Novel


□たなごころ
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陽子は、ふて寝をしていた。

まだ午後も日の高い時分であるにも関わらず、臥室に閉じこもっている。すでに着る物は夜着に改められていた。眠ってはいなかった。ただじっと、虚空を睨むようにして横になっている。
何も考えたくなかった。
仕事は溜まっているだろうか。ちらりと頭をよぎる。例えそうだとしても、今の陽子にはそんなもの知ったことじゃない。
――もういい。
今日はもう、何もしたくない。
下官には、体調が悪いからしばらく休むと言い置いていた。暗に、誰も部屋には入れるなという意味合いを含めて。

陽子は目を閉じる。眠るためにではなく、外界から自身を切り離すために。





景麒は正寝を訪れた。
女官は何やら景麒を通すのを渋っているようだったが、知らぬふりをした。
堂扉に手をかけ、中に入る。堂内は不自然に静まりかえっていた。どこか投げやりな雰囲気さえ感じられるような気もする。
軽く辺りを見回す。床には、今日、主が身につけていたはずの衣裳が脱ぎ捨てられてあった。書卓の上には本が何冊か積み重ねてあり、その横に書類がぞんざいに置かれていた。叩きつけたのかもしれない。紙の端が、ぎこちなく折れ曲がっていた。
景麒は床に散らばる服や帯を拾い上げ簡単にたたむと、近くの榻に置いた。そうして奥にある臥室へと足を向ける。

外を拒むように下ろされた紗を掻き分けて、景麒は内へ入っていく。
広い牀榻の中に、陽子はいた。壁際に添うように臥せっているため、顔は見えなかった。頬のまるみが頼りなげに覗くだけで、頑なな背中をこちらに向けている。
ぴくりとも動かずに横たわったままの主を、景麒は黙って見下ろしていた。

「……なんだ?」
ややあって陽子の低い声が耳に届く。
いかにも不機嫌そうな響きを含んではいたが、断りもなく臥室に入ってきた僕を責める様子は無かった。
「お加減が悪いとか……」
それだけを、景麒は答える。
「そう、悪い。ものすごく。悪すぎて、いらいらする。八つ当たりするかもしれないから、あまり近寄らないほうがいい」
吐き捨てるような声が返ってきた。
さようですか、と彼は呟く。立ち去ろうとは、しなかった。
世界からそこだけ切り取られたような空間の中、密度の濃い沈黙が降りる。



官吏と、ちょっとした諍いがあった。といっても大袈裟なものではなく、些細な意見の食い違いだった。
堂々めぐりをする問答のさなか、ひとりの官吏の何気なく零した言葉が、射すように降ってきた。
――ですが、主上は胎果であらせられますゆえ……。
それまで譲らず動き続けていた陽子の口は、ぴたりと閉ざされた。一瞬の、けれども果てしなくも感じられるほどの、間。

ほとんど無表情に男の顔を凝視していた陽子は、すぐに目を伏せ短く息を吐く。
「分かった。今日はここまでにしよう。少し頭の中を整理したいから。けれどたぶん、わたしの考えは変わらないと思う。それは、覚えておいて欲しい……」
静かな返答だった。
だが傍に控えていた景麒は、袖の中に隠された主の手が、きつく握りしめられるのを見逃さなかった。

埒の明かない議論はそのまま持ち越され、官たちは各々の持ち場に戻る。景麒と陽子もまた、それぞれの執務にあたるために一度、別れた。口を噤んだまま、陽子は一言も喋らなかった。
そして彼女は今、すべてを拒絶するかのように閉ざされたこの場所にいる。
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