キリリク文

□追憶の蓮の沼
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あれからどれ程経った。

さてなァ…一年か、或いは十年か。

…遠く昔の様に思えるが、ついこの間の事の様にも思える。

奇遇よなぁ、我もよ。




















文月。
夏の匂いも濃く、いよいよ暑さも盤石となった頃。

緑蔭とした森の中を、静かに進む二つの影があった。
一人は長身の銀髪、そしてもう一人は宙に浮かぶ輿に乗った痩躯に頭巾の男。
閑散とした森林の中にはおおよそ似つかわしくはない、人の姿。
であるにも拘わらず、不思議と周りに同調する様に歩く人影。
そこに居るのが当たり前、と、そんな錯覚をもさせる程に違和感がなかった。

三成がおよそ二歩、吉継の前を歩きながら呟く。
それに頷く様に相槌を打つ病躯の男。
他愛のない会話も周りの木々に吸い込まれるかの様に静かだった。
互いに視線を合わす事はないのに、それはまるで互いの言わんとする事を察しているかの様で。


「今年も咲いているだろうか」
「そうよなァ、何分斯様な森の奥深くよ、人の手には掛からなんであろ」


ひんやりと肌を舐める様な冷涼な湿気。
強い陽射しの届かない森中をどんどん進んでいく二人。
苔生した木の根を踏み付けながら、ある場所を目指して歩く。

それは何時しか、二人が訪れたあの美しい沼。
一年前に、また来る事を約束した忘れ難い場所。
忘れられる筈もない。
全てが終わった今の時世に、彼らにはこれくらいしか為す事などないのだから。

生い茂る木々の向こうに日の光が見える。
葉の間から燦然とするそれに近寄って行く。
二人で並んでその光景を見遣り、どちらともなく一時閉口した。


「………嗚呼、」
「…………」
「何とまぁ…久しき景色な事よ」


感嘆の吐息を零しながら吉継は何時しかしてみせた様に目を細める。
色鮮やかに咲き乱れる蓮の花々、そしてそれを縁取る様に瑞々しく繁る葉。
全てがあの時のままだった。
まるで昨日訪れたかの様な気さえさせる程。
恐らく三成もそう思ったのだろう、吉継の言葉に続く様に彼からも小さな溜息が漏れた。

互いの間に沈黙が穏やかに流れる。
その時物思いの種になっているのは疑い様もなく相手の事で、特に吉継は格別そうだった。
自然と漏れ出た言葉が、彼には似つかわしくない程迂闊に真実を攫っていく。


「……まさか、また再び此処に来れるとは思わなんだ」


それを聞いた三成が驚いた様に彼を振り返る。
耳を疑うかの様なそんな表情をする萌葱の双眸に吉継は直ぐに言葉の失言に気が付いた。
失言、というよりも、それは彼にとって隠しておきたかった本音であるが。

もう来れないかもしれないと。
吉継は心中で、何処かその様な諦観を覚えていた。
それは初めて二人でこの沼を訪れた時から燻っていたもの。
何時事切れるか分からない自身や朋友を見越しての事でもあった筈だった。


「………そうか、」


故に。
吉継はらしくもなく当惑から本音を口にしていた。
まるで最初から口約束など信じていなかったとでも言う様な口振りで。
無論心にしかと刻んではいたのだが、三成には悪く聞こえてしまっていても無理はないだろう。
そう吉継が考えあぐねていると、不意に三成が静かに口を切った。


「私は、必ずまた戻って来れると思っていたが」


平淡に、ただただ淡々と。
普段通りの声色で言葉を紡いで、三成は躊躇なくそう告げた。
あたかもそれしか見ずに来たとでも言う様に。
関ヶ原の戦いよりもその先にあった口約束を一に思っていたかの様に。


「……そうよな。確かに、ぬしの言う通りよ」


生死を賭けた本当の大戦。
それに生き残ったとして、その後どうするかなど二人には分かりきっていた事だった。
どうする事もなかったのだから。
出来なかった訳ではない、単にしなかった。
元より物欲などこの二人に存在する由もない。

だからこそ、為すべき事を唯一持った二人が辿り着いた、そこ。
約束を交わした蓮の咲く沼は、言うなれば彼らの生きる理由なのだ。
互いと共にまたこの地へ訪れる。
一月であろうと、来年の夏であろうと、それが数年後であったとしても。
それだけが、二人をつき動かしてきたものだった。


「――…刑部、」
「…どうした、三成、」
「例えば私が沼に足を踏み入れれば、貴様はどうする」


さらさらと涼しげな風が吹く。
その中で突然紡がれた問いに、吉継は思わず目を見開いた。
その何時しかの事を彷彿とさせる言葉に、呆気に取られたと言っても特に差異はないだろう。

吉継が隣に佇む銀髪の男を見遣る。
決して冗談や戯れなどは好き好む筈はなかったのだが。
以前と比べ穏やかになった三成の表情を見つめ、病躯の男は静かに目を細めた。
眩しさ故ではなく、歴とした欣然からの柔かなもので。
やわく微笑む射干玉の双眸は、あの時感じた幸をしかと今も感じていた。


「…そのような芸当をせずとも、また此処へ来れば良かろ」


そうして何時かの台詞を吉継が呟けば、三成もまたそうだな、と微笑を口許に浮かべる。
あの時と同じやり取りは、果たされた約束を再び互いの胸中に留めるには充分なもので。

二人の眼前で咲き狂う蓮の花は、何処までもあの時のままで沼にたゆたっていた。






























追憶の蓮の沼
(それはまるで夢現の様に)
(今も過去もを飲み込む、幻想の蓮の沼)







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