Novel


□揚羽蝶が壊れる時
2ページ/3ページ




小鳥が死んだ。
庭院を通り過ぎようとした時だった。何かがぶつかるような音が、鈍く響く。
足を止め音のしたほうを振り返ったのは、景麒も陽子もほぼ同時だった。
そして見つけた――その小鳥を。
ついさっきまで生きて自由に空を飛んでいたはずのそれは、地面の上で虚しく朽ち果てていた。首が、曲がっていた。

ふと傍らに目をやれば、陽子は身動きもせず一心にその鳥を凝視している。
そうして、わずかに表情を曇らせながらその場で膝を折ると、彼女はまるで壊れ物を扱うかのように小鳥を掌におさめた。
立ち上がり無言のまま歩き出す。
木立の中へ分け入り、屈み込んでおもむろに地面を掘り返し始めた。手が汚れるのも構わずひたすら土を掻き出し、適当な深さまで辿り着くと、できあがった空洞に亡骸を落とし込んだ。あっけなくその生を散らした、哀れな生き物の亡骸を。

小鳥を葬ってやったあとも、陽子はそこから動こうとしなかった。縫い止められたように、じっと立ち尽くしている。
少しだけ盛り上がった地面を見下ろすその顔には、憐憫とも諦観ともつかない表情が張りついていた。
視線を落とす。手が、土で汚れている。
それを認識した瞬間、不意に景麒は胸の奥底がざわつくような感覚に襲われた。
陽子の手首を掴む。無意識に力をこめていた。たやすく手の内におさまる、その細さを確認しながら彼はなかば強引に、陽子を引きずるような形で歩き出した。



突然、手首に強い力がかけられるのを感じた。驚いて振り返る間もなく、気づけば陽子は景麒に腕を引かれている。いくらか前のめりになりながら足を踏み出した。
いきなりすぎる半身の行動に、抗議の言葉すら出てこない。微かな動揺を覚えながらも、陽子はただ連れられるままに進むしかなかった。抗うことも忘れていた。
前を歩く景麒の横顔を見上げる。憮然とした表情が覗くだけだった。

しばらく歩いて、景麒はどこかの堂室へと入っていった。そこで、ようやく掴まれていた手を解放される。すると彼はごく小さな盥を取り出し、そこへ水を張った。
何をしているのかと、ぼんやり眺めていると再び腕をとられた。そうして彼は陽子の手を、水の中に浸したのだった。
冷たく滑らかなその水で、景麒は主の手についた汚れを丹念に落としてやる。手のひらも、甲も、指先も。

――手なんて、自分で洗える。
そう思ったが景麒のいつになく頑なな様子に、陽子は何も言えなかった。
張り詰めた空気が、水の音に震える。



――小さい。
おとなしく任されている主の手に目を落としながら、景麒は思う。
この手が、ささやかな命を慈しみもすれば、同時に屈強な命を切り捨てもする。
汚れるのはいつもこの小さな手だった。
たとえ望まない選択だとしても、必要とあらば彼女は自らこの手を汚す。そして、その度に陽子は自身の心を押し殺してきたのだと、景麒はようやく理解した。
敵を屠るのと同時に、彼女は自分の心をも屠ってきたのだ。もう幾つ、その心を殺してきたのだろう。

土にまみれた手を、景麒は洗い清める。
透明な水が瞬く間に濁っていくのを確認しながら、彼は、いつか陽子が話して聞かせてくれた、蓬莱で読んだという物語を思い出していた。





――印象に残っている話があるんだ。
昔あちらで読んだ本なのだけど、と言い添えながら彼女は語って聞かせた。

「蝶を集めるのが好きな少年がいて、ずいぶん夢中になって、たくさんの標本を自分で作っていたんだ。立派なものではなかったけれど。それで、その少年の向かいの家には、あまり性格の良くない男の子が住んでいる。ある時その子が、とてもめずらしい蝶を捕まえたっていう噂を聞いて、少年は一目でもいいから見せてもらおうと家を訪ねるんだ。でも男の子は留守だった。諦めきれない少年はこっそりと部屋に忍び込んで、そこにある美しい蝶の標本に魅入った。そして思わず蝶を自分の衣曩の中へ仕舞って、盗み出してしまうんだ。だけど途中で我に返った少年は慌てて部屋に戻って衣曩から蝶を取り出すんだけど、その蝶は、ばらばらに崩れてしまって、もう元には戻せなくなってしまった……」

.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ