刀*語

□気紛れバケーション玖
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「ほ……鳳凰…?」


ぱさり、ともう一度髪が滑り落ちる。
しかし今度赤毛が流れたのは右衛門左衛門の肩や背中ではなく。
突然反転した視界に彼は咄嗟に何が起きたのか分からなかった。
鳳凰が触れたと同時に、突如傾いた身体。
男が肩を押した事によって右衛門左衛門は布団の上に押し倒された。

布と触れ合って自らの髪が音を立てるのを遠くで聞きながら恐る恐る上を見上げる。
右肩と左手に手を添えられ暗に逃げられない様に示されている事は瞬時に判断付いた。
しかし何故こんな事になっているのかだけは推測が立たず鳳凰に問おうとする。
口が乾き自然掠れた声音で名を呼んだ。


「…………」


灯燭の明かりの中で見た鳳凰は無表情だった。
何も言わずただ組み敷いた右衛門左衛門を真っ直ぐと見下ろす。
こんな事は初めてなのでは、と仮面は混乱した思考の中思う。
あの時でさえ鳳凰は普段通りの小さな微笑を浮かべていた。
無表情など面と向かって向けられた事がない。

故に、少し怖いと思った。

何か彼の逆鱗に触れる事でも言ってしまったのだろうか。
記憶を辿ろうと模索するが混乱して上手く纏まらない。
動悸だけが異様に早鐘を打つ。
自由である右手で状況を切り抜けようとさえ考え付かない程恐慌していた。


「……右衛門左衛門、」
「っ…!」


小さな火種に照らされた朱い隈取り。
そのゆらゆらと揺らめく猩々緋を途方に暮れて見つめていると、不意に鳳凰の口が開いた。
いつもの飄々とした口調ではない、低く囁く様な、真摯さの伝わる声色。
反射的に右衛門左衛門が仮面の下の双眸をきつく瞑る。
何をされるか分からない恐怖から身を竦めていると、案の定鳳凰は動いた。

着流しが擦れ合い、布が小さく音を立てる。
頬に何かが触れたかと思えば今度は唇に柔らかい感触がして驚いた。
思わず閉じていた目を見開くと、更に大きく見張る。
鳳凰の髪が自身の頬に当たっていると右衛門左衛門が気付いたのはその時だった。
鳳凰の唇で自身のそれが塞がれているのに気付くのも、同時だった。

啄む様な口付けの後、ゆっくりと鳳凰が顔を上げ右衛門左衛門を見下ろす。
恋仲の色事に免疫のない仮面の懸想人の事である。
普段の如く羞恥に真っ赤になるかと思いきや、驚愕のあまり茫然と朱い男を見つめていた。
その様子を見て、鳳凰は無表情を苦笑に変え再び顔を近付けた。


「…ッ……ほうおっ…!?」


覆い被さり、白い鎖骨に顔を埋め鳳凰は右衛門左衛門に抱き着く。
やっと意識を取り戻した仮面は、先程の口付けも相まって普段よりも深く紅潮する。
裏返る声音に比例し高くなる体温を感じながら、鳳凰は慌てふためく彼の耳元で独り言の様に呟いた。


「―――…行くな」


静かに、蚊の鳴く様な小さな言葉。
右衛門左衛門の肩が僅かに跳躍した。


「此処に、居てくれ」


縋る様に、悲しそうに紡がれた懇願の言葉に咄嗟に真横にある鳳凰の顔を見遣る。
当然ながら男の表情は肩に埋められていて分からない。
それでも右衛門左衛門は鳳凰がどんな心中でいるのか容易に悟れた。


「鳳凰…」
「……などと言えたならば、どれだけ良いか」


自嘲混じりに鳳凰が誤魔化す様に続ける。
少し強まった抱擁に右衛門左衛門は息を呑む。
これが朱い忍の精一杯の願望なのだと思うと切なくなった。






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