婆沙羅3

□泥の中に死す
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大谷さん独白。








気付けばもう夏が巡って来ていた。
ぬしの背を追う様にこの森の中を進む。
我が死んでから初めての夏が来た。

我が死んでから、三成が初めて蓮の沼を訪れた。















「―――…今年も見事に咲いたな、刑部」


沼から三尺ばかり離れた所で三成が立ち止まる。
そうよなぁ、今年は咲き始めの頃に来たのだからそれは美しかろ。

無意識に呟いた言葉だったのだろうか、三成は暫く佇みながら沼を見つめる。
隣に我が居る事すらも気が付かぬまま、蓮の花を見下ろしていた。


我が死んでから間もなく一年が経とうとしている。
彼岸から戻って来た訳でもなく、何時まで経ってもこの調子の三成が心配で堪らぬ故、未だ我は成仏していない。
所謂地縛霊というものか、然しながら対して生きていた頃と心地は変わらぬのも不可思議なものよ。
目も耳も、意識をもしっかりしているとは。
稀に自分が死んでいる事を忘れてしまうわ。


ゆっくりとその場に腰を下ろす三成。
我もそれに倣い隣に腰を下ろす。
足…は流石に幽霊である我には無い為座っているのか屈んだのかは分からなんだ。


「覚えているか、刑部。あの日私がお前の為に蓮の花を摘んで帰ると言って、沼に脚を浸けた事を」


ああ、しかと覚えておる。
ぬしのあの行動は流石に驚いた。
誠奇特よ、互いに花など愛でる趣味もないのにな。
ぬしの言葉に、我ももう一度ぬしと此処に来たいと思っておった。


「その時お前は呆れて私を諭した。また来れば良いと。どうだ刑部、あの時よりも格段に美しいだろう―――…」


まるで我が見えているかの如く三成が我の方へ顔を向ける。
三成よ、ぬしは我が隣に居ると知って物を言っておる訳ではなかろ。
一年前、まさにこの場所でしたやり取りを思い出し微笑む我が友よ。
その儚い笑みを暫し見つめていると、鶯色の瞳がぐらりと揺れた。
しんと静まり返った沼を再び見つめ、この目の前の男はまた黙り込む。


「―――…刑部、」


どうした、三成。
そう確かに唇を動かし声を発するが、決して三成にこの声が届く声は無い。
静寂の中この男に返事を返すのは、沼の向こうから吹く風の音と暢気な鳥の鳴き声程だ。


「刑部……刑部、刑部、刑部刑部…!」


分かった分かった。
そう何度も呼んでくれるな。
我はぬしの隣に居る故。
我は此処に居るぞ、三成。


“返事くらい返したらどうなんだ。
私が呼んでいるのだぞ。”


ああ、聞こえておる。
だがすまぬな、声がぬしにまで届かぬのだ。
何とも歯痒いものよの、幽霊というものは。
我とて、ぬしの呼び声に応えれるものならば応えてやりたいのだが。

やれ、そう俯くでない。
泣くな、三成。
それでは良い男が台無しよ。


「法螺吹きめッ……裏切り者…!」


やれ、これはまた随分な言われ様よな。
嘘吐きであるのは認めるが、ぬしを裏切ったつもりなど更々無いが。


「何故だ、刑部…! 何故…」


草原を拳で叩きながら続く責めの言葉。
ああ、分かっておる。
そうよな。
確かに我は、ぬしを裏切ってしもうたのだな。


“何故だ、刑部。
私の元からは決して去らないと、お前は言ったではないか。
また二人で此処に来ようと約束したではないか。
何故私を裏切った。
何故私を独りにした。”


…さてな、我にもとんと分からぬ。
ぬしを独りにするつもりも死ぬつもりも無かった。
約束を破るつもりも無かった。
いや、真よ真。
我はぬしには嘘など吐かぬ。

然し、そうよなぁ。
敢えて言うならばな、三成。


「刑部…」


ぬしだけは、死なせたく無かった。
ぬしにはもっと生きて欲しかったのだ。
あの時槍に刺されながらもぬしを目にした事が如何に救いになったか。
あの時我の名を呼ぶぬしをどれだけ愛おしく思うたか。
ぬしは我に沢山のものを与えてくれた。
全てを返す事は叶わなんだが、これだけは返せれた。

やれ、三成。
もう泣き止まぬか。
我の為に涙など流して欲しゅうない。
ぬしには笑っていて欲しいのだ。
ぬしの笑んだ顔を見とうて、我はまだ成仏出来ぬのだ。


“もうお前とこの沼を見る事は叶わないのだな。”


何を言うか、毎年でもこうして共に見れるぞ。
ぬしがそう思い込んでおるだけであろ。
我はぬしの隣に居るぞ、三成。

三成が沼に手を伸ばす。
やれ、いつかやると思うとったわ。
止めぬか、三成。
ぬしはまだこちらに来てはならぬ。
太閤達もそれを望んでおらぬ。
ぬしはまだ生きろ。

触れる事も出来ぬのだが、伸ばされた三成の腕をやんわりと掴んだ。
途端に涙を溜めた双眸を瞬き茫然とする。
直ぐにまた手を放すと、くしゃりと三成の顔が歪んだ。
目の前の泥沼を見つめながら、三成の瞳からまた涙が零れ落ちた。






























泥の中に死す
(三成よ、もう嘆いてくれるな)
(我は如何なる時もぬしの隣に居る故)







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