SHORT NOVEL

□ゼロ
1ページ/5ページ




ゼロ







埃まみれの屋敷。
5年前に戦争犯罪者の重要参考物品として大勢の調査団に取り調べられ、詮議され、そしてそのまま野放しになったこの大きな屋敷は今はもう悪臭からか誰も寄り付かず、そして時代の流れからか誰からも忘れていた建物だった。


そんな屋敷の奥にある、地下へと繋がる暗いアスファルトの階段。

そこもまた埃が被り、既に人間以外の住処になっていて、しかしそれでも、磨かれた黒いブーツのかかとの音は狭いこの螺旋階段にカツン、と響く。

一歩下りる度にそこで何かが蠢く感覚がして、流石のイザークも背に悪寒を感じていた。
地下深くへ誘う階段を下り終え、唯一掲げてある灯りからみえる、眼前の頑丈な大きい扉をイザークは見上げる。
金色だったのだろう、既に酸化して赤黒くなった鉄製のノブの匂いは、まるで小銭のそれだった。

イザークはゴクリと息をのんでから、意を決してノブに触れようとしたその時、ひとりでに扉が轟音と共に開きだす。
かすれた赤錆が上からふってきてパサパサと音をたてた。

「──いらっしゃい…」

奥から響いたのは艶のあるテノール。
それはいつものあの彼のものと同じな事に、唇を噛む。できれば、しゃがれた低い声を持つ化け物にでもなっていてほしかった。

「早く入っておいでよ。」

突っ立っていたイザークを誘導させるかのように、足元からポツポツと小さな橙色の松明が浮かんで一直線に伸び、そしてぼぅっと闇の向こうのつきあたりを妖しく照らしだした。

そこにあるのは寂れた机に頬肘をつき、逆の利き手には逆ピラミッドの形のカクテルグラスを弄ぶ、一つの影。

その人影の口元がにぃ、と不気味に弧を描いた。

「──っ、用があるのならここまで来いっ!!」

その微笑に腰がひけてしまった事を隠しながら、イザークは人影に怒声をあげる。

「ふーん……コワいんだ?」
「違う!!」

間髪いれずに短く叫ぶ。

「そう。──ま、いいか」

そう呟いて細められたのは、暗闇の中唯一彩っていた、紫紺の片目。





.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ