刀*語

□サンパブロ通りの天使
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スペイン。
その首都マドリードの圏内にある地区、カジャオ。
現在マドリードの中でも最も治安が悪い地区である。

浮浪者と売春婦と、そして同性愛者が蔓延るという街。
映画のワンシーンの様な人間模様が展開される様な裏通りの何処かに、あの男は居るのだと言う。


「何でもそこにギタリストの男が一人居るそうよ」
「ギタリスト…?」
「ええ。日本人には違いないけれど、顔の上半分をいつも隠しているから定かじゃないみたい」


漠然とした言葉でありながらも確かな情報であった。
狂犬から写真を受け取り見た時に確信さえした。
顔は隠してあったが、その顔を我が見間違える筈がない。
赤毛の長髪に、白い肌、そして凛とした背筋。
やっと見つけた。
間違いなく、あの男だった。

殺伐とした、しかし何処か穏和な空気が漂う通りを歩く。
強めの陽射しを遮る為の街路樹が異様なまでに閑静に見える。
木漏れ日に当たる喧騒が、その所為で全く煩わしく思えなかった。
カフェテラスを通り抜け、白い塀に沿って思う様に進む。

まさかこの様な異国の、しかも治安の悪い場所に居るとは。
盲点であった、いくら日本の中で有名になろうと外国に居るのなら何の意味もない。
更に驚いたのはギタリストとして食べているという事実だ。
あの頃は互いに忍で、しかもあの男に至っては銃までも握っていたというのに。
まだマフィアの抗争劇に巻き込まれていないだけマシだったかもしれない。
だが、まだ少し、解せない気も少なからずある。


「―――…、」


一瞬。
ざぁ、というそよ風に木の葉が揺れる音の合間。
その中に一つの音色を聞いた気がした。
弦楽器にしては甘く異国情緒のある音だった。
そう、まさしくこの国の民族音楽を奏でる為の楽器のそれの様な。
確か、アコースティックギターとか言ったか。


「…………」


躊躇う事はしなかった。
何の迷いもなく音がした方へと足を運ばせた。
ずうっと白い塀の続く道、十字に別れた道を右に曲がって行く。
危うい雰囲気がする裏通りに入っても脇目は振らなかった。

自然と速くなっていく自身の足。
徐々に大きく、そして近くなるギターの音に期待が膨らむ。
確信などある訳でもないのに。
我は、その先に居る、と。
そう決め付けて小さな階段を上る。


「―――…嗚呼、」


階段を上って直ぐ。
小さな、開けた場所に出た。
広場と言うには些か小さい、一本だけ木が立っている既視感を感じさせる場所。
ベンチが一脚、その下に置いてある。

木漏れ日の下、ベンチに座り、男が一人、そこには居た。
足を組み、俯き気味にギターを抱える男。
長い赤毛を後頭部で結い上げ、白いシャツに、白い仮面を付けた不思議な男。


「Yo por fin encuentre usted」
(やっと見つけた)


顔の上半分を仮面で隠す男。
そこには『不忍』という言葉は何処にも書かれてはいなかった。
だが、我は一目で分かった。
長年捜し求めていた男だという事を。

流暢なスペイン語で囁く様に言葉を紡げば、途端に途絶える優しげな音色。
急に静かになった辺りに不気味さとそれを軽く凌駕する程の喜びを感ずる。
ゆっくりと顔を上げる男に、自然と自身の口許は綻んでいた。


「右衛門左衛門、」


長い間、ずっと渇望していた。
この名を呼ぶ事を。
名を呼び、手を差し出す事を。
また昔の様に、共に歩く事を。

名を呼んだ瞬間、男が肩を跳躍させるのが分かった。
そして刹那に、固く引き結ばれる口唇。
その泣き出しそうな表情に、我は思わず近付いて抱き寄せた。
ぼんやりと不協和音を呟く弦楽器の音が、我の声無き叫びの様に聴こえて仕方がなかった。






























サンパブロ通りの天使
(Mi corazon a ti te llama)
(我の心はおぬしを呼ぶ)
(Yo te quiero, yo te quiero mujer)
(愛してる、愛してるんだ)







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