Novel


□密やかな結晶
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どれくらい眠っていたのか、目を覚ました時にはもう夜はだいぶ深まっていた。
月は空高くにあり、その光が漏れて牀榻を薄く照らしている。暗闇の中では、こんな心許ない月明かりでさえ眩しかった。
陽子は身を起こして臥牀から下りた。
喉が渇いていた。卓に置いてある水差しを取って、茶器に水をつぐ。それを飲み干すと、ひとつ息を吐いて椅子に腰掛けた。
変な時分に寝入ってしまったため、妙に目が冴えている。陽子は、なかば途方に暮れながら時間を持て余すことになった。

とても静かだった。
出来るだけ意識を耳に傾けてみるが、なんのざわめきも届いてはこなかった。
そんなにも、研ぎ澄まされている。ただ静寂だけが、陽子の鼓膜を震わせる。
外の空気が吸いたくなって、陽子は音を立てぬよう慎重に表へ出た。
さらりと吹き抜ける夜風にあたると、にわかに肌寒さを感じた。
欄干に肘をついてもたれながら、闇に溶かされ茫洋と広がる大地を眺めた。



「眠られぬかえ?」
唐突に背後から呼びかけられ、陽子は驚いて振り返った。玉葉だった。
「いえ……少し、風にあたりたくて」
曖昧に笑って答える。まさかこんな夜更けに誰かが来るとは思ってもいなかったので、陽子は内心でうろたえた。
さようか、と玉葉は笑みを刻んで言うと、こちらへ来て陽子の隣に立った。
とくに何か用事があるわけでもなさそうだった。二人はただ並んで佇む。夜を包む空気が、少しだけ変わった気がした。
この人と、まともな会話をしたことは、ない。何か話をするべきなのだろうか。
――でも、何を?
うっすらとした緊張を纏いつつ、しかしこの状況にどう対応したら良いのか判然がつかず、結局黙って口を閉ざしていた。
「景女王は――」
不意にそう呼ばれ、顔を上げる。
続く言葉に、陽子は身を硬くした。
「景台輔とは、ずいぶんと親しゅうおなりのようじゃの……」



頬を叩かれたような気分だった。あるはずのない鈍い痛みに、思わず息を呑んだ。
玉葉の顔を、陽子は凝視する。
柔和な微笑を湛えてこちらを見つめてくる、その美しい容貌。そこに彼女の真意をはかれるものは何も浮かんでいなかった。
彼女の眼差しを受け止めたままでいることはとても出来ず、堪らず顔を背けた。
震える口元を、悟られたくない。
「――あの、まあ……」
やっとの思いで発した声は、不自然に掠れていた。欄干を握った手が強張る。
目眩がした。心臓が痛い。
触れられたくない部分を、その核心とも言える場所を、真っ直ぐに掴まれた。

この人は、全部を知っているのだろう。
初対面の人物が誰であるかを、会ったその瞬間に考える間もなく言い当てる人だ。当然といえば当然かもしれなかった。
彼女は全部、知っている。
陽子と景麒がどんな存在として互いを認識しているのかも。王と麒麟以上に、どんな想いを築いているのかも。
そして恐らくは、陽子が天意を信じられずにいることさえも、了解しているのだ。
すべてを見通す彼女の視線が怖い。
首筋に残る痣までもを見透かされている気がして、ぎこちなく髪を撫で付けた。
寒くもないのに、襟元を掻き合わせる。
――何もかも、あらいざらい吐き出してしまいたい衝動に駆られた。

あなたは、わたしたちのことをどう感じているのですか。いけないことをしていますか。愚かな二人だと思いますか。
天を疑いながら、それなのに彼を求めてしまうわたしは、やはり愚か者ですか。
でも引き返すことなど、もう出来やしないのです。愛してしまったから――。



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