刀*語

□気紛れバケーション捌
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「―――そういえば、今日だったんじゃないの?」


夕刻。
真庭忍軍12頭領の住む家屋。
そのいつもの台所。

不意に野菜を包丁で丁寧に切っていた鴛鴦が口を開く。
それに釜戸の火を見ていた右衛門左衛門は振り返って彼女を見遣った。
怪訝そうに小首を傾げて投げ掛けられた言葉を反芻する。


「……今日だった、とは。一体どういう意味なのだ?」
「あ? 何だい、アンタ聞いてなかったのかい」
「聞いてなかったとは、何を」
「だからさ、」


驚いた様にこちらを見つめてくる鴛鴦に右衛門左衛門は更に疑問が深まる。
本当に分かっていないらしい彼に、女は小さく苦笑を零しながら続ける。


「今日、鳳凰様達が帰って来るって事」
「…………」
「知らなかったの?」
「…外れず。……知らなかった」
「何だい、それ」


しまった、という空気を仮面越しに発する右衛門左衛門。
そんな男の様子を見て鴛鴦は妖艶な笑みを湛えふふふ、と笑った。
逆に右衛門左衛門はというと、何とも言い難い面持ちで釜戸の火を見つめていた。

右衛門左衛門が真庭の里での居候となってから六日目の事。
いよいよ彼がこの大きな家屋に世話になる事も日数少なくなり始めた頃。
同時に、鳳凰や真庭忍軍の四頭領が任に出てから二日目の事だった。

普段通り――とは言っても、ここ六日の間習慣と化したものだが――に、右衛門左衛門は本日三度目の台所に立っていた。
元気の良い頭領達の居ない静かな一日を過ごし、本日最後の仕事であろう夕餉の支度をしていたその時だ。
右衛門左衛門は思わず自身の耳を疑った。
全くと言って良い程の初耳に驚愕したのである。

右衛門左衛門は鳳凰が里を去る間際、直ぐ帰るとしか聞かされていなかった。
小恥ずかしい言葉と口付けは悪戯に残して行ったが、あの朱い忍は何時帰るかまでは告げていかなかったのだ。
故に、右衛門左衛門が鴛鴦の言葉に驚いたのは無理もない事であり。
同様にハッと立ち上がり内心焦り始めるのも不可抗力であった。


「…だとすると夕餉はこれでは足りないのではないか?」
「ああ…そうだね、蝙蝠達も帰った来るものね」


今調理しようとしている倍の食材が要る筈だ、と鴛鴦は貯蔵庫へと足を運ぶ。
それを聞いた右衛門左衛門もまた米を追加する為に米櫃の蓋を開いた。
幸いまだ火に掛けてはいなかった為、今直ぐ準備をすれば夕飯には充分間に合うだろう。
新しく下ろした米を研ごうと、右衛門左衛門は再び釜を持って井戸へと向かった。


「…でも、ホッとしてるんじゃないのかい? やっと鳳凰様が帰って来てさ」
「は…」
「慣れない所で独りきりだったのよ。結構心細かったりしたんだろう?」


タライに水を張り野菜を洗いながら鴛鴦は右衛門左衛門に問う。
からかう様な口調はなく、ただ単に率直な疑問からだろうが不忍は心内で少し困惑した。


「……心細い、か。一日二日の事だからな…実感はあまり無いが」
「そう。てっきりそうかとばかりいたんだけどね」
「それに、私にとって人鳥の存在が一番大きかった」
「ああ……そういえば、あの子アンタに付きっ切りだったわね」


特筆大書をするのならば、正直な話。
とは言っても鴛鴦の言う通りなのだが、右衛門左衛門の心中にはこの時点で大きな杞憂は存在してはいなかった。
寧ろ寂寥さえも、側に人鳥が居た事により大して感じていなかったのが現状である。
不忍に懐いた少年は、まるで鳳凰の代わりとでも言う様に彼の側に常に居たのだ。
それは非番だった頭領達の中でも周知のもので、無論鴛鴦も既知していたものなのだが。

この家屋に右衛門左衛門が慣れてきたという事実はめでたい事である。
が、しかし、鳳凰が帰宅した時に彼がどのような反応を取るかだけ、彼女は胸中で気に掛かっていた。
無論、悪い意味でではなく、好奇心からである。


「…まぁ、あまり詮索を要れない方が得策だろうけど」
「…?」
「ほら、早くしないとみんな帰って来るよ」


微笑んで鴛鴦は小首を傾げる右衛門左衛門を促す。
未だ森の方へと行き帰って来ない狂犬の分まで動かなければと、くの一は野菜の入ったタライを持ち上げ土間へと戻る。
赤毛の忍もまた、研ぎ水を換えながらまた直ぐに騒がしくなるだろう家屋を想像していた。






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