刀*語

□戦慄のmisunderstanding
2ページ/4ページ






最近、右衛門左衛門の様子がおかしい。

悪い意味ではない。
体調が悪そうだとか、機嫌が悪そうだという感じは見る処窺えない。
寧ろ良さ気ではないかとさえ思う。
明らかに、平生よりも上機嫌なのでは、と。
そう思える程に里に来てからのあの男の態は良かった。
まさにその優遇たるや、という風であった。

先日里を訪れた時からその待遇加減は頭角を現していた。
と思う。
いや、実際右衛門左衛門がやって来た頃我は出掛けていた故によくは分からないが。
仮にその時からと仮定して、やはり洋装仮面はいつもと様子がおかしかった。

我は、家屋に帰って来た際に右衛門左衛門に「おかえり」などと今まで一言も言われた事などなかったのだ。
わざわざ玄関にまで出迎えて貰った試しもない。
故に突発に起こった出来事に数瞬程理解が遅れた。
それだけではない。
普段あれ程我の嗜好を偏食だと言ってははためかしていた条例を掲げてこない。
まぁ要するに団子を控えろなどと、その様な事を一切言ってこない。
不必要に触れても振り払ってこない。
反撃という名の殺気も暴力も仕掛けてこない。
ただいつもの様に、色白な顔を真っ赤に紅潮させるだけ。

誰かが――確か喰鮫あたりだった気がするが――言ったものだ。
つれない懸想人にはいつか甘えたな時期がやってくる、と。

今がその時期、という事なのだろうか。
甘えの表し方がどうであれ、それが右衛門左衛門の渾身の妥協案ならば是非もない。
逆に愛しさも増すというものだ。
自然我の心持ちも高揚するのも不可抗力だろう。


「―――右衛門左衛門、」
「…、……何だ、鳳凰」
「今日まで此処に泊まっていくのだろう?」


急須で茶を淹れる右衛門左衛門。
その美しい線を作る俯きがちな顔に問うた。
一瞬肩が跳躍した様に見えたのに少し訝った。
何か都合が悪かったのか。
そう思うより先か後か、仮面は静かに口を開いた。


「そ…うだな。明日、帰るのなら」


もう一晩か、と。
そう呟いて右衛門左衛門は口許を歪めた。
柔眉で綺麗に綻ばせたその微笑は、何処か悲しげで。
何処か切なげで。

思わず刹那の内閉口した。
だが直ぐに膝を立て目の前から去る右衛門左衛門に何も言えなくなる。
一体今のは何だったのか。
思考を巡らす前に、台所から団子を出して来ようかと声を掛けられた。
生返事を返しながら、再び戻って来た洋装仮面と再び他愛ない会話を始める。

やはり時たま見せる、何とも言い難い微笑に。
我は心中に蟠りを作りつつ、それを今口にする事はなかった。






























「―――…右衛門左衛門、」


子の刻。
障子の向こう側で月が高く昇っている。
灯燭とぼんやりとした月明かりの中、背を向ける線の細い体躯に声を掛けた。
心持ち少し遠い位置に居る、右衛門左衛門に。

我の自室、いつもの様に敷いた二組の布団。
その布の向こう側に鎮座する男に流石に訝った。
まるで視線を合わせない様にしているかの様に。
我の顔を見ないよう努めているかの様に。
露骨ではないが確かにそう察する事の出来る空気に静かに問い掛ける。


「どうした? 昼間から少し気に掛けていたが…いつもと様子が違うぞ」
「…っ……」


びくり、と跳躍する肩。
縮こまる様に俯き、丸まる背中にますます不審が増す。
未だ黙り込んだままの右衛門左衛門に、背後から静かに近付きながら再び問う。


「右衛門左衛門?」
「…………」
「…どうしたのだ、本当に一体―――…」
「どうした、だと?」


何の反応も返さなかった右衛門左衛門が不意に口を開く。
その幾分低い声色はどうしてか、酷く憎らしげで。
思わず肩に伸ばした手を引っ込めた。
視線を落としこちらを見ようとしない男に凝然とする。


「…分からず。何故お前は私にその様な事を訊くのだ」
「……?」
「そんな言葉は、ただ私が惨めになるだけだろう…ッ」


言葉の意図が掴めなかった。
惨め?
気遣う様な言葉の二、三で傷付く様な安い自尊心がこの男にはあったというのか。
長年の付き合いで知り得た事のない事実だった。


「何故まだ誤魔化そうとする……私が、何も知らないとでも思っているのか…!」
「な、にを言って、」
「止めろ!」


ぱし、と。
僅かに触れる程度で置いた手を払われた。
その際に鳴った乾いた音は、男がどれだけ我に拒絶の意を示しているかを容易に告げていて。
数寸その場で後退りさえした右衛門左衛門に茫然とした。

滴りが。
透明な雫が、陶磁の様な肌を伝っていた。

思考回路が直ぐには使い物にならなかった。
はらはらと仮面越しから流れ落ちる、紛う事なき涙にどうしたら良いかさえ考え付かなかった。
我にはてんで心当たりが無いのだ。
無意識に何か傷付く様な事をしてしまったのだろうか。
しかしあれだけ機嫌良さ気だった中でその様な不始末を生む訳もない。


「右衛門左衛門…」
「聞かず…! 弁解や誤魔化など聞きたくもないっ……どれだけ、お前はッ、」


ぐ、と嗚咽を押さえ込む様に一息堪えた後、哀しく目の前の男は叫んだ。


「どれだけ、私を苦しめ蔑ろにすれば気が済むのだ…!!」






次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ