キリリク文

□幸せってこういう事
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鳳左で現パロ。甘い?










くたびれた身体をエレベーターに乗せる。
静かに速やかに上に昇っていく鉄の箱の中で佇みながら口端が吊り上がるのを抑え切れない。
土曜の夜、PM20時。
マンションの廊下を、涼しい空気の中を鼻歌を歌い出しそうな程上機嫌に歩いていた。




















部屋の前まで辿り着いて扉の施錠を開ける。
ドアノブを捻り中へ入ると、香ばしい匂いが鼻腔を擽る。
恐らくは味噌。
どうやら今夜は味噌汁か味噌煮か、とにかくその手の料理らしい。

靴を脱ぎ鞄を廊下の隅に置き、ネクタイを解きながらダイニングへ向かう。
居間兼用の一室への扉を開けると、部屋に在る全ての無機質が我を出迎えた。
そこに期待した後ろ姿や赤毛は何処にも居らず。
はて、と思うが早いか、バスルームから聞こえる水音。
シャワーを流し続ける様な音に、男がそこに居る事が分かった。


「―――…鳳凰、」


帰っていたのか、と問われ淡く笑んで返事を返す。
湯舟に湯を張っていたらしく、ズボンの捲り上げた裾を直しながら右衛門左衛門が現れた。
ただいまと今更ながら口に出すと、向こうも微笑を浮かべて相槌を打つ。
何となく気恥ずかしさのあるやり取りに――普段意識してその様な事を言わない為だが――少し、甘酸っぱく感じた。


「今湯を入れ始めた処だ。先に夕飯を食べるといい」


キッチンに向かう右衛門左衛門を見送る。
此処は是非とも入浴にするか夕飯にするか自身にするか、というベタな台詞を言って欲しい処だが。
…身の安全を優先して今は黙っておくが得策だろう。

鍋に火を掛け始める右衛門左衛門。
細い後ろ姿を見つめながら食卓に腰を下ろす。
夕飯の準備に席を立っても良いのだが、そうすると何故かこの男は機嫌が悪くなるので止めておく。
恐らく自分の領域に手出しするな、という事なのだろうが。
大人しく椅子に座り、手持ち無沙汰にテレビを点けてバラエティを観ていたが、大して興も湧かない為に直ぐに消した。
丁度夕飯も運ばれてきた。

今晩は鯖の味噌煮に筑前煮、インゲンの胡麻和え、若竹汁である。
主食が五穀米で色合いの良いものになっているのはどうやらこの男が最近拘泥しているかららしい。
まぁヘルシーで栄養面でも申し分ないのだから渡りに舟だ。

他愛ない話をしながら箸を料理に付ける。
言うまでもなくどれも美味な美餐に舌鼓を打った。
本当にこの男は料理が上手い。
更に栄養管理も非の打ち所が無いときた。
その気があれば、あのお姫様の従者ではなく栄養士なりフードコーディネーターなりとなれていただろう。
そんな事を思いながらも、毎度美味いと言いながら食べるだけで満足した笑みを浮かべる右衛門左衛門にこれ以上ない愛しさを感じていた。


「右衛門左衛門、」


食べ終わる頃、茶を湯呑みに注いでいた右衛門左衛門に話し掛ける。
何だ、と首を傾げて問うてくる様にいつもながら思う処を感じ微苦笑を浮かべた。
無意識なのだろう。
そう独り言ちながら気を取り直し言葉を紡ぐ。


「明日、何処かへ出掛けないか」


突然の提案にきょとん、と呆けた様に静止する。
そんな男に我は畳み掛ける様にして続けた。


「遠出でも買い物でも、散歩でもいい。何処か行きたい所があるのならそこへ行こう」
「…だが……お前には仕事がある筈だろう?」
「生憎明日は一日中休暇でな。おぬしも確か明日は休みだろう? 久し振りに二人で何処かへ行きたくはないか」


驚愕と困惑を隠し切れない様子である。
そんな状況でも我に気を遣う言動を零すこの男に欣然が湧いた。
しかし遠慮している、という事実も手伝っているのだろう。
右衛門左衛門はそれ以上自身から口を開こうとはしない。


「確かおぬし、カーペットを新調したいと言っていたな。この際だ、明日買いに行こうか」
「…………」
「…どうだ?」
「………いや、」


湯呑みをテーブルの上に置き、右衛門左衛門は小さく首を横に振る。
少し俯き気味に視線を下げた後、微笑をこちらへ向ける男に少なからず驚いた。
まさかここで否定されるなど予想外であった。
何か他に用事でもあったのだろうか。
そんな嫌な予感を抱きながら言葉の続きを待つ。


「カーペットは今度で良い。もう少し経てばセールでも催されるだろうしな。季節的に」
「…そうか。なら、どうする?」
「何処にも行きたくないな」


ビシッと。
いっそ清々しいくらい見事に斬り捨てられた。
今度は我が面食らっていると、右衛門左衛門が再び言葉を続ける。
酷く穏やかで満ち足りた様な声音で口を開く様に、内心心底驚愕した。


「久し振りに、二人でだらだらごろごろとするのも悪くはないだろう?」


嬉しげに、だが少しはにかんだ様な色を含む表情。
その僅かながらに浮かんだ笑みに思わず卒倒しそうになった。
無意識なのだろう。
それがまた質が悪い。
決して狙っていないのだから。
というか狙っていたら困る。
寧ろ恐ろしい。

外に出掛けるよりも、二人でゆっくり過ごしたい、と。
確かに久方振りの二人一緒の休暇なのだから共に、とは我も思ってはいたが。
よもや二人きりで、と言われるなどとは。
何処まで愛おしい懸想人なのだろうか、この男は。


「…ならば後でレンタルショップにでも行くか。観たい映画があったろう」
「そ…うだな。暫く観ていなかったし、借りに行くのも悪くない」
「最近また新作が出ただろう。おぬしが気に入っていた、あの洋画の…」


そんな些細な会話をしながら食器の片付けられたテーブルでコーヒーを啜る。
マグカップと共にする一服が堪らなく美味い。
他愛のない会話で笑い合える事がこの上ない至福である。
丁度コーヒーを全て飲み干した処で、機械的な電子音が風呂水が湯舟に満たされた事を我等に伝えた。
結局一番風呂は我が入る事となった、我ながら幸せな事だ。






























幸せってこういう事
(いつも通りの日常、二人で過ごす休暇)
(そしてやはり、隣に君が居るという事)







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