婆沙羅3

□蓮の中に死す
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三成さん独白。








この空虚は何だ。
お前と歩いたこの森の中を歩いていてもまだ拭えない虚しさ哀しさ。
お前が死んでから初めての夏が来た。

お前が隣に居ない、初めて行く蓮の沼。















あの沼を見つけたのは丁度一年前の事だった。
通り掛かった森の中偶然見つけた。
あの沼をお前と共に眺めたのも丁度一年前の事だった。
眩しそうに、そして微笑むかの様にお前は目を細めていた。

全て丁度一年前の出来事。
去年の夏、まだお前が生きていた頃の事だ。
またこの蒸し暑さに耐えねばならないのか。
そういえばお前も、よく暑さに参っては日陰で扇を扇いでいた。
大事ないとよく切り返されたが、病の所為で厚く巻かれた包帯は見ていてとても暑そうだった。

苔むした木に片手を付き、あの時見遣った沼を遠くから見つめる。
色鮮やかに咲き狂う蓮の花は、陽の光を浴びて幻想的だった。
まるで去年から時間を止まったままの様。
もう誰も待つ必要も無い筈なのに、暫くそこに立ちすくんでから歩を進めた。


「―――…今年も見事に咲いたな、刑部」


沼から三尺ばかり離れた所で立ち止まる。
無意識に零れ落ちた言葉にさえも気が付かない。
そのまま蓮の花を見下ろしながら、一年前のこの光景を思い出しながら続けた。


「去年は咲き終わりに近い頃だったからな。今年は咲き始めの頃合いに来て正解だった、丁度満開が見れた」


ゆっくりとその場に腰を下ろし、自然と立ち上がった膝の上に腕を投げ出す。


「覚えているか、刑部。あの日私がお前の為に蓮の花を摘んで帰ると言って、沼に脚を浸けた事を」


あの時私は秀吉様の御為よりも、お前の為に持って帰りたいと思っていた。
互いに花など愛でる趣味もなかった筈なのに、もう一度お前と此処に来たかったのだ。


「その時お前は呆れて私を諭した。また来れば良いと。どうだ刑部、あの時よりも格段に美しいだろう―――…」


一年前、まさにこの場所でしたやり取りを思い出し口許が歪んだ。
きっとお前も思い出しているんだろうと、隣を振り返ってみたが誰も居なかった。
しんと静まり返った沼を見つめていたのは私だけだ。


「―――…刑部、」


行き処のなくなった言葉を嚥下し、もう一度名を呼ぶ。
隣から、背後から、またあの声が聞こえてくる気がした。
しかし、返って来るのは静かなそよ風が通る音、そして鳥の囀りのみ。
真正面の沼に浮かぶ蓮も何も語りなどしない。


「刑部……刑部、刑部、刑部刑部…!」


返事くらい返したらどうなんだ。
私が呼んでいるのだぞ。
そう呟いた途端に、泥沼の向こうから吹いて来た風が私の横を過ぎ去って行った。

そうだった。
今は私一人しか此処には居ないのだ。
滲んでいく視界に堪え切れず俯けば頬を何かが伝っていった。


「法螺吹きめッ……裏切り者…! 何故だ、刑部…! 何故…」


何故私を庇った
何故私を裏切った
何故私の前から姿を消した
何故、死んだのだ。

何故だ、刑部。
私の元からは決して去らないと、お前は言ったではないか。
また二人で此処に来ようと約束したではないか。
何故私を裏切った。
何故私を独りにした。


「刑部…」


あの時槍に刺され死に伏したお前が頭から離れない。
あの時何も出来ずにお前を送った悔いや虚しさ、哀しみが一年経っても忘れられない。
私はお前に何もしてやれなかった。
お前は私に沢山のものを与えてくれたというのに。
全てを返す前にお前は逝ってしまった。

青々とした草原に拳を叩き付ける。
歯を喰い縛って漏れ出る嗚咽をやり過ごす。
両目から溢れる涙はしとどに流れ収まる気配も無い。
まだ涙が流せたのか。
涙はあの時を堺にもう涸れたものだと思っていたが。
私はまだ死を嘆く事を赦されているのだろうか。


膝を抱えたった独りで涙を流す。
もうお前とこの沼を見る事は叶わないのだな。
ならばいっそ此処で死んでも良いかもしれない。
私にはもう何も無いのだから。

沼に手を伸ばすと何かに触れた。
滲んだ視界を瞬いて戻すと指先に蝶が止まっていた。
直ぐにひらひらと飛んで行くそれに、何故か近くにお前が居るような気がして。
目の前の蓮の花に何時しかのお前の姿が重なって、また涙が零れ落ちた。






























蓮の中に死す
(ただ、お前に一目会いたい)
(それだけなのに)







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