Novel


□Call my name
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名前を呼んで欲しい。甘い酒の香りを漂わせながら、あの人はそう言った。





陽子は、めずらしく酔っていた。それも、かなりの勢いで。

休日を控えていたその夜、たまにはみんなで酒でも呑みながら食事をしよう、ということになったらしい。つまるところ宴会をしようということなのだが、当然その宴には陽子も招かれていた。
かいつまんで適当にいきさつを話す彼女に向かって景麒は、どうぞお好きなように、とだけ答えたのだった。
ここのところ少し忙しい日が続いていた。気の置けない友人たちと共に食事をするのは、主にとっても、ちょうどいい息抜きになるだろう。どうせ明日は休みだ。多少の酒が入るくらい、構わない。
だから是を伝えたのだが、彼女はまだ何かを言いたそうに、あるいはまだこちらの返答を待つかのように、じっと景麒を見上げてくる。内心で首を傾げた。

「……何か?」
不思議に思って口を開く。
「景麒は?」
一瞬、何を訊かれているのか分からなかった。遅れて、どうやら自分も誘われているらしいことに気づく。
「いえ、わたしは結構ですので……」
断ると陽子は、ふうん、と呟いた。
「相変わらず、つれないな」
そう言い残すと、しかしとくに気にとめた様子もなく、彼女はひらりと踵を返して足どり軽く景麒のもとを去って行った。
何を思って景麒を誘ったのかは知らないが、その宴席に自分がいては、陽子はともかく他の者がたやすく寛げないだろう。
出される食事にも気を遣わせてしまうはずだ。麒麟の食せるものなど、常人のそれに比べて限られてしまうのだから。



そうして宴のことなどすっかり頭から離れていた頃、そろそろ日付も変わろうかという時刻。何やら主が相当酔っているみたいだ、と浩瀚が苦笑まじりに報せてきた。
こんな時間まで騒いでいたのか。
なかば呆れながら様子を見に行くと、陽子だけでなく、その場にいるほとんどが酔い潰れているようだった。
起きてください、と卓子に突っ伏す陽子を軽く揺すれば欝陶しそうに短く呻く。とりあえず他の者たちは浩瀚に任せ、景麒は陽子を正寝まで送り届けることにした。

自力で歩くのもままならない陽子を、引きずるようにして連れ歩く。ともすれば、彼女はそのまま頽れてしまいそうだった。
いっそ抱えてしまおうかとも思ったが、何となくそれを躊躇ってしまう。
「しっかりなさってください」
言いながら、景麒は正直この状況に幾らか戸惑いを覚えていた。ここまで酩酊した彼女を見るのは、初めてだったからだ。
よほど楽しかったのだろうか。
こちらでは、誰かと一緒に大勢で食事を摂る習慣は無いに等しい。胎果の陽子は、それを寂しいと感じているふしがあった。
だから今日のように、みんなと他愛なく騒げるのは純粋に嬉しいのかもしれない。
そんなことを思った。



どうにか堂室まで辿り着くと、ひとまず陽子を手近の榻に座らせた。
「……頭痛い」
眉根を寄せながら陽子が呟く。
「呑みすぎでしょう。いくら明日が休みだとはいえ、限度があります」
「だって、みんな、やたらと勧めてくるから。調子にのった……」
苦しげに答える主を見下ろし、溜め息をついた。それから彼女は、のろのろと腕を伸ばすと景麒の袖口を掴んで引っ張る。
「水が、飲みたいんだけど……」
思わず額を押さえたくなった。まったくもって世話の焼ける主だ。呆れ返りつつ、景麒は水差しを取って湯呑みに注ぐ。
陽子はそれを受け取ると一気に飲み干して、空になった器を景麒に手渡した。

「もう休まれてはいかがですか」
景麒は促すが、聞いているのかいないのか陽子は少しも動こうとしない。
不意に俯けていた顔をあげると、彼女は翠の双眸で景麒をひたと見据えてきた。
その口は引き結ばれたまま。
「――主上?」
訝って問いかける。すると陽子はいきなり、こちらに向かって指を突き付けながら強い口調で主張を始めた。
「――それ。それ、嫌だ」
「……は?」
つい間の抜けた返事をしてしまった。
「その、主上、とかいうの。それ、嫌だ。すごく。気に入らない」
唐突に何を言い出すのか、この人は。
景麒はだんだん、酔っている主の扱いに疲れてきた。早く宥めて寝かしつけよう。
そう考えていると、陽子が榻から立ち上がった。気がつくと目の前に顔がある。


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