刀*語

□穢れた東雲
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夜が廻ればまた朝がやって来る。
東雲が見える頃にはいつも全てが元通りになる。
偽りの、壊れた、歪んだ、元の世界に。

























「―――…右衛門左衛門さん、」


まだ僅かに空が明らんできたくらいの刻。
まだ夜だと言っても何らおかしくはない時間。
いつも、決まって早く目が醒める。
この目の前の御方よりも早く、朝日が昇るよりも前に。


「時間です。そろそろ起きて下さい」


山奥の掘建小屋に息を潜めるかの様に静かに、物音さえも立てないようにしながら短い時間を過ごす。
逢引きよろしく事が済めばそのまま薄い布団に泥の様にして眠る。
故に自然剥き出しのままの白い肩を揺すり、隣で寝ていた佳人を起こした。

ゆっくりと持ち上がる睫毛。
その下の美しい瞳が顕わになったかと思うと焦点の今一つ合わないそれに見つめられる。
痛々しい、顔の大半を占める傷痕とは裏腹に淡く優しい光の虹彩。
陶然とその双眸を見つめ返していれば、不意に目を細め眉を顰められた。


「…随分ご機嫌が悪いようですね、悪いようですね、悪いようですね…」
「気に入らず」


燃える様な真紅の髪を梳いていると、至極不機嫌極まりない声色の悪態が返ってくる。
やんわりではなく結構手厳しく手を払われた。
瞬きを繰り返して寝返りを打ち、そっぽを向いてしまう彼に人知れず微笑んだ。

いつもの事なのだ。
こうして暗い内に彼を起こすのも、不機嫌になる彼の髪に指を通すのも。
残り少ない時間を惜しむ様に、自分が懇ろに彼を慈しむのも。
所詮はその場限りの逢引きだ。
離れてしまうのは分かっている。
最初は互いに割り切った関係だった筈なのに。


「―――…朝なんて、来なければいい」


不意に、あらぬ方向を向いた彼から小さな呟きが漏れた。
耳が痛い言葉だった。
しかし慰めの言葉など紡げる筈がない。
初めに彼を誘ったのは、私なのだから。


「そうすれば、いつまでも…ずっと、こうして……」
「それは言わないで下さい」
「…………」
「第一に私達はそれを承知で関係を持ったのです。それ以上を望むのは貴方が苦しむだけですよ」
「…………」
「今の関係に満足していなければ、いつか勘付かれてしまいますしね」


彼も重々分かっている事である。
朝が来れば全てが元通りになるというのは。
何もなかったかの様に、また偽りの、壊れ歪んだ日常に戻ってしまうという事くらい。
だから彼は起こされると不機嫌になる。
私が起こす時は別れる時と分かっているから。
こうなる事は承知の上だった筈なのに、何処から踏み誤ってしまったのか。

しかし、同時に限界が近いという事も分かっていた。
精神的負荷によるものではない。
互いの気持ちに歯止めが効かなくなってきた故だ。
最初はただの遊びのつもりだった――…否。
少なくとも私は、僅かな恋慕を抱いて彼に近付いた。
彼はどうか定かではないが。
誘いを受けた時点で或いは、とも思うがそれは単なる憶測でしかないだろう。

とにかくもう互いに限界であった。
これ以上に、相手が欲しくなってしまったのだ。
体だけでなく、心までもを。
ただの逢引きでは済まなくなってしまった。
その所為で彼は、全てを裏切る羽目になってしまった。
伴侶である朱い忍や、何も知らずに祝福する者達を。


「―――…一つ、お願いしてもよろしいでしょうか」
「……何だ」
「いえね、大した事ではないのですが」


再び赤毛に指を通す。
未だ視線を逸らし続ける彼。
その白く細い背中に伸しか掛かり、華奢な肩口に顎を乗せて耳元で囁く。


「死にたくなったら、是非とも私に言って下さい」


小さく、息を詰めた様な気配が伝わった。
そんな反応さえも愛おしくて、耳朶に口付けを落としながら擦り寄った。
少し冷えた痩躯に腕を廻しながら言葉を続ける。



「全てに絶望して死にたくなったら、迷わず私に教えて下さいね」

「そうしたら二人で逃げましょう。誰も居ない何処かへ逃げましょう」

「追っ手に追われて、もう逃げ切れなくなった時、私は貴方を殺して上げます」

「貴方を殺して、私も貴方の後を追いましょう」

「だからどうか、その時は、」

「教えて下さいね。私を頼って下さいね」



嗚呼、まるで毒の様な。
何処までも彼を堕とさせるかの様な、そんな甘い悪魔の囁き。
優しく残酷な言葉をもってしても尚、私は、彼が欲しいのだと。

背中から廻した腕の抱擁を強めながら沈黙を保つ。
不意にそれが白い腕に絡め取られ、引き寄せられる様に密着した。
静かに、蚊の鳴く様な小さな小さな呟きは、まるで泣いているかの様に震え弱々しかった。


「―――お前は、何処までも酷い男だな」


重なった互いの髪が、土に濁った血の様に見えて酷く滑稽だった。






























穢れた東雲
(そしてまた東雲は朝日を連れて来る)
(浄化し切れない、穢れた私達を嘲笑うかの様に)







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