刀*語 二本目

□気紛れバケーション終
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出雲。
その中心部に位置する、三途神社。
一直線に引かれた急勾配の千段の階段、その頂上の大鳥居の真下。
本殿と対峙するかの如く、右衛門左衛門は石畳の始まりに足を止めたまま境内を注視していた。

巫女ばかりがそこに住むという神社。
所謂、男子立入禁止区域とも言い換えられる地である。
一週間前に不忍が主を送り届けた時と同じ様に、彼は極力その場から動こうとはしなかった。
ただただこちらへと歩いて来る数人を待つばかりで。
金髪碧眼の主、当神社の神主、そしてその従官らしき二人の巫女。
まるで洋装仮面の男が出迎えている様な雰囲気の中で、否定主従は再会を果たした。


「…ご無沙汰しております。否定姫様、」
「遅い。毎度毎度いつまで待たせるのよ、この愚か者」
「は。失礼致しました、姫様」


見送った時と同じ動きやすい、普段よりも簡素な旅仕度風の装束の否定姫。
扇子を神経質そうに、というよりも手持ち無沙汰の様に指先で弄ぶ。
少し拗ねた様にむくれる態が彼女らしくて可愛らしい。
久しく見る主の顔に右衛門左衛門は嬉しさと安堵に微かに口許を緩ませた。
元気そうで何よりだ。
きちんと食事や睡眠が摂れていたのだと悟ると、無性に言い様のない安心感と喜びを感じた。


「アンタがあんまり遅いから、巫女装束から着替えちゃったわよ。残念だったわね」
「それは…しかし、私には巫女萌えの属性はありませんので」
「あ、そう。つまんなーい」


以前真庭の里にて喰鮫が宣っていた、この時代にあるまじき単語が右衛門左衛門からぽろりと飛び出す。
確かに、正味、見たいとは思った。
だがしかしそれに邪な気持ちは決して抱く事がないのがこの男、不忍の左右田右衛門左衛門である。
神聖なる主を汚すものは自身を含め滅却対象だ。
流石は否定姫至上主義。
寧ろ姫様萌えだろう、と彼の旦那なら言ったかもしれないが。


「ま、いいわ。それより色々ありがと、迷彩。お世話様ー」
「なぁに、気になさんな。またいつでもおいで。アンタと酌み交わして楽しかったよ、姫」


否定姫の少しいじけた様な表情が一変する。
ぱっ、と朗らかな微笑を浮かべて斜め後ろに立っていた女神主――敦賀迷彩に声を掛けた。
それを受けた涼やかな目が直ぐに柔らかく細められる。
落ち着いた、低めの垢抜けた声音が優しく否定姫に向けられた。

そんな彼女達の様子を茫然と見つめる右衛門左衛門。
行政に携わる用事で会見した筈の二人。
この一週間の間で、良き仕事仲間というよりも、良き親友になったようである。
会話の内容からして飲み仲間とも言うようだが。
随分仲の良い関係らしい。

自然に、屈託無く笑う否定姫。
そんな彼女を見て彼女の従者は心中穏やかではいられなかった。
嬉しくて、感激のあまりに胸中は混沌、薄く開いた唇は音さえ発しない。


まさか姫様が、こうして人目に気を置かずに笑う事が出来る日が来ようとは。


決して人の気配の感じる場所では本心を見せなかった、主。
本当に心から気を許せる人物の前でしか見せない笑顔を、彼女は。
少しずつだが、こうして明るい場所で見せるようになった。
女性しか居ない特殊な環境がそうさせたのかもしれないが、しかし。
きっとそうだと、右衛門左衛門は信じたかった。

この一週間で変わったのは、自身だけではないと。
掛け替えのない日々を過ごせたのは、彼女も同じであるのだと。

三寸程背の高い迷彩が、快闊な笑顔を否定姫に向けながら彼女の頭を撫でる。
親友というよりも、姉妹の様な彼女達を右衛門左衛門は優しく見守る。
迷彩の行動に照れた様に否定姫は再びふくれっ面を浮かべる。
そんな少女染みた表情も、彼女の凍り付いていた心中が溶けてきた証拠なのだろう。
そう感じて不忍もまた微笑を口許に作っていた。


「……まぁ、来てあげなくもないけど…」


その小さな返事に、迷彩は優しく微笑んでまた否定姫の頭を撫でた。






























「―――…なかなか退屈しなかったわ、三途神社」


長い長い階段を軽やかに下りながら否定姫は呟く。
その後ろを、自身と彼女の荷物を持った右衛門左衛門が続く。
飽きるまで自分で階段を下りたいのだと。
そう言って前を歩く主に、洋装仮面は嬉しげに口許を緩ませながら相槌を打った。


「…それは良うございました」
「で、アンタはどうだったの? いい花嫁修業になったのかしら?」
「姫様…」


その話はまだ続いていたのですか、と。
そう言いたいが、言わぬが花だろうと寸での処で閉口する右衛門左衛門。
確かに一週間前に三途神社に送り届けた際も楽しみにしているようだった。
避けたい話題だったが、やはり避けられなかったようだ。

下へ下へと進む否定姫の足が止まる。
悪戯っぽい笑みを浮かべて振り返る彼女。
無言で返事を促すその表情に不忍は苦笑した。
普段の、今までだったならばここで当惑し焦りの表情を見せていた筈だったが。
困った様に笑う彼に、その主は驚きと欣然を同時に感じた。


「……ふーん、」


不意に。
ふっと穏和な微笑を浮かべる、否定姫。
直ぐに前を向きまた歩を進める彼女に、一瞬右衛門左衛門の反応が遅れる。
その笑顔の意味を、何と捉えたら良いか逡巡した故に。

はた、と。
再び止まる、洋装仮面の足。
呟く様に、囁く様に。
口ずさむ様に紡がれた否定姫の言葉に右衛門左衛門の思考は数瞬停止する。
それでも。
彼女の何処か嬉しげな声色に、酷く幸福を感じた。
何て幸せ者なのか。
沢山の優しさを受ける果報者は、自身くらいであろう。

ありがとうございます、と。
掠れそうになる声音で述べた感謝の言葉は、玲瓏な否定姫の笑い声に攫われ静かに閑散な山々に溶けていった。



































「アンタも、ちゃんと楽しかったのね。右衛門左衛門、」



















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