刀*語

□トレロの悲嘆
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「…………」


古ぼけた様な白い扉を開け放ち我を振り返る右衛門左衛門。
無言で顎で部屋の中を示す。
暗に入れ、と言っているのだろうか。
手持ち無沙汰であるし拒む理由もない為、直ぐに足を踏み入れた。


「適当に座れ。カフェくらいなら出してやる」


ギターケースを壁に立て掛けキッチンへと向かう背中を見遣る。
白いシャツの上で揺れる赤毛の房に言い知れぬ懐かしさを感じた。
やっと逢えたのだ。
やっと見つけた。
これで感慨に浸るなという方が余程酷な話だ。

数十分前に邂逅したばかりなのだ。
そんな歓喜の念を抑えられる術など在って無きが如し。
この男が家に招いてくれた時点で持ち合わせてはいなかっただろう。
その際にに右衛門左衛門が発していた、沈んだ声色にも気が付かずに。
実際表情はあの頃と変わらないままだった。
だから、我はさして気にしていなかったのだろう。

簡素な台所に立ちコンロに火を着ける。
薬缶で湯を沸かしながら静かに背を向け続ける男を我もまた静かに見つめ、立ち尽くした。
互いに終始無言である。
喋る事がない訳ではない。
何から話してよいのか分からなかった故であった。

男は随分と殺風景な部屋に住んでいた。
必要最低限の物しかない、生活感があまり感じられない部屋だ。
閑静なアパートメントの一角。
薄暗い、殺伐とした路地にある部屋である。


「……おぬしは…」


何となく、室内を見渡した後に口が独りでに話し出す。
ずっと訊きたかった事が、無意識に口から零れ落ちていた。


「おぬしは今までどうやって生きていたのだ」
「…別に。普通にこうして人並みには生きてきたが」
「そういう意味ではない。何と言うか…何をして食べていたのか、という事だ」
「ああ――…」


その事か、と右衛門左衛門は首肯しながら視線を壁に凭れる黒いケースに向ける。


「近くのタブラオやバルで、ギターラを演奏して回っている。たまにレストランテやカフェテリアでもな」
「…歌い手か。フラメンコの、」
「否、私はただのギタリスタだ。頼まれた曲と淡々と弾くだけに過ぎない」
「…………」
「…何だ」
「……それは、本当の事なのか?」
「何?」


一瞬、右衛門左衛門の口調に陰りが浮かんだのを、この時は我は見逃してやれなかった。
この男は我と同じで嘘など吐く質ではない。
故に自然と察しが付いてしまうのだ。
真実を言ってはいないという事に。


「分からず。それは、どういう意味だ」
「…右衛門左衛門よ、」
「…?」
「正直に、答えて欲しい」


不審に振り返る男を真っ直ぐに見つめ返して再度問訊する。


「おぬしは今まで、どうやって生きてきたのだ」
「…………」
「前世の記憶はあるのだろう? 名前も戸籍も皆日本のものだった、ならば何故おぬしはスペインに渡った」
「…………」
「誰として会おうとはせずに…何故皆を捜そうとは思わなかったのだ」


顔立ちも以前のまま。
外来語はスペイン語で固められてはいるが、きちんとした日本語も話せる。
そして何より、我の事を覚えていたのが何よりの証拠だ。
奴は前世を覚えている。

ならば尚更。
何故右衛門左衛門は異国へとわざわざ渡ったのだろうか。
誰とも会う事もせずに。
恋仲だった我にさえも会おうとはせずに。
まるで、会わないよう逃げてきたかの様に。


「―――…要らず、」


不意に、右衛門左衛門が口を開く。
シンクに体の重心を預けた姿勢で、それでも我を見て一字一句しゃんと紡ぐ。
その表情はやはり、そう簡単には読み取れるものではなく。


「捜す必要はなかった。そんな事をしなくとも、お前の企業は充分有名だったからな」
「…………」
「だから捜さなかった。きっとあそこに皆が居る、そう確信したからだ。だから私は躊躇なく此処へ来た」
「何の為に」
「お前に会わない為にだ」


冷や水を頭から浴びせられた様な錯覚を覚えた。
じわじわと、足元から黒禍が侵蝕してくるかの様な。
愕然とした。
逸らされた視線に焦燥が増す。
男は、酷く冷静な声音だった。


「お前は私が存在すると知れば必ず捜し出すと思った。実際その通りだった。お前は…“諦めてはくれなかった”」
「何を言っている…当然だろう、我がおぬしを捜そうと思うのは――…」
「私は、」


強い語気で言葉を遮る。
その後続くかと思われた凛然とした声音はそこで一度滞った。
その間でさえも未だ混沌とする自身の頭には恐ろしかった。


「私は、お前に捜して欲しくなどなかった」


きつく引き結ばれていた口許。
苦しげに告げられたその事実に我は呼吸の仕方を数瞬の間忘れた。


「私は、お前に会いたくなどなかった…」
「な、ぜだ……おぬしは覚えているのだろう? 我のおぬしに対する恋慕を。分かっているのだろう! 何故離れようとする? おぬしは…!」
「お前だって分かっている筈だ」


淡々と男は再び紡ぎ始める。


「この世界はあの頃とは違う。同性愛など…社会的に認められるものではない。ましてやお前は大手企業のCEOだろう。波風など立てれば困るのはお前なのだぞ」
「…ッ……我の為、だとでも言うのか…!」
「当たらず。違う、これは私の単なる利己だ」


そこで男は初めて笑った。
久しく見なかった、焦がれてやまなかった微笑だ。
あの頃から一度として見なかった愛おしいそれ。
だが、その表情とは裏腹に言葉は酷く、残酷だった。


「お前には、この世界で、真っ当で幸福な人生を送って欲しいのだ」






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