Novel


□落花
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景麒は身を起こし軽く衣をはたくと、黙って手を差し出してくる。陽子はおとなしくその手に縋った。
立ち上がる時、陽子がほんのわずか左足を庇っていることに、景麒は気がついた。
じゃあ、と気まずげに言いながらそそくさと去ろうとする彼女は、明らかに足を引きずって歩いている。それを見咎めた景麒はすかさず、主上、と呼び止めた。
ぎくりとしたように陽子の背が固まる。
「――足を、いかがされました」
「……。お構いなく……」
何がお構いなくか。景麒は心底、思う。
着地した際に捻ったか何かしたのだろう。左足に体重をかけられないのだ。

なおも歩き出そうとする陽子を引き止めると、景麒は自分より頭ひとつ分は低い彼女をやすやすとその腕に抱え上げた。
いきなり地から足が離れて身体が浮き上がる感覚に、陽子はかなり慌てた。
「景麒……!ちょっと待った、何してるんだ、降ろせ……っ」
「いたしかねます」
さらりと、かわされた。
「いいってば!自分で歩ける……!」
陽子は不安定にもがいた。
わめき立てる主を無視して、景麒は歩き出す。彼女のことだ。捻挫ぐらいそのうち治るだのと言って、怪我した足を瘍医に診せもせず放っておくに違いない。
それを、させるわけにはいかなかった。



まるで取りつく島もない様子に諦めたのか、陽子はされるがままになっている。
どこか躊躇いがちに、けれど何となく甘えるような指先が景麒の肩口を掴んでいた。
細い金の髪が、頬をくすぐる。ふと、その柔らかな髪を梳いて、顔を寄せてみたいような気持ちにかられた。
景麒、と陽子が耳元で囁く。
「お前、さっき、よけようと思えばよけられただろう……」
たぶん、あえて自分の下敷きになってくれたのだ。そんな感じが、した。
景麒は答えない。かわりに陽子を抱える腕に、気づかないほどの力をこめた。

花だ、と思った。花が降ってきた、と。
だから抱き留めなければいけないと、景麒は無意識にそう判断したのだ。
今、この手の中に収まっている、確かな重みと温かさを持つ、大輪の花。
それが景麒のすべてだった。





堂室に主を送り届けてから、景麒はすぐに瘍医を呼ぶよう女官に言づける。
やって来た瘍医は陽子の足の手当てをしながら、主上は本当に活発であらせられる、と苦笑していた。もちろん、しばらくは無茶な行いを慎むように、と釘を刺して。
事の次第を聞いた鈴や祥瓊は、呆れ果ててものも言えない、という顔をしていた。
桓堆と虎嘯は、さすがだなぁ、などと言ってひとしきり笑っていた。
浩瀚からは、たっぷりと小言を貰った。

陽子の足が完全に治るまで、景麒はできるだけ常に彼女の傍に控えていた。
それは、危なっかしい主から目を放せない、というふうにも見てとれた。
陽子が足を庇わなければいけないような不都合がある時、彼は必ずいつも、無言で手を差し伸べてくれる。
ちらりと上目遣いに景麒を見やると陽子は、どうも、と呟きながらやはり素直にその手を借りるのだった。
一見、皮肉にも思える彼のそうした分かりにくい優しさが、陽子は好きだった。





主の怪我は心配だったが、心のどこか片隅で、足の治りが遅ければいいと密かに願っていることを景麒は理解していた。
そうすれば彼女は、目の前に差し出された己の手をとってくれる。

だが、その感情が一体どういった種類のものなのか、彼はまだ知らずにいた。










※※※

景陽というよりは、主従の枠を出ていない微妙な感じの二人で。
冒頭の英語は、映画『落下の王国』の原題から。シンプルな響きが気に入っていたので、使わせてもらっちゃいました。

20100816
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