Novel


□素粒子
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長いことそのままでいると、腕の中で陽子がわずかに身じろぎした。
苦しいのだろうかと少し拘束を緩めると、彼女は真っ直ぐに景麒を見上げる。
手を伸ばし彼の頬をなぞった。
自分の爪で傷つけた、白く整った肌には不釣り合いなその細い痕を。
何度も何度も、癒すように。
――すぐに消えます……。
だからどうか気に病まないでください。そう、慰めるように景麒は呟いた。
けれど陽子の瞳が乾くことはなかった。








景麒は過ぎ去った嵐の後始末をした。
あれから陽子は眠りについた。泣き疲れた赤ん坊のように、深く寝入っている。

壊されたあらゆる部品を拾い上げながら景麒は、脇目も振らず泣き叫び続けた陽子の姿を思い起こす。
そこに、この国の終息を垣間見たような気が、少なからずしていた。
彼女はああやって突然、愛しかったすべてを捨て去るのではないか。
最も大切で愛するものたちに向かって暴言を浴びせかけ傷つけ、そうして理由もなく泣いて喚いて枯れるのではないか。
そんな気が、何となくしていた。
ただひとつ分からないのは、その時が来ても陽子は己に行かないでくれと縋ってくれるかどうか、だった。
できることならば、そうであって欲しいと、景麒は愚かにも願った。





景麒の頬についた爪痕は、翌日にはうっすらと線を残すだけになっていた。
翌々日には、跡形もなく消え去った。
それでも陽子は時折、思い出したように彼の頬をなぞる。まるで彼女にだけは、その痕跡が見えるのだと言うふうに。
指先でそっと撫で、或いは口づける。

陽子だけが知る秘密の傷痕を、彼は細胞の奥に記憶した。
無性に手に入れたいと渇望する少女の植え付けた陰影を、少女そのものを扱うのと等しく大事にした。
浮上と落下を繰り返す夜の底で、溶け出した輪郭に再び形を与え作り替える。
皮膚の下に身を潜める名前のない傷は、触れる度に表情を変え、愛を訴え、静かに二人を繋ぎ止める。

完全に無垢な幸福など存在しえないのだと理解していても尚、彼らは幸せだった。
その時だけは、互いが互いに縋りつきながら終息を迎えることができたから。
だから、それで良かった。















※※※

年代設定とか特に考えてませんが、ひとまず治世20〜30年あたりで。(アバウト)
無意味に暗いうえ微妙な長さで、いろいろ申し訳ないです。
何か解決してない気がしなくもないですが話的には終わってるつもりです。

20110625
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