Novel


□pierce
1ページ/1ページ


白い容の良い耳に、ちらと光るものを認めた時、目が離せなくなった。
触れてみたいと思ったのを覚えている。
絹糸みたいな、冴えた薄い金髪の狭間から見え隠れしているそれは、どう考えても耳墜だった。
まさか麒麟の耳を穿つはずもないから、陽子がよく女官に付けさせられるものと同じ類いの――耳に孔をあけずに済む――飾りなのだろう。
精巧な彫刻を思わせる人間ばなれした整った横顔と、耳許で控えめにちらつく光は、あまりにも馴染んでいた。
かなり露骨に凝視していたので、当の景麒は居心地悪そうに、傍らの少女へ視線を落とした。
眉間にしわを寄せ、迷惑げな雰囲気を隠しもしない。何か用でもあるのかと、その顔はふてぶてしく問いかけていた。

そんなもの前から付けていたか、と湧いた疑問を、そっくり男の耳にぶつけるように陽子は口を開く。
返ってきた答えは、いいえ、という愛想もへったくれもない否定の一言だった。
なぜ付けているのかと追求すれば、別に深い意味などないと、投げやりに言ってのけてから彼は続ける。
――大昔は男女関係なく貴人ならば、装飾具を身に付けるのも日常茶飯で、それは今も礼儀のひとつとして捉えられているし、代々受け継がれる具品も当然あり、ただ儀礼的に付けてみただけに過ぎず、何も特異なことではございません。
そう息も継がずに振るった景麒の弁舌など、実のところ聞く気もなかった。
純粋な話、陽子は彼に見とれたのだ。正確には、彼のその耳許に。
どうかしたらそれは、質素な身なりの陽子に対する当て付けとも考えられたが、どうでもいい瑣末事だった。
彼は耳墜を、祭典や式典など、大がかりな儀式が行われる時のみ身に付けた。
いつも、必ず同じものを。
祭事がある日には、景麒の耳を確認するのが陽子の秘かな習慣になった。



いちばん好きなのは、その飾りを自身から引き離す時の、彼の仕草。
耳を隠す髪の中へ片手を忍ばせ、指先でいともたやすく取り去る。
伏せがちな眼差し。軽く俯いた横顔。
滴が零れるように、掌を転がりながら卓上へ着地する、小さな光の粒。
瞬く間の、ごく短い一連の流れを、食い入るように見つめるのだった。
装いの外れた耳朶に残るのは、痣。
完璧な造形の中にぽつりと浮かぶ、その歪な痕に、陽子はひどく惹かれる。
まっさらな白紙に、一点の染みが落とされたような、奇妙な存在感。
男の眉目にあってそれは、鈍い美しさすら湛えていた。



一日掛かりの、仰々しい式から解放される時分には、大概、夜も更けている。
そんなことなどお構いなしに、ふらふらと半身のもとへ押しかければ、彼は疲弊した様子で陽子を出迎えた。
うんざりしながらも、無下に追い返すことはせず、しぶしぶ招き入れる。
何の用だと訊くのも無駄だと悟っているのか、言葉もなく溜息をつく景麒の背後を、陽子は追いかけた。
視界をよぎる卓には、既に役目を果たした飾りが、遠慮がちに光っていた。

沓を脱ぎ捨て素足を投げ出した榻に、隣り合う半身の、どこか気怠げな目許を見やり、それから視線を移す。
横向いた面差しには、色素の乏しい髪が紗掛かり、望むものがよく見えない。
邪魔だな、と思った。髪が。
無造作に手を伸ばし、触れ、掻き上げるように払いのけて、潜む耳を露にする。
盛大に顔を蹙める景麒を無視して、陽子は彼の耳殻を丹念になぞった。
そうして、いちばん柔らかい部分に印された、翌日には跡形もなく綺麗に消え去っているであろう痣を、撫ぜた。
親指のはらを軽く押し当てた、そこは体温が低く、ひんやりと馴染む。



男の手は、思いがけない鋭さで少女の細い手首を握り、自身の耳許で遊泳している熱を引き剥がした。
勢い、絡み合った視線を辿れば、奥底に、澱んだ情緒を孕んで揺らぐ瞳がある。
それは瞠目し、しばらく陽子の顔を見つめていたが、あっけなく断ち切られ、手首を噛む五本の指もするりと解けた。
突き放すように面を背け、束の間の沈黙を経て、景麒は吐き出した。
不用意なことをするな、と。
低く、抑圧的な声音であった。
――不用意。
だから、なんなのか。
たとえば、このまま不用意が過ぎて、それで明日の朝、生きていられなくとも別に構わないと思ってる。
単調に告げれば、彼は、物騒なことを言わないでくれ、と静かに咎めた。
――なぜ。
いつだって、わたしは、死ぬ覚悟で踏み込んでいるのに、お前は無難に逃げて、わたしをひとりにする。



気がついた時、陽子の身体は唐突に反転した。景麒が、目方をかけ、縫い留めるように彼女を押し倒していた。
自分をなじる言葉を遮るために、彼はその、やかましい口を封じてやった。
喰らいついた唇は、拒みもせず、待ちわびたふうに、男の吐息や舌を受容する。
先刻の問答の続きでもするかのごとく、互いの唇はぶつかり合い、小競り合い、声もなく喧嘩を繰り返した。
どちらからともなく離れた二つの口唇は、足りない酸素を求めて、幾らか喘いだ。
それから何事もなかったかのように、少女を解放すると、景麒は席を立つ。
振り返りもせず、さっさと臥室に引き下がろうとする、その憎たらしい背中に向かって、陽子は言い捨てた。
――こんなんじゃ、死ねない。



ぴたりと、一時、その歩みは止まった。
「……もう、お休みください」
結局、そういう安全なやり方で、彼は陽子を対岸に押し戻すのだった。
奥の房室に消えていく姿を、ひとしきり睨んで、陽子は溜息をつく。
髪に挿さったままの簪を、苛々と引き抜いて卓に放り投げた。
そのまま、ひとりきりになった榻を独占するように、仰向けに寝そべる。
真上の天井は、秩序から外れることなく幾何学模様を描き、一切の過ちも赦さないような冷たさで、陽子を見下ろす。
だから、彼女は瞼を閉じた。



――麒麟の耳を、穿つことはできない。
ならば陽子の耳に、いっそ孔をあけてしまえばいいのだろうか。
突き刺される一瞬の痛みとひきかえに、欲しいものが手に入るとするならば。
そうすれば彼は、もう後戻りできないところまで、共に溺れてくれるだろうか。










※※※

*pierce
【動】{他}
@刺す, 貫く
A…に穴をあける,ピアスの穴をあける
B突き通す, …の身にしみる
Cつんざく, 突き破る
D…に深く分け入る, …を突破する
━{自}
@突き進む,突き抜ける, 貫通する

20141109

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ