Novel


□小噺
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王宮の庭を、その少女は整えていた。草の手入れをし、石畳を掃き清める。
奚としてこの王宮で働くようになって、一月ほどが過ぎていた。夜明け前に起こされ、宮中の隅々を掃除して一日を終える。そんな日常にもすぐ慣れた。もともと雑事などを苦に思わない性格だ。日の昇らぬうちに起きることも、何度か繰り返せば身体が順応する。何も不満はなかった。
郷里に残してきた母と、まだ小さい弟妹たちを思う。元気にしているだろうか。



ほとんど強引に家を出てきた。
父が亡くなって母ひとりの生計で子ども三人を養うのは、どう考えても苦しい。自分も働いて少しでも母を助けてやりたかったが、十四かそこらの小娘を雇ってくれるところなどなかった。
ならば口減らしになろう。
婢になるのなら別にどこでも良かったが、どうせなら王宮の婢にでもなりたい。我ながら呆れるようなことを考えていた。
そんなつもりはなかったけれど、もしかしたら少し自棄になっていたかもしれない。

末子が可愛がられるのは、どこも一緒だ。蔑ろにされるわけではないが、やはり長子はどこか放っておかれる。
父が亡くなってから母の意識は、なおなら弟妹たちへと向けられてしまった。
自分はいなくてもいいのじゃないか。そう感じてしまうことが少なくなかった。

望みは薄かったが伝なら一応ある。駄目もとで王宮の奚になれないか頼み込んでみると、意外とあっさり許可をくれた。
すぐに荷物をまとめて家を出た。
そんな……、と母は止めたが、もう決めたことだったので、引き返す気はなかった。「姉ちゃん」と呼ばう二つの声に、わずかに後ろ髪を引かれただけだった。



そんなことをぼんやりと思い出しながら、少女は庭の掃除をしていた。
ふと視界に淡い色が映った。見れば昨日までは確かに蕾であったものが、ひっそりと花開いている。ああ、やっと咲いたんだ。そう思い、指先で軽く花びらに触れた。



「それ、咲いたんだね」
突然、背後から声をかけられた。
え、と反射的に振り返る。鮮やかな緋色の髪と翡翠の瞳が、目に飛び込んできた。

紛れもなく、この王宮の主だった。
驚きのあまり跪礼することも忘れていた。しかし当の本人は、そんなことは気にした様子もなく話を続ける。
「あなたは……最近ここに新しく入ってきた人?見かけない顔だ」
そう問われて我に返った少女は、しどろもどろになりながら、はい、と答えた。
「あの、一月ほど前から、こちらで働かせて頂いております……」
声が上ずる。顔を俯けた。
そうか、と返す声が聞こえた。

「もし良かったら、少し話し相手になってくれないかな。退屈してたんだ」
予想外だった。目を見開いて言葉を無くしていると、まだ仕事の途中だったかな、と心配そうに聞いてくる。
慌てて、大丈夫だと告げた。
良かった、ありがとう。
彼女は屈託なく感謝の言葉を述べた。



名前は何というのかと問われ、晶嘉だと答えた。すると今度はどういう字を書くのかと聞かれて、晶嘉は地面の上に指でなぞるようにして自分の名前を綴った。
「綺麗な名前だね」
地面に書かれた文字を見ながら彼女は言うと、華やかに笑った。その笑顔に、晶嘉はしばし見とれた。それからうっすらと頬を染めながら、ありがとうございます、と小さく礼を言ったのだった。

他愛のない話が続いた。年はいくつなのか、仕事はつらくないか、友達はできたか。
それらの質問ひとつひとつに答えている間もずっと、身体が中に浮いているような、ふわりとした感覚があった。
長くはないけれど決して短くもない時間、会話をし、赤い髪の主は去って行った。邪魔して悪かったね、と言い残して。

気安い人だというのは聞いていた。けれど、まさか自分がこんなふうに会話をかわすとは思ってもいなかった。
遠目で彼女の姿を確認したことはある。だが、あんなに間近で、その顔を目にすることができるなんて。
掴みどころのない不思議な気分だった。





それからも、何度か彼女と会話をする機会に恵まれた。最初のうちは緊張していた晶嘉だったが、気がつけば一緒に笑い合えるほどになっていた。
彼女はちょっとした愚痴を零したり、官吏への嫌味をこっそり呟いたりもする。
本当にとりとめのない話ばかりだったが、その中でも台輔のことを話す時の彼女は、とても楽しそうに見えた。
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