刀*語

□ひとときだけでも
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「―――右衛門左衛門、」


尾張城下町を見渡せる高い位置にある神社の鳥居前。
ずらりと積まれた石の階段を見下ろし任を終えた後の帰路に着いていた時であった。

背後から声がした。
それも聞き覚えのある声が。
咄嗟に振り返ってみると、やはりというか、それでいて少し嬉しいというそんな想いも芽生える。
夕日が尾張城の彼方へ消えていくその紅い光を浴びる男は、普段目にする姿とは少し異なっていて内心驚いた。















「分からず。何故お前はその様な格好をしているのだ」


長い階段を下り、夕方になり少し賑わいが薄れてきた城下町を歩く。
その隣で当たり前の様に歩く忍に右衛門左衛門は疑念をぶつけた。
本来ならば彼がこの尾張で大手を振って歩ける筈がないだろうに。
第一忍が人目を気にせず道を歩いて良いのだろうか。


「我がこうして町を堂々と歩いているのは不思議か?」
「不思議、というよりも分を弁えるべきだ。お前は事実上否定姫様のお命を狙った張本人だ、幕府の人間に顔を知られていたらどうするつもりなのだ」
「知る人間など居る訳がなかろう。我は忍だ、姿を見せる相手は契約者のみに限るのでな」
「…分からず。だからこそ何故その様な格好をしているのかと聞いている」


普段の真庭忍軍の忍装束ではなく、緩やかな着流しを着た鳳凰。
裏地が紅い白の着物に朱の襟巻きを身に着けただけという格好に少なからず右衛門左衛門は驚いていた。
いや、その半面見蕩れていたといっても嘘にはならないだろう。
元が均一の取れた端正な容貌だったのだから尚更その着流した態は艶冶に見える。
先程から鳳凰に視線をやらない事から、右衛門左衛門は明らかにはにかんでいるに相違なかった。


「ああ、これか。実はお忍びというやつでな、仕事とは関係ない。ただの私情だ」
「私情? …買い物でもしに来たとでも言うのか」
「いや、」


尾張城に向かい歩いていると、不意に右衛門左衛門が立ち止まった。
突如片腕を掴まれ、進む事を阻まれた為である。
その腕を掴んだ張本人、鳳凰をやっと見遣る。
すると思いの外真摯な表情で、緋色の男は口を切った。


「おぬしを迎えに来た」
「…! ……な…」
「報告が終われば一時でもゆとりが生まれよう? その間だけでもおぬしに逢おうかと思ってな」


口端を持ち上げ柔和な笑みを浮かべる鳳凰。
それを見た右衛門左衛門は思わず頬を赤らめた。
慌てて顔を逸らすが、いくら夕方と言えどその朱が刷かれた頬の火照りは隠しきれない。
耳まで真っ赤にした右衛門左衛門に、鳳凰は笑みを深めて掴んだ手を下に下ろしていく。


「…っ…!」
「この近くの茶屋にでも待っていよう。早く終えてくれると嬉しいが」


手袋越しに鳳凰は右衛門左衛門の手を握る。
それに更に驚く彼に鳳凰はもう一度笑い掛けて直ぐに手を離した。
そしてそのまま背を向けるとゆっくりと歩いて行く。

その場に残された右衛門左衛門は数瞬立ち尽くしていたが、暫くしてやっと尾張城を見上げる。
思い出したかの様に歩き始めたその歩調は何処か急ぎ足であった。
この後に否定姫が一時の暇を許してさえくれれば、と心中で密かに願いながら右衛門左衛門は主の元へと急いだ。






























ひとときだけでも逢いたい
(ただいま戻りました、姫様)
(毎度毎度遅いのよ、この愚か者)
(……あの、姫様、)
(? 何よ?)
(申し訳ございませんが…暫し暇を頂けないでしょうか)
(いとまぁ? 珍しいわね、そんなのを欲しがるなんて。ま、別にいいけど?)
(恐悦至極です)
(あんたの彼氏に宜しく言っといてよね〜)
(…!!)







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