きょうは父に喪服を届けに行った。
真っ黒だけの服を,数あるなかから探し出したので,ほっと息をついた夜。
而して,朝には母の真珠のネックレスを見つけたので,無事に送り届ける。
真珠のネックレスを見つけた引き出しの中には、覚えていない祖父母による遺言にでてくる七色の宝石があった。
遺言とは,わたしにくれるという,それである。小さな頃,母はわたしにこう言った。「おとなになったらあげるわ」少女は夢心地になり,まだ見ぬ宝石への夢を持ち続けたが,大人になった少女は「まるでおもちゃのよう」な人工物めいたそれに失笑する。
おとなである象徴は,いかにも大人が見繕った輝きをして目に映ったのだ。
「いらない」少女は嘲りにも似た笑いで母の引き出しに戻した。「おとな」子供のころの夢を大切にしたかったわけではない。ぴーたーぱんしんどろーむとでも名をつけてみようか,なんだか,その宝石がとても重そうだったもので。
父の喪服そのほかをもって行く道は雨が降っていた。ぱらぱら弱いしたたりが,じょじょに強く激しく攻撃していきた。小気味よい歌を歌いながら車のハンドルを握った。
雨は強くなる。
こういうときだからこ,わたしはとてつもなく物思いにふける。
わたしはいくほど,こうしてこの道を行ったり来たりしたのだろか。そして,これかも,いったりきたりせねばならんのだろうか。
小さい頃,わたしの置かれていた環境は普通の人と異なっていた。これはいまでも頭を苛ませる癌だ。くそやろう。
「あなたの住んでいた場所はどういうところですか」と訊かれたことがあるが,虫の悪いわたしは「よごれたところ。にんげんもたてものもぜんぶよごれている」と吐き捨てた。
以前ネットを巡っていたら「あそこの人間とは関わるな」って書き込みがしてあって,その夜は笑いに笑って腹がよじれた。ああそうだ。そうだそうだ。そうなのだ!そう!そう!そう!そうなんだよおわかりだ!あっはっはははは
わたしはたしかに住んでいたが,産まれたところではない。世では住んでいた場所が生誕地と誤解される。
わたしは,「関わるな」と言われるほどよごれた土地と人間のなかに青春の四半世紀を過ごしていた。
よごれていた。
この言葉はひどく落ち着いている。「けがれた」これは感情的で鎌を振り下ろすような鋭い言葉で使い勝手がいいが,憎悪と軽蔑を呪詛うを埋め込むには「よごれた」が一番いいと思っている。
雨が降り続いている。
わたしは歌っている。
ちょっと先の空は青かった。雲の藍色の影。これはとても綺麗で好きだ。
父のもとへ近づくたびに,雨は止み,よごれたにんげんとよごれたにんげんがすまう土地は,晴れていた。
雨は浄化である。天の恵みだ。水は生をもたらす。
やはり,ここは神の加護がないのだろう。そう思うと,また笑えた。ざまあみやがれ。ひひひひひひひっひ
家に入り,言いつけの物を何度も何度も確認する。わたしは何度も何度も何度も確認する癖が止まらない。先方との約束も,電車の時刻も,料理レシピもすべてむこうを疑ってしまう。これは用心深いというのだろうか。だったら,褒められている。が,ちょっと悪い言い方で「石橋を叩いたあとにだれかに渡らせ,さらに渡らせ,そしてダイナマイトを仕掛けて勝手に爆発させる」と言うのだ。
わたしの嫌いな言葉に「役立たず」がある。
父は愉快で母は慈愛のひとだったが,ときおりすごい表情をしたものだった。父は口で言い,母は態度で示した。
「役立たず」わたしはこの言葉が大嫌いだ。
このときほど,わたしは包丁で父と母の臓物をかき回してやりたいと思うことはない。真珠を生み出すことのない醜い腸をぐちゃぐちゃに細切れに,ミキサーでといだみたいに。
このときほど,寝る前までどうやってころしてやろうかと計画する夜はない。わたしの感情が収まらない瞬間はない。
「役立たず」わたしはことのきだけ,わたしの脳は殺意でいっぱいになる。大変だ。かろうじて残っている理性はおお,仕事だ。よくやった。
どう頑張ろうとわたしは父母の期待に答えられないときがしばしばあった。不可抗力だろうと思うが,わたしがやはり不甲斐ないからだったろう。仕方なくはない。
届けた品を確認したので,わたしは帰ることにしよう。きっとだいじょうぶだ。わたしは任務を遂行した。
最近徹夜続きだったから,眠たくて仕方がない。きょうはゆっくり眠れるだろうか。ふわふわのお布団にぼおんと体を沈めて。おなかは好物でいっぱい。ちゃんとすっきり歯磨きとシャワーも浴びたしね。
と。
携帯が鳴った。
電話の向こうには,父と母がいる。
なんだろう。
はい,もしもし。

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