刀*語

□気紛れバケーション参
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「、右衛門左衛門っ…」


亥の刻。
すっかり月も空高く昇った夜。
自室の襖を開けて入って来た自らの細君に対して口にした第一声は、語尾が少し震えていた。


「何だ」
「い、いや…少し、おぬしの格好が意外だったのでな」
「私に寝る際も洋装でいろ、と?」
「そういう意味ではない」


後ろ手に引き戸を閉めて、右衛門左衛門は鳳凰の側へと歩いて行く。
その格好は普段鳳凰が目にするものとは大分異なり、らしくもなく彼が驚くも当然と言えよう。

黒地に、左肩から引かれた白い蜘蛛の巣の様な模様。
そんな簡素だが洗練された意匠の着流しを身に纏った右衛門左衛門。
いつもは高い位置で結われた髪は項の辺りで緩く束ねられ、手先を隠す手袋さえもない。
寝衣、と呼んで良いものなのだろう。

右衛門左衛門にとってそれは至極当たり前の格好なのかもしれない。
が、しかし、見慣れない鳳凰にとってそれはあまりに衝撃的であり目の毒であった。
元々色白で線の細い右衛門左衛門である。
ただでさえ普段から露出の少ない格好だというのに、いきなりこうも白が増えると目のやり場に困る。
不幸な事に黒地の着物は肌の白さを際立たせる。
きちんと着崩しもしないで着られているのだが、自然胸元だけは嫌でも目に付いた。


「…? どうかしたのか?」
「いや、何でもない」
「そうか。……しかし良いのか、お前の部屋で世話になっても」
「我は全く構わないが。寧ろすまないな、この家屋は客室というものは存在しない故」
「及ばず。お前が良いなら別に良い」
「我としては至極尤もだと思うぞ。夫婦が別室で寝るなどこれ程奇妙なものはない」


さて布団でも敷くか、と立ち上がる鳳凰に右衛門左衛門は一瞬呆気に取られる。
確かに、と思う反面よくもまあさらりと恥ずかしい事を、と思っている事だろう。
押し入れを開ける鳳凰を手伝う為に立ち上がった際、右衛門左衛門はどさくさに紛れ彼の片足を自身の足で踏み付けてやった。


「夜具は一組だけか?」
「いや、もう少し奥にある筈だが。……要るのか?」
「…? 当たり前だろう、何を言って……」
「いや、夫婦水入らずで一つの夜具で寝るというのも良いと思ってな」
「…………」
「……すまぬ、少々戯れが過ぎ―――…」


ばふっ!


超高速で飛んできた枕を鳳凰は顔面で受け止める。
一方投げた張本人である右衛門左衛門はというと、顔を赤くさせながらも押し入れの奥へと手を伸ばしもう一組の布団を取り出していた。




















何とか二組とも寝具を敷き終えた二人。
少なくとも狭くはなかった部屋だったが、やはり二枚の布団を敷くと些か狭く感じる。
たまにはそれも悪くないだろう、と鳳凰は独り言ちながら何となく隣の右衛門左衛門に視線を向けた。

枕の高さを調整していたようで、布団に置くと二、三回ぽんぽんと叩いている。
その様子を見ていると、不意に視線に気が付いたのか、右衛門左衛門がこちらへと振り返る。
不思議そうに小首を傾げる彼に、鳳凰は無意識に手を伸ばしていた。


「―――…右衛門左衛門、」


近付き、怪訝そうに見つめる右衛門左衛門の頬に触れる。
それにびくりと肩を跳ねさせる彼に構わず鳳凰は片手でその白い頬を撫でた。
その間にも男の視線の先にあるのは、仰々しく『不忍』と書かれた硬質な仮面である。

特に鳳凰には閨での営みなどするつもりはなかった。
初心な右衛門左衛門に無理強いなどさせたくはなかったし、傷付ける様な事もしたくはなかった為だ。
“これ以上”、彼を傷付ける事など鳳凰には到底出来る訳がない。

ゆっくりと、そして優しく仮面へと手を掛ける。
それを瞬時に悟った右衛門左衛門は直ぐに鳳凰を手を阻んだ。
やんわりとその手を制し、しかし強くは拒絶出来ない為堪える様に俯く。
見ないでくれ、と。
音無き声でそう叫んでいるのが鳳凰にはしかと届いた。


「…見はしない。だが、せめて……触れさせてはくれまいか」
「…っ……」
「頼む」


優しく宥める様に鳳凰は囁く。
そして不意に火の灯る紙燭の明かりを消し、部屋中を闇へと同化させた。
これで右衛門左衛門の顔を見る事は出来なくなった。
職業柄夜目が利く忍であっても、突然暗がりに入ったとしたら慣れるのに些末ながら時間が掛かる。
そうでなくとも見るつもりはないと告げる鳳凰に、右衛門左衛門はおずおずと彼の手を掴んでいた手を離した。






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