婆沙羅3 第二陣

□懐かしのてふてふ
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「―――…やれ珍しき客よな」















「何しに来やった、暗」
「いや、何しにって程じゃあないんだが」


自室にて書を読んでいた吉継が何かを引き摺る様にしながら歩く足音に気付き顔を上げる。
すると丁度戸を開けひょっこりと顔を覗かせた男と目が合った。
正確に言うと長い前髪で隠れたそれと、何となく合った気がするだけであるが。

官兵衛が障子戸二枚分を開け去り敷居辺りに腰を下ろす。
それに不審に思いつつも彼女は黙ってその様子を見つめる。
間の抜けた声と共に一息付く男は、吉継を振り返りながらまた言葉を紡いだ。


「小田原に行く途中にちょいと一休み、と思ってね」
「ヒヒッ、また悪巧みか? 黒田、ぬしも懲りぬ男よなァ」
「おいおい、小生はただ呼ばれただけだ! まだ何かすると決まった訳じゃないだろう」
「ヒッヒッ…さようか」


思わず弁解を入れる官兵衛だが、それを部屋の主が信じたかは定かではない。
恐らく嘘だろうと確信を込められた相槌に、彼はこれ以上言い返すのを諦めた。

不意にぱたん、と紙が空気を吐き出す音が聞こえる。
かと思えばそれは吉継が書物を閉じた為の音で、机の上に置き彼女は身体を官兵衛の方へと向けた。
その度毎に大変であろうに、動かない足をずらし対話をする姿勢を取るその様に少しだけ目を見張る。
殆ど無意識の内に、わざわざ読物を手から話した彼女に官兵衛は問いを投げ掛けた。


「……そういやぁ刑部、三成はどうしたんだ」
「三成か? 一刻程前に野暮用に出て行ったが」
「…そうか」


普段常に吉継から離れないような男が何用があるのか、と官兵衛は心中で呟く。
だが疑問を抱いているのは彼女も同じで、何故そんな事を聞いたのかと男に対し小首を傾げていた。
その様を見て官兵衛は再び胸奥が疼く様な心持ちになった。
久しく見る目の前の女武将の、文字通り女らしい淑やかな所作を垣間見た故であった。

幾分か昔から、官兵衛と吉継は豊臣臣下という形で同僚であった。
幼馴染みという割りには余所余所しく、腐れ縁という割りにはまだ和解された部分のあるそんな関係。
二人はその間柄を一片も壊す事もせず保ち続けている。
だが、官兵衛はその煮え切らない関わりを長年やきもきしていたのだった。
元服したての頃から、それこそ吉継がまだ病を患う前からずっと一緒に居たようなものである。
官兵衛が彼女に恋心を抱く時間は有り余る程あったという訳だ。
無論女の方はどう思っているかは分かる由もないが。

その為官兵衛は、吉継の口から三成は居ないという話を聞いて内心喜んでいた。
何せ最大なる恋敵が此処には居ないのだ。
何年か振りに二人きりになれ、気分が昂揚しない男が少ない方が稀である。
しかし官兵衛は飛翔する思いを抱く半面、何処か急降下する様な思いも感じ取っていた。


「………刑部、」
「うん?」


他愛のない話をしている途中に、唐突に官兵衛が口を切った。
改まった呼び掛けに、雰囲気が少し変わった声色。
それに吉継が気付くと同時に男は彼女に躊躇いもなく告げる。


「お前さん、綺麗になったなぁ」


淡々と言われた思いも寄らなかった言葉に呆ける吉継。
そんな彼女に逆に首を傾げる官兵衛に溜息が漏れた。
賢いが口からものが片端から零れ落ちてしまう男の性格に吉継は暫し閉口してしまった。






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