刀*語

□そして私はひとりになった
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胸を貫かれ倒れていたその男は笑っていた。
その人を喰った様な笑みは私の知るものではなかった、だが。

そこで死んでいたのは確かに私の知っている男に相違なかった。
いや、見間違える筈がなかった。















「―――…ただいま戻りました」


尾張、否定姫邸宅。
行灯の側で文を読んでいた否定姫の頭上から声が掛かる。
普段通り天井裏にて姫に報告をする右衛門左衛門に、彼女は手にしていた手紙を敷物の上へと投げおいた。


「…予定通り、真庭人鳥の暗殺、並びに真庭鳳凰の生死を確認して参りました」
「で、どうだったの?」
「はい。真庭鳳凰は奇策士と虚刀流により死亡、毒刀・鍍もあの奇策士の手に渡ったようです」
「……あ、そう」
「如何致しましょう。予定通り奇策士を暗殺しにこのまま馳せましょうか」
「その前にさ、右衛門左衛門」
「…はい。なんでしょう」
「ちょっと下りて来なさいよ」


ぱさ、と扇子を開き、否定姫は不機嫌そうに目を細める。
普段決して感情を表に出す事などない右衛門左衛門の様子の変化を読み取った故である。
まるで必死に忘れようとして、平然を装おうとしているかの様な、声色。
端からすれば到底分からない様な違いだが長年主従関係を続けていれば分かるものだ。
真偽を確かめるべく姿を見せるよう呼べば、彼は素直に主の前へと姿を現した。

一方、呼ばれた当人は何故呼ばれたか訳が分からない。
怪訝に思いながらも否定姫の言う事は絶対だ。
目の前で跪いていると顔を上げるよう言われ、端然な美貌を見遣ると眉を顰められた。
そして苦々しい声が一つ。


「……なんて面してんのよ、アンタ…」


そう言われ、右衛門左衛門は思わず小首を傾げる。
いや、自身が到底見れない様な不景気な顔をしている事くらい分かっている。
今更そんなにも驚かれる必要もないと思うのだが。
右衛門左衛門は困惑した様に否定姫を見つめた。

しかし彼女にしてみては、ただ驚愕するだけでは済まなかった。
寄せられた眉根が怒りを露にする様に吊り上がる。
強い口調で紡がれるのは聞き慣れない方法での罵倒で。


「本当アンタって馬鹿よね。今自分がどんな顔してるか分かってんの?」

「今のアンタを私は否定して上げるわ。アンタそれを忘れて否定してどうこうなるとでも思ってるの?」

「今のアンタがしてる事はその場限りの現実逃避よ。ただ逃げているだけ。どうせ後で後悔するだけの事よ」

「そんな惨めな負け犬がする様な事、私はアンタに許可した覚えはないわ。それをしようとしているアンタを否定する」


一気に捲し立てる否定姫に、右衛門左衛門は静かにじっと聞いている。
その様も常と代わり映えのない事の様に思えるが、彼の主人は呆れた様に溜息を一つ付く。


「自覚がないのか、それとも本当に逃げようとしてるのか…」
「……姫さ、」
「黙って」


ぱしり、と今度は扇子を畳む音。
かと思えば白い陶磁器の様な指が、手が、腕が伸びてくる。
驚愕して動けないのをいい事に、右衛門左衛門は否定姫に抱き締められた。
仮面下の双眸が見開かれるのが容易に知れた。


「…昔はいい仲だったんでしょ。今はどうか知らないけど。暗殺しろなんて言ったけれど、これでも残念に思ってるんだからね」
「…………」
「だからアンタも逃げるんじゃなくてちゃんと受け止めなさいよ。アンタの悲恋はその後アタシがいくらでも否定して上げるからさ」


ね、と言って否定姫が右衛門左衛門の背を叩く。
暫く何も言う事の出来なかった彼だったが、不意に肩を僅かながら跳躍させる。
主人の肩口に埋めたその赤毛の合間から、小さく息を吐く音と引き攣る様な呼吸が聞こえた。


「……姫様、」
「うん?」
「……ッ…申し訳、ございませ…っ…」
「全く、今日だけなんだからね。もうそんな面私の前でしないでよね」
「……ッはい…」


再度呟かれる謝罪の言葉に否定姫は黙って柔らかい髪を撫で付けてやる。
普段決して見ないであろうその腹心の涙が酷く切なくて。
胸を貸してやると言ったこちらまでももらい泣きしそうだと彼女は独り言ちた。


一方的に裏切られ、一方的に消え失せた右衛門左衛門の秘恋。
一途で純粋な彼に愛執の念を抱かせた、真庭鳳凰。
あの男が眼前の元忍をどう思っていたかは定かではない、しかし。

何の恋慕の言葉も交わさずに散っていったあの男を否定したい。
右衛門左衛門は鳳凰が死ぬまでその男を忘れる事はなかった。
裏切られ何もかも奪われても尚想い続けていた彼に。
何の言葉も掛けずに死んでいった鳳凰が恨めしかった。
最後まで目を逸らし続けた所業が許せなかったのだ。
それによってこれからも、右衛門左衛門の心を呪縛する事になるが故に。


声を押し殺す嗚咽に、か細くも濡れた吐息を吐き出す様に。
その重臣の全てを愛おしく思いながらも、これから続くであろう一方通行な想いに否定姫は静かに目を瞑った。
強くした抱擁と更に深く男の背に回した腕は、慰めの意味だけではなかった。






























そして私はひとりになった
(お前が死んだ事で、私という存在は漸くたった一人になった)
(そして、お前が死んだ事によって、私は同時に独りになった)
(忘れる事も出来ず、永久に宙ぶらりんの胸中のまま)







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