Novel


□モニュメント
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少し怠そうに肘をつきながら、陽子は目の前の書面を読み下していた。といっても、ほとんど眺める程度にしか読んでいないので内容はまったく頭に入ってこない。何とか中身を理解しようと同じ箇所を繰り返し読んではみるものの、気がつけば字面を目で追っているだけになっている。
一向に仕事に身が入りそうもない。諦めた陽子は紙面から目を離し、椅子の背もたれに身体を預けながら深く息を吐いた。
そのまま少しの間ぼんやりとする。
ちらりと、抽斗に目をやる。おもむろに腕を伸ばすと、上から三段目のそこに手をかけて中を開けた。
からん、と小さく硬い音がする。
仕舞われているのは髪留めだった。

幼い頃、母親に買ってもらったものだ。長い髪をまとめるのに良いだろうと、陽子に与えてくれた。
とくに値の張るものでもないごく普通の髪留めだったが、母が何かを買い与えてくれるということがめずらしかったので、何だか嬉しかったのを覚えている。
もともと物持ちは良いほうだったし、新しいもの好きというわけでもなかったから、軽く髪を束ねるのにずっと使っていた。
景麒がこちらの世界に連れ戻しに来たあの時も、陽子の髪にはそれが付いていた。
ただ、こちらでの逃亡生活の中でその髪留めも壊れてしまった。それでも何となく持ち続けていた。巧国で牢に捕われ、老婆に持ち物を改められた時にも髪留めだけは何故か差し出すことができず、こっそりと制服のポケットに隠し持っていたのだ。

別に、そこまで執着するような代物ではないと、陽子も思う。かといって、あっさりと棄ててしまうこともできなかった。
まるで守り札のように、そこに何かを託すかのようにして持ち続け、王宮に上がった今でも結局、こうして抽斗の中に仕舞われたままになっている。
棄ててしまおうと何度も思った。思って手に取る度に、躊躇ってしまうのだった。
壊れたそれを手にして眺めながら、陽子は短く息をつく。書卓の上に髪留めを置いて、椅子から立ち上がり軽く伸びをした。
榻に移ろうとした時、景麒がやって来た。



堂室に入ると、主は休憩をしようと思っていたのか、席を立っていた。
景麒の入室に陽子が振り返り、そしてその手に持っている書類の束を認めた彼女は、苦笑しながら、仕事か?と聞いてくる。
どうにも間が悪かったようだ。
「目を通しておいて頂きたいものがありましたので……」
「じゃあ、そこに置いといて」
榻に腰掛けながら、陽子は書卓を指差して答える。言われた通りのことだけをし、景麒はすぐに退出しようと思った。
ふと、書卓の上にさりげなく置かれた見慣れぬものに目がいく。広げられた書類の中に紛れ込んでいる小物か何かのようなそれは、幾分、不釣り合いでよそよそしげな雰囲気を醸していた。
「――これは……」
こんなものを主が持っていただろうか。そう思いながら、景麒は無意識のうちに手を伸ばし呟いていた。

「ああ、それ……」
陽子はどことなく複雑そうな顔をした。
それね、ともう一度繰り返しながら、何かを言い澱むように沈黙してしまう。
「……ちょうどいい。景麒、それ、棄てておいてくれないか」
「――棄てる?」
些か思いもよらぬ主の返答に、景麒は思わず聞き返してしまった。
「そう。壊れてしまっているし、もう使い物にならないから」
陽子は頷きながら言う。
「技師に頼んで直してもらうことも、可能だと思いますが」
そう返す景麒に、陽子は少しだけ困ったように笑いかけた。
「いいよ。必要ないから……」

そんなふうに言われてもまだ、景麒はどこか釈然としない気持ちでいた。
「……ご自分で、お棄てになればよろしいのでは」
できるだけ嫌味には聞こえないよう努めながら、慎重に言い添える。
陽子は静かに景麒を振り仰いだ。一瞬だけ表情を無くしたその顔がすぐに、消えそうなほどの薄い微笑みを浮かべる。
そうして目を伏せた。
――棄てておいて。
ただそれだけを、彼女は告げた。





自室に戻った景麒は、棄ててくれと頼まれた小物を眺めていた。簡素な造りのそれは、こちらのものではないだろう。おそらく蓬莱で陽子が身につけていたものだ。
髪飾りかもしれない。
滑らかな手触りの表面は白緑の色合いを帯び、どこか陽子の瞳を思わせる。鮮やかな紅の髪に、よく映えそうだった。
ごく浅く、孤を描く内側には金具が取り付けられており、壊れていると言っていたのはどうやらその部分のようだった。

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