婆沙羅3

□It never return forever.
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「―――…吉継君、」


廊下を輿に乗ったまま移動していると、不意に背から掛かる声。
我をこのように呼ぶ者などそうは居ない。
凛と透る声音に振り返りながらその者に口を開く。


「……これは、竹中公。我に何用であるか」
「すまないね、呼び止めてしまって。秀吉を見ていないかい?」
「太閤を? さてな、我は今日まだ見てはおらぬが…」
「そうか…一体何処へ行ったのやら」


淡い微笑と共にかの友人を捜していると目の前の男は言う。
知らぬと答えれば紫色の双眸は困惑したかの様に細められ、そしてまた声色もその色は含まれる。


「もし見掛けたら、僕が捜していたと伝えておいてくれないかい?」
「…承知した」
「それじゃあ、頼んだよ」


再び太閤を捜すべく、歩き出す竹中。
あれが太閤と共に居ない時の方が短かろうに。
珍しい事もある。

して、我は何故廊下を渡っていた。
我も誰か捜しておった筈だが――…ああ、三成だ。
あれに野暮用があった故にだ。
果たして、三成も何処へ居る事やら。
竹中に同じ事を頼めば良かったと今更ながら悔いた。

静寂に包まれた庭の前を通る。
然し三成の行く所なぞ指で数えるまでもない。
見当の付く場に行けば大抵見つかるであろ。
そう思いながら廊下の角を曲がる。

やれ、此処に居ったか。
咄嗟にそう呟いたのは致し方ない。
眼前の庭に捜しておった者等を見つけた故だ。
そこには三成も竹中が捜しておった太閤までも居た。

縁側近くで何やら談議をしている様であったが、何とも奇妙な光景よ。
こちらに背を向けて話す三成は太閤と並んでおる所為か普段よりも小さく感じられ、その普段はしゃんとした肩も幾分か縮こまっている様だ。
後者は恐らく太閤と話しておる故よな。
然し頼まれ事も此処で済ませられると思うとどうも都合が良い。


「―――…太閤よ、」


ゆっくりと輿を進ませながら二人に近付く。
声が届く程の距離で先ずは太閤の名を呼んだ。
それに気が付き太閤が視線をこちらへと移す。
次いで背を向けていた三成が振り向いた。


「刑部…」
「……大谷か。我に何用でもあるのか」
「話の途中に済まぬな。竹中公がぬしを捜しておった故」
「半兵衛がか? そうか…」


何か心当たりがあったのであろ、太閤は静かに頷いた。


「………今後とも期待しておるぞ、三成」
「は、はい!」


太閤の言葉に三成が直ぐ様返事を返す。
その背筋を伸ばし大仰なまでに頭を下げる様は日常ながらにも感心する。
誠太閤を慕っておるのであろ。
そうでなければ左腕とて此処まで出来ぬ。

太閤が我が通って来た廊下を歩いて行く。
その巨躯が曲がり角を曲がった処で視線を元に戻す。
無論三成を見遣ったのだが、未だ見えなくなった太閤の背でも見つめているかの様な様子に直ぐに直ぐ声は掛けなんだ。
その萌葱は感激と崇敬に煌々としていた。
普段は一文字に結ばれる口許も今回ばかりは口端が吊り上がっていた。


「…やれ、三成よ。太閤に何か良い知らせでも聞いたか」
「………秀吉様が…私を、褒めて下さった……秀吉様が……」
「なんと、それはメデタキな」


めでたや、めでたや。
あの太閤直々にか、それはまた珍しや。
それにこの三成の喜び様、余程手厚く褒められたのであろ。
呟く様に事情を話す三成の表情が段々と明るくなる。
まるで大輪が花開くかの様に笑みが深まる様は見ていて飽く事など全く無い。
年相応の、或いはもう少し幼げな無邪気な友のその笑顔を我は好いていた。

愉悦に浸る三成。
暫くその様を見つめておるとふと萌葱と目が合った。
あれ程喜んでおったというのに、一度笑みを抑え普段と変わらぬ表情で我を見遣る。
やれ、一体どうしたと言うのだ。


「…刑部、もしや私に何か用があったのではないか?」
「……? いや…何故にだ」
「そうでもなければお前はこんな所まで来ないだろう。まさか秀吉様を捜して此処まで来た訳ではあるまい」


秀吉様が此処にいらっしゃると予測していたなら話は別だが。
そう言うて三成は我に問い質す。
確かにな、太閤が此処に居たと誰が予測しよう。
竹中ならば可能やもしれぬがそれなら既に我より早く見つけていた筈。

やれ、三成も大層聡い男よ。
我がわざわざ自室の真逆にまで輿を運ばせて来やったのだと勘付きおったとは。
それにしてもその笑みを収められるとは何とも惜しい。
まちとだけ見ていたかったのだが、まぁ仕方あるまいて。


「…その通りよ、我はぬしに用があった」
「何だ」
「然しな、太閤に用件を伝えた途端に忘れてしもうたわ」
「何だと?」


呆けた顔をして三成が我を見遣る。
やれ、そう驚いてくれるな。
我にも物忘れというものくらいはある。


「…らしくないな」
「何、所詮野暮用は野暮用だったまでの事よ」
「何だ、その野暮用というのは」
「さてな、忘れてしもうたわ」
「ふざけるな、気になるだろう」


言え、と言うて我に迫る三成。
先のあの笑みは何処へ行った事やら。
こうなっては埒が明かぬ故、一度自室へ戻る事にした。
どの道三成は我の後をついて来るのであろ。
実際その通りであるが。

果たして三成にそもそも野暮用なぞあったかさえも曖昧よ。
ただあれに一目見たくなっただけやもしれぬ。
そう独り言ちる我は、後に降って来やる禍に全く気が付いておらなんだ。






























It never return forever.
(そしてあの平穏は死に伏した)
(もう二度と、永久に戻る事もなく)






100829.
 

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