Novel


□ハートブレイカー
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急な来客に応じていたため、政務が中途半端に投げ出されたままだった。
景麒の主は、実につまらなそうな顔をしながら書卓に向かっている。
その指は紙面の束をめくってはいるが、読んでいるのかどうかもあやしい。
文句のひとつでも言おうか、などと考えつつ静観していると彼女の手が止まった。
ばっと、おざなりに紙の束を離す。
「――やめた」
陽子は短く簡潔に述べて、席を立った。
「今日はもう、やる気しない」
言い切ると、ひとつに結わえた髪をほどきながら榻へと腰を落ち着けた。
軽く上半身を捻りながら背凭れに肘をつく。窓の外に目をやりながら、陽子は見るともなく明後日の方を眺めていた。
仕事を続ける気は毛頭ないようだった。

景麒は分かっている。
先程、雁の主従が噂していた半獣の友人に関する話題が彼女は気に入らないのだ。
「まだ拗ねてらっしゃるのですか」
問えば、陽子の肩がぴくりと動く。
「……うるさいな」
ちらりと景麒を見上げながら、ぶっきらぼうに、それだけを言い捨てた。
何だって、みんな揃いも揃って自分が拗ねてるだのと指摘してくるのか。
そういうわけではないのに、と思いつつも気持ちが晴れないのは確かだった。
何かもやもやした気分でいると景麒が、まるで――と口を開いた。
「失恋でもした娘のようですね……」
陽子は驚いたように振り向く。景麒は何とも言えぬ穏やかな表情をしていた。
しばし彼を見つめて、それから陽子は複雑な面持ちで俯きがちに顔を逸らした。
そう。拗ねてるのじゃない。腹を立てているわけでも、きっとない。
自分は単に落ち込んでいるだけなのだ。



「……本当に、失恋でもした気分だよ」
陽子はぽつんと零した。
ずっと自分の傍にあると安心していたものが突然、手元から切り離されていく。
とても可愛がっていた小鳥がある日檻から逃げてしまって、二度と戻って来ない。
そんな感覚に似ていた。
なんて子供じみた感情だろう、と思う。
悶々としていると横で衣擦れの気配がして、景麒が隣に座ったのだと分かった。
彼は手を伸ばす。頬を隠す主の髪を耳にかけてやりながら、ごく自然に呟いた。
「妬けますね……」

一瞬、言われたことを把握しかねた。
少しの間を置き、その意味を理解する。
弾かれたように面を上げて向かい合ったその顔には、薄く微笑がのっていた。
さりげない余裕すらも窺える――。
いっそ憎たらしくなるほどに容貌の整った麒麟を、陽子は睨めつけた。
気に食わない。
その白々しい笑みも、涼しい声でさらりと言ってのけてしまうことも。
揶揄われてるとしか思えなかった。
自分の心境を見透かされているようなのも、いかにも面白くない。
陽子は何やら苛立ってきた。不意打ちのごとく腕を伸ばす。突き飛ばさんばかりに、勢いよく景麒の身体を押し倒した。
予期せずこうむった衝撃に景麒が驚く間もなく、陽子は彼の上に覆い被さった。
胸板に小さな顔を突っ伏してくる。
そのまま彼女は動こうとしなかった。
さっき景麒を跳ねのけた手は今、どことなく縋るように衣を握っていた。



流れ落ちて降りかかった赤い髪を、景麒は指の先で確かめながら撫でている。
呼吸に合わせて肩をゆるく上下させるだけだった陽子が、もぞもぞと身動きした。
折り重なったまま景麒の鼓動に耳を傾けるように、彼女は顔を横向けた。
しばらくして陽子がゆったりと喋りだす。なかば、ぼんやりとした声音で。
「――今度、楽俊に鸞でも送りつけようかな……。どうして教えてくれなかったんだ、とか嫌味を言ってやりたい」
ささやかな抵抗を試みようとする少女に、景麒はひっそりと笑みを漏らした。





◆omake...◆

陽子:そういえば、さっき延麒にもらってたお菓子どうだった?
景麒:……私に答えられるはずのないことを、お訊きにならないでください。

微妙だったらしい。










※※※

いったい何を目指したんだ。
楽陽では断じてないです。景陽です。
タイトルは、はるか昔に何となく観たことのあるラブコメ映画。

20110123
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