キリリク文

□葛根湯と雪うさぎ
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「風邪だな」



卯の刻。
辰の刻に近い様な、既に日の昇り始めた刻。
真庭忍軍十二頭領らが暮らす家屋の一角、その簡素な部屋の中で上記の様な声が聞こえた。



「大して酷くはないようだが。ここ数日は養生が必要であろうよ」

「そうよねぇ、風邪は引き始めが肝心だって言うしね」

「季節の変わり目だからな、こればっかりは仕方がないの」



鳳凰、狂犬、海亀、と。
年長者達(鳳凰は否定するかもしれないが)の言葉を聞きながら力無く頷く。
身体は熱を孕み関節は軋み、山吹色の大きな瞳は潤んでいる。
荒い息遣いを繰り返しながら一生懸命に少年は三人を布団の中から見上げていた。



「暫くは仕事はお休みね、人鳥ちゃん」



端的に云うと、人鳥は風邪を引いてしまっていた。

冬もいよいよ勢いを付け寒さを運んできた時期。
急激な気温の変化はいくら真庭忍軍十二頭領が一人とは言えど子供である人鳥には堪えたらしく。
今朝方具合が悪そうに居間にやって来た少年を鳳凰が見つけて今に至る。

特にここ数日以内に任も入ってはいなかった人鳥。
真庭忍軍内に支障はなかったが、大人三人を見上げるその双眸は不安げである。
つっかえつっかえな物言いの代わりに金瞳が忙しなく憂慮を語る。



「……ん?」



静かに布団の横に座り込んでいた鳳凰がその視線に気付く。
たらいの水に浸していた手拭いを絞る海亀。
真庭忍軍の薬師と称しても過言ではない蜜蜂を呼びに行った狂犬。
その二人以外に少年を見守っていた朱い忍は身を乗り上げ覗き込む様にして優しく問うた。



「どうした、人鳥」

「あ、の……あの…鳳凰さま…」

「うん?」

「す、すみません……ご…ご、ご迷惑を、お、お掛けしてしまっ…て……」

「…何を言っておるのだ」

「そうだぞ、人鳥」



人鳥は人一倍杞憂を抱きがちな頭領である。
足手まといにだけはゆめゆめならないようにと常日頃から彼は考えている。
故に、此度の罹患は相当気に病む出来事だった事だろう。
おどおどというか、最早びくびくの域までも越している様な態だ。

そんな人鳥に鳳凰が苦笑しながら否定する。
少年の話を聞いていた海亀も呆れた様に溜息を付いて不意打ちの如く冷えた手拭いを小さな額に置いてやった。



「ガキが余計な気ぃ遣うもんじゃないわい」

「海亀の言う通りだ、おぬしはゆっくり休む事だけを考えておればよい」

「…ぁ……あの…」

「ああそうだ、今日は雲が多い上に冷え込むようなのでな。火鉢の炭を多めに出しておくか」

「どれ、ならわしは葛根湯の材料でも見繕うかの」



蜜蜂がもうすぐ来るであろうから、と立ち上がる海亀。
人鳥の臥す布団近くに火鉢を手繰り、炭を取りに行こうと鳳凰までも膝を立てた。
馴れた様にてきぱき動く大人達に少年は控えめに呼び止める。
怪訝そうに振り返る二人にこれまた控えめに人鳥は口を開いた。



「……ぁ、あ…りがとう、ございます…」



大人二人が優しく微笑み返したのは言うまでもない。




















「―――人鳥!」


葛湯を少しずつ口に運んでいた処、突如としてやって来た嵐の様な気配達。
どたどたと廊下を走る喧しく近付いてくる音に部屋に居た鳳凰は溜息を付いた。
音の方へ人鳥と蜜蜂が振り返った刹那、すぱん!という切れの良い障子戸を開ける音が響いた。



「風邪引いたってホントかよ!?」

「ないし珍かういて、よてんなす崩調体が前お」

「だな。大丈夫かー?」



嵐こと悪ガキ組と称される、つまりは蝙蝠、白鷺、川獺は人鳥の部屋に入ると一気にまくし立てた。
口振りと態度は心配しているようだがその異様な騒ぎ様はどうにかならないかと鳳凰は頭を抱えたくなった。
仮にも忍者なのだ、その足音はないだろうに。



「薬飲んだか?」

「蜜蜂よぉ、人鳥そんなに酷いのか?」

「いえ、そこまで酷くはないですよ。葛根湯でも飲んで安静にしてれば直ぐに治るんですが…」

「……よだ何?」

「ちょうど葛根湯に使う桂皮を切らしてまして…海亀さんが喰鮫さん連れて今買いに行ってくれてる処です」

「よだ何、よかのいなでん飲だま」

「あれ飲んだら一発なのにな」

「だな。てか何で海亀の奴、喰鮫なんか連れて行ったんだ?」

「ろだんたっ行てれ連が亀海てし戒警のるけ掛いかっちょに鳥人がツイア方大」

「きゃはきゃは!さっすが喰鮫!」

「読まれてらぁ」



古来より風邪などの発熱、悪寒等に効くとされる薬、それが葛根湯だ。
漢方薬の一種でもあるが、それ故に材料も漢方にちなんだ薬草である。
桂皮は他の生薬と同様に発汗、解熱作用があるとされる。
最も葛根湯において必要な材料だ。
直ぐに買い付けに向かった海亀の判断は正しかった。
何かと扱いの(ある意味)難しい問題児、喰鮫を荷物持ちとして連れ出した事も含めて。



「あーあ、それじゃあ仕方ねぇなー」

「折角一緒に雪合戦しようと思ったのにな」

「だな」

「ゆ…ゆ、雪合戦……ですか…?」

「ああ、だんて来が雲雪に上の山里今度丁。ぜる降に内い近」

「ここらへんは積もるからなぁ、いくらでも遊び放題だ」

「……おぬし等…遊びもいいが、任は疎かにしてはくれるなよ?」

「それくらいの踏ん切りは付くっつーの」



残念そうに語る蝙蝠達。
それを聞いて人鳥は先程鳳凰が言っていた事を思い出す。
一際冷え込み暗い曇天というのは降雪の兆しだったらしい。
現在の真庭の里は山奥深く、加えて盆地に近い地形である。
雪が深く積もるも時間の問題なのだろう。



「早く治るといいな」



そしたら、雪遊び付き合えよ、と。
わしゃわしゃと乱暴に、それでも何処か優しく頭を撫でてくる三人。
屈託無く笑い大事を見舞う彼等に人鳥は素直に頷いた。
少年にとって蝙蝠達は兄の様な存在なのだ。
そんな三人の誘いと気遣いを無下にする理由など見当たる由もなかった。

嵐の様に去って行く若い頭領達。
桶は水を替えて来ようと立ち上がった蜜蜂。
それらを見送った人鳥は困った様に傍に座る男を見遣る。
彼もまた苦笑して一部始終を見守っていて、少年は問い掛けるのをやめた。
問わずとも、この現状は充分これで良いのだと悟ったからだった。




















「……………あ、」



宵口の手前。
ほの暗く外が赤らみ、障子越しにそれが確認出来る頃。

人鳥は目を覚ました。
大分体温が上がっているのを自覚しながら喉の渇きに起き上がる。
水場まで歩こうと障子戸を少し開けると、少年は小さく声を上げた。

気が付けば雪が中庭一面に積もっていた。

先刻よりも寒さが和らいだと感じるのは積雪の所為なのか、或いは自身の熱の所為なのか。
しんと静まり返った白い空間に呑まれそうになる。
そう独り言ちながら鴨居を跨ぎ、廊下へと踏み出した。
冷たい床に素足を置いて、人鳥は怠さの付き纏う身体を戸の外へと運んだ。
すると、



「人鳥?」



不意に背後から声がしてそちらを振り返り、見上げた。



「ほ……ほ、鳳凰さま…」

「何をしておるのだ。まだ寝ておらねばいけないだろう」

「あっ…あ、あの……あのあの、み、水を飲みに、行こうと思いまして……」

「喉が渇いたのか? そうだとしてもその様な薄着では…風邪が悪化するぞ?」

「す、す、すみませんっ……」

「まぁよい、水なら我が汲んで来よう。それより今先程海亀等が帰って来てな、漸く葛根湯が煎じれた。白湯も持って来た故、呑むといい」

「あ……ありがとう…ございます…」



急須と湯呑み、そして煎剤の入った茶碗を盆に乗せてやって来た鳳凰。
一度部屋に入り盆を枕元に置き、水を汲む為に再び鴨居を跨いだ。
布団で寝ていろ、と。
優しく人鳥の頭を梳いてまた去って行く。
そんな男の後ろ姿を見送り、少年は部屋の中へと戻ろうとした。

だが。
ふと、鳳凰が通った方とは別の方向。
冷たく延びる廊下に、ちょこんと控えめに置いてあるものを見つけた。
しゃがみ込んでその小さな盆に乗るものを注視する。
明らかに自身の部屋の前に置かれていたそれら。
ゆっくりと持ち上げてみると、昼間訪ねて来てくれた三人の忍の顔が浮かび胸中がじわりと温かくなった。



「………雪うさぎ…」



三匹の、小さな雪で出来たうさぎ。
形の少し歪なもの、無難に普通な造形のもの、そしてやたらと手の込んだもの。
最後のものは最早うさぎと言うより鳥と言っても良いものだ。
恐らくは、あの陶芸家である忍者だろうと少年は独り言ちる。
寝ている間にまた見舞いに来てくれたのだろう。
いつも騒がしく、ちょっかいを掛ける事が大好きな彼等が。
人鳥を起こす事なく、雪を見て楽しめるよう土産を置いて行ってくれたのだ。
早く治るようにと、少年を気遣う様に。



「…人鳥?」



人鳥にとって、三人は兄の様な存在で。
たまに困ってしまう時もあるが、それ以上に優しくて頼りがいのある彼等が大好きだった。
きっと風邪が治ったら喜んでくれるだろう。
そうしたら、直ぐに森へ雪遊びに繰り出して、雪合戦をして。
かまくらを作って、病み上がりの処を鳳凰か狂犬に怒られて、そして。
容易に想像の付く顛末に人鳥は小さく笑った。

いつの間にか戻って来ていた鳳凰が怪訝そうに問い掛ける。
嬉しそうだな、と微笑する彼に人鳥ははい、と返した。
室内の障子戸の傍に置かれた小さな盆を見つめる少年に内心納得する。

朱に藍青が混ざり始めた障子に、三つの人影が現れるのはこの少し経った後だった。


















































葛根湯と雪うさぎ
(仄かに甘い、生姜の香りのする煎剤と)
(三匹の赤い目をした床の友)
(どれも優しくて、どれも愛しい)







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