Novel


□Toes
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緑が萌え立ち、太陽はその存在を主張するかのように光線を地に振り撒いている。
雲海の上とはいえ、夏の暑さを遮ることはできない。下界に比べればそれでもまだしのぎやすいほうだが、そこかしこに湿った空気とこもる熱が漂っていた。
倦怠感と眠気を誘う。

円を描いたような池がある。陽子はそこの水辺に腰掛け、素足を池の中に入れてゆるやかに遊ばせていた。
最初はひんやりと感じられた水は、しばらく足を浸けているうちにその温度に慣れてしまったのか、冷たさを失っている。
けれども、柔らかく絡みつく透明で澄んだ水の感触は、とても心地よかった。
気まぐれに吹き抜ける風に木々はざわめき、どこからか鳥の囀りが聞こえてくる。
ただ、ぼうっと、陽子は焦点を合わせることもなく前方を眺めていた。



彼女の姿を見つけたのは、景麒が書房に向かおうとしている時だった。
回廊を歩きながら、ふと欄干越しの庭へ目をやると、遠くに主の背中があった。
自然と歩を止める。陽子の後ろ姿を見つめて、彼は少しだけ迷う。だが結局、書房に向かうはずだった景麒の足は、あっさりと陽子のもとへ進み出していた。

陽射しが鋭い。
景麒は眩しさに目を細める。色濃く生い茂った夏草を踏みしめながら陽子の背後まで近づき、そして立ち止まった。
何となく検討はついていたが、彼女はやはり池の中に足を沈めていた。
気配を感じたのか、陽子は振り向いて後ろに立つ半身を見上げる。その動きは、どこか緩慢で億劫そうに見えた。
景麒を見返しても陽子はとくに何も言わず、ふいと、すぐに顔を戻してしまった。
水の音が、やけにはっきりと耳に届く。

「何を、してらっしゃるのです。こんなところで……」
幾らか前に進み出て、問いかけた。
「暑いんだよ……」
重々しく口を開くと、陽子はあまり答えになっていない返事をする。
それきり、会話は途切れた。機嫌が悪いわけではないが、良くもなさそうだった。
自分の主が時折、子供じみたところを見せることを景麒は知っている。普段の、向こう見ずな性格だとかそういった類のものとはまた違う、何か聞き分けのない子供を思わせる部分があるのだ。
今の彼女は、そういう印象だった。

役目をなくした小さな履が一足、陽子の脇に、所在なげに置かれている。
暑いからだろうか、長く豊かな髪は、常よりも高い位置できっちりと括られているようだった。だからその細い首筋が、よりいっそうあらわになっている。
うすく、汗が滲んでいた。
いつからそうしていたのか知らないが、陽子は飽きることなく池の中の魚と一緒に両足を泳がせている。裳裾を膝のあたりまでたくし上げ、足先で軽く水を掻き回す。
その無防備な素足を景麒は見つめた。

視線を気にしたのか、陽子はようやく池から足を引き上げた。その様子がいかにもしぶしぶといった雰囲気だったので、景麒に窘められると思ったのかもしれない。
裾を直しながら、陽子は膝を抱えるようにして座り込んだ。
この場所から動く気はないらしい。足のかわりに、今度は手を水中に浸し始めた。
前屈みになって、掌に水を掬い上げては落とし掬い上げては落としを繰り返す。
あまりにも深く屈み込んでいるので、そのまま池の中へ落ちてしまうのではないかと気にかかったが、何も言わずにおいた。


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