刀*語

□気紛れバケーション漆
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「―――人鳥、」


朝。
日も東の山から完全に上がった辰の刻。
右衛門左衛門が真庭の里へと居候してから五日目の事である。


「あ、は、はい…!」
「すまない、待たせたな。何時でもいいぞ」
「じゃ、じゃあ僕も、用意してきます」


居間の縁側近くで巻物を広げていた人鳥。
その小さな背に右衛門左衛門が声を掛けると、直ぐに少年はそれを巻き戻してから立ち上がる。
とたとたと小走りで居間を後にする人鳥を見送りながら、男は外していた手袋を再び嵌め直していた。

本日非番である頭領達に、狂犬と鴛鴦と共に朝餉を作り。
そしてその後片付けをも終わった後、右衛門左衛門は約束事をしていた人鳥に声を掛けた。
それは昨日仕事故に里から発った鳳凰からの頼まれ事であり、同時に軽い遠出の様なものだった。
幸い先日の様に狂犬に昼餉を頼まれる事はない。
何故なら今日は狂犬も居れば鴛鴦も非番なのだ。
鴛鴦に限っては蝶々と出掛けるらしいが、それでも困る事は決してないだろう。


「何じゃ、もう出掛けるのか、人鳥」
「は、はい」


居室で少年を待っていると、低い翁口調の声が伴ってやって来る。
それが誰かなど穿鑿する事を右衛門左衛門はしない。
だが袖口に両手を入れながら姿を見せた海亀に、人鳥は細い首を必死に上向かせ見上げていた。


「町に行ったついでにムラサキも買って来てくれんか」
「た、煙草ですか…」
「ああ、少し目を離した隙に狂犬が全部吸ってしまったからの」


全く油断も隙もないわ、とぼやきながら海亀は懐から財布を取り出す。
恐れ多そうに彼から金を受け取った人鳥が、大事に大事に包んで仕舞う。
不意に男から人鳥を頼む、と声を掛けられたので、右衛門左衛門は一瞬反応を遅れながらにも頷いてみせた。
どうやら海亀は少年に遣いを任せて非番を有意義に過ごすつもりらしい。


「あ、あの、海亀さま……今日は…何をされるおつもりですか…?」
「ん? ああ、そうだな…取り敢えず、先日ガキ共が壊した戸でも直すかの」
「…………」
「或いは蟷螂を誘って将棋でも詰めるか」
「そ、そうですか…」


顎に手を宛がい従容に一日の予定を今まさに決める海亀。
日曜大工の様な事を言う長寿の忍に無意識に口許が綻ぶ。
本当に家族の様な集まりだ、とつくづく感じる。
さながら彼は――何の拈りもなく真庭忍軍の祖父、という処か。


「気を付けて行って来いよ」


至極自然に、当たり前の様に。
そんな風に声を掛けて去らんとする海亀に右衛門左衛門は短く返事を返す。
ひらひらと片手を振り、さて金鎚は何処だったか、と呟き戸の敷居の向こうへと行ってしまう。
それを聞き取り残された二人は思わず顔を見合わせ、思わずどちらともなく小さく噴出した。

言うまでもないが、既にこの二人の忍の間には隔たりという隔たり、壁という壁はある筈もなかった。






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