婆沙羅3

□背中越しの温もり
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怪我をした。
しかも利き足に。
幸い捻挫で済んだものの、戦場であったこの場所から遠い本陣へ戻るのは思いの外難儀だ。
馬も何処を見ても生きているものはおらず、人のそれと同じく死骸ばかり。

歩きたくない。
そう思い始めた矢先の事であった。















「―――…一度これに乗ってみたいと思っていたのだ」


ふらふらと、不安定に揺れる古木で出来た櫓。
これの持ち主である我が友にそう言えば、呆れた様な溜息が零れたのが聞こえた。


「…我の輿は怪我人を運ぶ為のものではないぞ」
「無論、分かっている。だがあの場にお前しか居なかったのだから仕方あるまい」


痛む足を引き摺りながら歩いていた処、丁度私を捜しに来たらしい刑部と遭遇した。
早く本陣へ戻れと言いに来た友に、その櫓に乗せてくれと頼んだのはつい先刻の事だ。
そして今、私は刑部の後方へと腰掛け、不思議な浮遊感と共に戦場を後にしている。


「生きとる馬が一頭もおらんとは何と奇っ怪な」
「皆兵が連れ帰ったようだからな、乗って帰る事も出来ない。全く総将を差し置いて本陣へ先に戻るなど薄情者ばかりだ」


否、元から西軍は協調性に欠けている為これも致し方ない事だろう。
皆各々の復讐、野望、又は思いの為に動いている。
かく言う私もその一人だ。
実際、総大将が居なくとも各自で行動出来る輩ばかり。
他人の事など然程気にしてなどいないだろう。

その旨を独り言の様に刑部に呟く。
奴が何かを言う事はなかったが、私の言葉に耳を傾けている事は気配で分かった。


「刑部、お前はどうやって本陣へ戻るつもりだ」
「私には馬車があるのでな。そこに雑兵を待機させておる」
「そうか」


ぱちぱちと爆ぜる小さな火元の上を通る。
無惨にも散っていった屍の山を一瞥しながらふと思う。
友は先を読んで常に考えて動いている。
感情に身を委ね後先考えず動く自分とは違うのだと。


「お前は賢いな、刑部」
「…………」
「……刑部?」
「…ぬしに、頼みがある」
「頼み?」


私にか、と問おうと振り返ると、背中越しに刑部もまた振り返って私を見つめていた。
至近距離で凝視する彼の表情は厚く巻かれた包帯と仮面で読み取る事は出来ない。
唯一私を見ている刑部の黒い双眸でさえも、長年見てきた筈であるというのに表情が窺えなかった。


「友として、頼む」
「…………」
「あまり無茶をするでない」


目を逸らす事なく真っ直ぐとかち合う視線。
僅かに目を見張っているであろう私にあくまで刑部は何も言わなかった。
ゆっくりと首を前に回し、また櫓を進ませる。

私は何と優しき友を持った事だろうか。
全てを喪った私にも、まだ彼の様な存在が側に居てくれたとは。
有り難い事だ。

秀吉様。
私はまだ意志を貫く事が出来そうです。
大切な友が、私の側に居てくれているのですから。


「―――刑部、」


凭れた刑部の背中越しに、彼が小さく身じろいだのが分かった。
突然背中を預けた私に、何も言う事なく黙っている。
嫌がる様な所作もこれ以上見せる事のなくなった、私の次の言葉を待っていてくれる友に話し掛ける。


「お前の隣は、心地良いな」


ほんの僅かだが、櫓の進む速度が落ちた気がした。
珍しい事に、刑部が少し動揺したらしい。
柄でもない事を言うでない、と私を咎める言葉も普段より小さめで。
目を閉じて感じる彼の温もりも、包帯、鎧越しだというのに酷く温かく感じられた。






























背中越しの温もり
(もう暫く、この一時が続くと良いのにと)
(少しだけだが怪我を負って良かったと思ったとお前に伝えたら、お前は呆れるだろうか)







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