えた。
返す言葉が見当たらずただ顔をシカメている男に慰めの言葉一つ掛けないまま、高杉はまた楽しそうに口角を引き上げ、おもむろに静かに問うた。

「痛かったか?」
「当然だ。まだ痛ェ。」
「なら痛みが取れる迄…」

高杉は男の瞳を、自身の曖昧な色素の瞳で捕らえた継、よく通る声音で哀願とすらとれる言霊を吐き出した。


「俺の事だけ考えろ。」


言って目を瞑り、今度は唇を唇で辿るようにキスをする高杉。
男は視線から逃げられたのに、その儘動かずに口付けを享受する。
その瞳は、なんの色も浮かべてはいない。

不意に例の破裂音が、随分耳元近くで聞こえたような気がして、高杉は口を放した。

空かさず又警戒に満ちた視線を投げ掛けて来る男など気にも止めず、自分が思ったことを行為で濡れた唇に乗せる。

「どっちが光でどっちが蛾だろうなァ?」

あまりにマイペースな高杉の言葉に一寸逡巡してから、男は疑わしげに言葉を返す。

「…俺とお前が、か?」
意思が繋がったのが気に召したのか、途端玩具を手にした子供のように声を僅かに弾ませて高杉は言う。

「ああ。次に会う時までには、答えを出しておけ。当たってたら、テメェに抱かれてやる。」
「外れてたらどうする」
「そん時は、俺もお前も散るだけだ。」

高杉は薄く嗤ってそれだけ言うと、袂を探り煙管を出して火を点けた。
男は、しばらく不安定に揺らめく煙を見つめていたが、やがて黙って立ち去る。
離れて叙々に闇と同化する黒髪で黒い軍服の男を、高杉は完全に見えなくなるまで見送ってからケホケホと軽く咳き込んだ。
また襲ってくる呼吸困難の前触れのそれを、今度は疎ましく思う事なく受け入れる。

背中に、あの男の大きい掌を、感じた気がした。






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