キリリク文

□稚けなき我が背
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「そこは物住む所にてなんありける。大きなる池のありける釣殿に、番の者寝たりければ…」


昼下がり。
陽気もぽかぽかと温かく、小鳥の囀りしか聞こえない様な空気。
真庭忍軍12頭領の住む家屋、その縁側。
静かに、囁く様な心地の好い声が沈黙の中から紡がれる。


「浅黄の上下来たる翁が言ふやう、『我はこれ、浦嶋の子の弟なり。古よりこの所に住みて、千二百年になる主なり』」
「…………」
「『願はくは許し給へ。此処に社を作りていはひ給へ。さらば如何にもまぼり奉らん』…」
「え、右衛門左衛門さま……」


不意に眼下の人鳥から控えめに声が掛かる。
膝の上に少年を乗せ、書物を抱えていた右衛門左衛門はそれに視線を少し下げる。
首を精一杯捻り見上げてくる人鳥に、洋装仮面は小首を傾げる。


「どうした? 人鳥、」
「あ、あの…う、浦島太郎って、物の怪…というか、実在したんでしょうか?」
「分からず。さてな…私は見た事もその様な話を聞いた事もないが。所詮は人間の書いた噺だ、居ると思えば居るのだろう」


などいう会話をしつつ、右衛門左衛門と人鳥は縁側で読書を続行する。
正確には不忍による読み聞かせだが。
流暢に古来の説話集を音読する洋装仮面。
優雅に頁を捲る彼の手元を見つめながら、人鳥も物語に夢中になる。
まるで親子の様な雰囲気の二人に、納得のいかない男が一人居た。


「…………」


縁側。
右衛門左衛門と人鳥の座る場所から二尺程離れた所。
そこで胡坐を掻き、じっと二人の様子を見つめる朱い隈取りのある男。
その端正な顔立ちは不機嫌極まりない。

言うまでもないが真庭鳳凰である。

不忍の亭主、少年の父親代わりの存在である鳳凰。
そんな彼が何故そんなにも拗ねた表情をしているのか。
理由は極めて明確であり、単純且つ尤もだ。
つまりは二人に妬いているのである。

本日は久方に右衛門左衛門が真庭の里にやって来た日。
多忙の中わざわざ顔を出してくれた日であった。
短いながらの来訪に一番に喜んだのはこれも言うまでもなく鳳凰で。
幸い非番でもある為有意義に時間を過ごそうと思っていた矢先の事だった。


「…人鳥、」
「あ…は、はい、鳳凰さま……」
「先程狂犬がおぬしを捜しておったぞ」
「え…!?」
「……鳳凰…何だその見え透いた嘘は」
「う、嘘ではない、我は先程狂犬に聞いたのだ」
「どれくらい前からお前は此処に居るのだ。本を読み始めた時から既に居ただろう」


同じく非番であった人鳥を見つけ、一冊の本を不忍が少年に手渡したのはほんの半時前。
それを読み聞かせて欲しいと人鳥が申し出たのもその時だった。
如何せん人鳥には甘い右衛門左衛門である、直ぐに膝上に彼を乗せて書を読み始めたのだが。

鳳凰にとってそれは何の面白味もない訳で。
普段であれば二人の様子に微笑んでいただろうが今回ばかりは勝手が違うのだ。
困惑した様子でうろたえる人鳥。
その頭上で呆れた様に右衛門左衛門は溜息を吐いた。
朱い忍の子供染みた意図に気が付いた故に。


「おーい! 人鳥ちゃーん、どこー?」
「!」
「あ…」
「そら。狂犬がおぬしを呼んでおるぞ」


噂をすれば。
否、これは渡りに舟と言った方が正しいだろう。
何にしても鳳凰が内心跳んで喜ぶ程の心情だった事は間違いない。
表情には出さないが、静かに人鳥に行って来いとだけ口を開いた。

それに何処か名残惜しげに右衛門左衛門を見上げる人鳥。
すると後で続きを読もうと微笑み、不忍は少年の頭を撫でてやった。
それに幾らか安心したようで、人鳥は直ぐに声のする方へと駆けて行く。
姿の見えなくなった時、鳳凰が腰を上げたのもまた同時だった。


「…分からず。お前は子供相手に何を向きになっているのだ」
「分からぬのはおぬしだ、何故おぬしは人鳥ばかりに構うのだ」
「は…」
「おぬしは我のものだろう」


腰を上げ、右衛門左衛門を背中から抱き締めた鳳凰。
更に怪訝そうに口を開く不忍に、朱い忍は拗ねた様な口調でそう返した。
まるで人鳥に、小さな子供に嫉妬しているかの様な、そんな口振りで。

右衛門左衛門の肩口に顎を乗せ、静かに細い溜息を付く。
そんな鳳凰の態を見て再び仮面が重い息を吐き出し俯く。
呆れを通り越した様なそれに、鳳凰は整った眉を顰め訝った。


「右衛門左衛門?」
「……本当に…本当に、お前は放縦な男だな」
「…久し振りに会えたのだぞ? 夫婦水入らずで過ごしたいと思うのは当然ではないか」
「しかし、私はお前の所有物になった例しはない」
「何を言っておるのだ」


独占的なその言葉に快く思わなかった右衛門左衛門。
少し不機嫌気味に言葉を紡げば、それとは裏腹に鳳凰はきょとんとした声色で否定する。


「おぬしが我のものである様に、我もまたおぬしのものだろう?」


当たり前の様に、さも当然の様に紡がれた言葉。
まるで再確認でもするかの様なけろりとした鳳凰の様子に右衛門左衛門は呆然とした。
いや、含羞に言葉を失ったと言った方が良いのかもしれない。
よくも惜し気もなくその様な事が言えるものである。

紅潮し俯く右衛門左衛門を鳳凰が不思議そうに覗き込む。
静かに名を呼び掛けると、不意に彼は噴出して笑い出した。
小さく肩を震わせながら可笑しそうに、しかし何処か嬉しそうに。
振り返る右衛門左衛門の仮面越しの表情を見て、鳳凰は人知れず見惚れていた。


「……違わず。確かに、その通りだがな」






























稚けなき我が背
(え、右衛門左衛門さまっ……ほ、鳳凰さま…)
(人鳥…もう用事は済んだのか)
(は、はい)
(鳳凰、何を露骨に残念そうな顔をしている)
(あ、あの、右衛門左衛門さま…ぼ、僕、本の続きが読みたいんですが……)
(ああ…そうしてやりたいのはやまやまなのだが……鳳凰が邪魔でどうしようもないのだ)
(人鳥、すまぬが今は譲れぬのだ。右衛門左衛門の膝枕…これはいくらおぬしに頼まれても譲る事が出来ぬ)
(じ…じゃあ僕、本は諦めて、もう片方の右衛門左衛門さまの膝を貸していただきます)
(な…んだと…!?)
(…理解出来ず。この二人……一体何を張り合っているのか…)







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