Novel


□落花
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――花が、降ってきた。








―The Fall―



あっ、と驚いたような声がひとつ、頭上から響いてきた。
見上げた先にあったのは――主の姿。



何やら王気が近づいてくるように感じてはいた。ただ、彼はてっきり自分の主が普通に姿を現すはずだと思っていたのだ。
残念だが陽子が時折、景麒の常識から外れたことをやってのけるのだという事実を、彼はその時、失念していたのだった。
声のした方を振り返り、そうして視界に飛び込んできた予想だにしていない状況に、景麒は大きく目を見開いた。
結い上げた見事な紅の髪を翻しながら、欄干を飛び越えた陽子の身体が、景麒に覆い被さるように落下してくる。

驚きのあまり一瞬、思考が止まった。
反射的に伸ばしかけた腕の中、吸い込まれるように陽子の重みすべてが収まる。
重力に逆らうことなく、こちらに向かって真っ直ぐに落ちてくる彼女を受け止めて、景麒はそのまま倒れ込んだ。
全身に鈍い痛みが走り、わずかながら眉を顰める。上体を起こすと、思いがけない近さで主の双眸とぶつかった。
陽子はひたすら、その冴え冴えとした瞳を景麒に向けている。
何が起こったのかを、正確に把握することが難しいようだった。



「――ごめん……」
景麒に身を預けたまま、陽子は両手で彼の衣裳をしきりに掴んでは、どうにかそれだけを口にした。
「……いえ。それより主上。申し訳ありませんが、どいていただけますか」
景麒に言われ、はたと我に返った陽子は、ごめん、と再び呟きながら握っていた衣を手放すとようやく彼の上から降りた。

「……大丈夫か?」
どこか怪我をしていないか、と座り込んだままの陽子が恐る恐る聞いてくる。
打ち付けた痛みはあったが、とくにそれ以外の損傷は見当たらなかったので、大丈夫だ、と頷きながら答えた。
――そんなことよりも。景麒は隣の主に、些かねめつけるような視線をおくる。
「一体、何をしておいでです」
ぴしゃりと言い放った。
あらぬところから主が落っこちてくる。問いたださぬわけにはいかなかった。

う、と陽子は言葉に詰まる。
「ちょっと、近道を……」
「――近道?」
何故、とでも言いたげな様子で景麒は鋭く聞き返してくる。
「いや、だから、その……」
ぼそぼそと歯切れ悪く答える陽子を見やり、これ以上の追及は無駄なように思えてきて彼は溜め息をつくだけに止めた。



階段を下りて回り込むのが面倒だった。
飛び降りられない高さではない。辺りに誰もいないのをこれ幸いと、陽子は手摺りに手をつき攀じ登って足をかけた。
階下から人が現れるという考えなど、もはや念頭にはなかった。
金色の髪が視野に映る。
まずい、と思った瞬間には既に遅く、その身体は完全に欄干を乗り越えていた。

空中に投げ出された全身は為す術もなく、そのまま落ちるに任せるしかない。
それで結局この有り様だ。
さぞかし小言を聞かせられることだろうと覚悟していたが、彼は溜め息をついただけだった。ほとほと呆れたように。


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