刀*語 二本目

□気紛れバケーション終
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「―――…あら?」


早朝。
台所に立った狂犬が驚愕に声を上げた。
素っ頓狂なその声音を向けられた相手は思わず振り返る。
毎朝通りに、且つ少し怪訝そうにしつつも彼は――右衛門左衛門は口を開いた。


「…狂犬か。一体どうした、素っ頓狂な声を上げて」
「右衛門左衛門ちゃん、アンタこそどうしちゃったのさ」
「……? 分からず。それはどういう意味だ?」
「今日はアンタ帰る日だろう? 何で今朝も台所に立ってるんだい」


野菜を切る包丁を持つ手を止め、小首を傾げる右衛門左衛門に狂犬は心配げに問い掛ける。
その言葉を聞き、不忍は理解した様にゆっくり頷いた。
不意に口元を薄く歪め、問題ないと応える。


「問題ないって…今日くらいゆっくりしたらどうなの。まぁアタシが言うのも何なんだけどさ」
「及ばず。特に支障はない、これは私が好きでやっている事なのだから。それに、」


右衛門左衛門が言葉を紡ごうとすると、途端に引き戸を開ける音に遮られる。
バタン、と大きな音を立てて、台所と居間を繋ぐ敷居の奥から騒がしくあの三人が起きてきた。


「おっす、右衛門左衛門に狂犬! 相変わらず早えぇな! きゃはきゃは!」
「おはようさん」
「……うよはお…」
「あらおはよう、蝙蝠ちゃん、川獺ちゃん、白鷺ちゃん」
「ああ。おはよう」


元気の良い挨拶と共に一足早く居間に到着した蝙蝠、川獺、そして白鷺。
白鷺に至ってはまだ寝惚け眼ではあるが。
しかし今朝は三人共少し早い起床ではないか、と狂犬はふと思う。
だが思っただけで、直ぐに右衛門左衛門の途切れた言葉の続きを促した。
否、促そうとした。
すると、


「精が出るのー、右衛門左衛門、狂犬」
「お、お、おおはようございます…」
「お早う。今朝も苦労掛けるな」
「あ、おはようございます」
「おっす、右衛門左衛門に狂犬!」
「おはようございます。今日もすみません遅れてしまって…」
「おはようございます、右衛門左衛門さん。今日も素敵ですね、素敵ですね、素敵ですね…」
「ッな…え!?」
「ああ。おはよう」


海亀、人鳥、蟷螂、蜜蜂、蝶々、鴛鴦、喰鮫、と。
続々と起床してくる頭領達に狂犬は口吃る。
その隣で何の戸惑いもなく右衛門左衛門は返事を返した。
蝙蝠達が起きてきた際と同じ様に、振り返って口端だけを僅かに持ち上げて。


「何で今朝は皆早いんだい!?」


疑問に叫ぶ様に声を上げる狂犬。
彼女の思いは至極尤もではあるが、それは右衛門左衛門にとっても分かり得るものではなく。
当惑した様に大声を出す狂犬を見つめながら鍋に野菜を投入していた。
遅れてやって来た鴛鴦も、薄く微笑を湛えるだけで。

何故かここ一週間の中でも一番早いと言える朝起きをしてきた頭領達。
普段ならば朝餉が出来る頃に、丁度彼等は起きてくる。
まだ出来上がりまで程遠い中、和気藹々と卓に着くのはどういった理由故なのか。
首を傾げながら狂犬は皿を出す為戸棚へと向かう。
米を炊いた釜の火加減を確認する鴛鴦も尚、何も言おうとはしなかった。


「お早う、右衛門左衛門に狂犬。そして鴛鴦も」


不意に。
背中に呼び掛けられる声に狂犬は間髪入れずにまた驚愕した。
更に、と言うよりも最後に、12頭領の内最も遅く起きてくる人物。
鳳凰の声が聞こえたからであった。
朝食の時間直前まで起きて来ないような、彼の声が、である。
彼女の反応も無理はないであろう。
狂犬が有り得ないと言いたげに振り返り口を開く。


「鳳凰ちゃん…アンタもかい」
「? 何がだ?」
「今日はやけに朝早いじゃないか」


他の頭領達もそうなんだよ、と。
食卓を囲む他の頭領達を視線で指して狂犬は溜息を吐く。
不可解な皆の行動にそろそろ不気味さを感じ始めた彼女。
そんな真庭の重鎮に鳳凰はああ、と頷いた。


「それはそうであろうよ」


殊勝に答える鳳凰に右衛門左衛門も振り返り仮面越しの視線を向けた。


「皆例外なく右衛門左衛門を気に入っていたのでな。加えて今日で暫く顔の見納めなのだ。早く起きて来ようと思うのは当然であろうよ」
「………悪しからず。それは誉れな事だな」


この一週間、突然ではあったが居候の身として真庭の家屋、一つ屋根の下で過ごしてきた右衛門左衛門。
言い換えれば同じ釜の飯を食した仲である。
一人の姫の従者という片鱗を覗かせる、献身的な姿勢。
更に年下に甘いという気質に頭領達の反応は悪い筈もなく。
すっかり洋装仮面は真庭忍軍の間に馴染んでいた。

しかし。
それ故に今、皆が心に名残惜しさを仕舞い切れずにいた。

鳳凰の妻として、或いはこの大家族の一員として。
親しく接してきたが故に、一時の別れが惜しいのだ。
暫く顔を見る事も無くなれば、毎食の如く作られた右衛門左衛門の食事も食べる事は無くなる。


「思えばこれである意味最後の朝餉だものねぇ」
「…………私も、」


狂犬がしみじみと言葉を紡ぐ。
何処か感慨深い語気に右衛門左衛門は食器を盆の上に並べ置く手を止めた。
長いようで短かった、一週間。
それは真庭忍軍の頭領達ばかりでなく、不忍にも思う処を抱かせる時間となり。

手に取った黒塗りの茶碗をじっと見つめる。
今は暫定的に白鷺の茶碗となっている、蝙蝠手製の器。
先日自分が割ってしまったのだったと、密かに独り言ちながら右衛門左衛門は先程狂犬に伝えそびれていた言葉を発した。


「私も…彼らに食事を作る事が。嫌いではなかった」
「………そうか」


思えば沢山の思い出が、この里で出来てしまった。
自分達は忍である。
未練や心残りなどさほど大した事ではなかった筈。
そうならぬよう念じ、いとも容易く心を殺す事が出来た筈だった。
しかしこの心地好さは全くの偽りのない、殺す事など出来ない様なもので。

静かに、噛み締める様に。
右衛門左衛門はその心中を語る。
世話になった人達の為に、最後まで、今日まで行ってきた事を。
いつもの様に為して、そして、終わりたい。
それが自身の出来るせめてもの感謝の意であると。
そう暗に告げる洋装仮面に、鴨居の側に佇んでいた鳳凰は微笑んで相槌を打った。


「…寂しくなるわね」


鴛鴦の、苦笑混じりの言葉に、台所に立っていた三人は困った様に頷くだけであった。






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