Novel


□花を撫でる
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自分の主が、自然の中に息づくものを愛する人だということは知っていた。
季節の移ろいとともに変わりゆく緑を、彼女はとても大切にしていた。気まぐれに庭院を散歩しながら何気なく辺りに首を巡らして、小さな花の蕾やらを見つけては、ひっそりと口元に笑みを刻む。そんな姿を、景麒は何度か目にしたことがあった。
陽子の自室にも、花は活けられている。主の趣向を気づかった女官などは、季節の変わり目に応じて、常にその時期に見合った草花を活けているらしかった。
そうした些細なことにすぎない変化でも、陽子はよく気がついた。そして機会があればいつでも、女官に対して感謝の言葉を述べるのだった。ありがとう、と。それは、陽子にとってはごく当たり前の、何の見返りも望んでいない純粋な言葉だった。



いつだったか、政務に飽いた陽子は筆を置き頬杖をつきながら、長いこと窓の外を眺めていたことがあった。一向に減る様子のない文書の束には、目もくれない。
そうやって、一時、仕事から意識を遠ざけるのはめずらしいことでもなかったが、いかんせん書類がたまっている。景麒は溜め息を禁じえなかった。
焦れた彼は、少し恨めしげな気分で陽子に聞いたのだった。何かそんなに面白いものでもおありですか、と。我ながら皮肉がこもっていると思いつつ。
すると陽子は、相変わらず意識を窓の外に傾けながら呟いた。
「別に。目が疲れたら遠くの緑を見るのがいいって、よく言うじゃないか」

その言葉じたいに何かを感じたわけではなかった。だが、頬杖をついてぼんやりと外を眺めながら、気だるそうに口を開く彼女の姿が妙に印象的だった。微かに疲労の色を滲ませるその横顔を、なぜか綺麗だと思ったのだ。
気づかれぬよう、そっと横顔に見入る。目で、輪郭をたどった。
前髪のかかる額。少し窪んだ先にまっすぐと伸びる鼻梁。その下に覗かせる、赤く色づく形の良い小さな唇。
飽きることはなかった。
ふいに陽子は窓から目を離し、広げられた書面に向き直った。気づかれたかと、一瞬ぎくりとしたが違うらしい。
「……仕事しようか」
ぽつりと零す主を、景麒は見下ろした。



愛でる対象が草花だけとは限らない。大小に関わらず、陽子は獣の類も好き好むふしがあった。それは景麒の使令たちに対しても例外ではない。班渠に関しては、よく護衛として連れ立たせているためか、ことに気に入っているようだった。

以前、王宮の庭に放したままの雀胡を偶然、陽子が見つけたことがある。彼女は少し目を見開いてしゃがみ込み、足元の獣に手を伸ばして触れた。まるで猫か何かを扱うように喉元をくすぐってやると、この小さいのも使令なのか、と尋ねてきた。
使令として役立つほどでもないが、確かに自身が折伏した妖魔に違いなかったので、一応そういうことになる。そんなふうに答えたような気がする。
陽子はじゃれついてくる雀胡の相手をしながら、ふぅん、と返した。
「かわいいね」
単純に思ったとおりの感想を、そのまま述べているふうだった。
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